Tokyo Chapel

2019年2月18日

第49日

あなたへのラブレター

感謝なことに私は結婚してから、妻のピッパと別々に過ごすということはめったにありませんでした。しかし、結婚する以前に3週間ほど顔を合わすことが出来ないことがありました。その頃はeメールや携帯電話がない時代だったので、お互いのコミュニケーションの方法は手紙しかありませんでした。

私もピッパも毎日お互いに手紙を書き送りました。郵便受けにピッパからの手紙が届くのを、そして封筒の中にピッパの手書きの便箋が入っていることを思うと、興奮と喜びが沸きあがったのです。

私は手紙を受け取るとすぐさま自分の部屋で封を切り、静かな場所で手紙を読みました。普通の手紙ではないことですが、自分を愛してくれる人からの手紙は私にとって特別に価値あるものだったのです。

聖書は神からあなたへのラブレターです。聖書そのものが興奮させるわけではなく、聖書を通して私たちを愛してくださるお方と出会うことができるという事実が私たちを興奮させるのです。聖書全体がイエスについて語ります。新約聖書はとりわけイエスについてです。しかしながら、地上におられたときにイエスはみことばについて、(その時点では旧約聖書のことですが。)「…その聖書が、わたしについて証言しているのです。(ヨハネ5:39)」と言っておられます。


イエスの勝利を宣言する

詩篇22:22-31

この詩篇は失望と苦難から始まりました(22:1)。それは預言的にイエスの死を指し示し、最後は「彼は成し遂げられた(31,NIV訳)。」という勝利の叫びによって締めくくられています。「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。(24)」

この勝利によって「地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。(27a)」とあり「また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。(27b)」とあります。この勝利は次のように宣言されるのです。「彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。(31)」そして、それは「完了した(ヨハネ19:30)」のです。

イエスの復活は偉大な勝利だけではなく、家族のような絆をもたらしました。詩篇22:22で「私の兄弟たち」と訳されている原語は兄弟や親戚のような親しい間柄を示す、親密さをもったものです。新約聖書では、ヘブル人の手紙の作者はこれを特別に私たちとイエスとの関係として関連づけています。(ヘブル2:11-12)。イエスは私たちをご自身の民と呼び、神の家族である兄弟姉妹の真ん中にご自身を顕わしてくださるのです。

祈り:主よ。あなたは私の叫び求めを聞いてくださることを感謝します(24)。今日、再び、助けを求めてあなたに叫びます…


イエスのことばを抱きしめる

マルコ3:31-4:29

イエスはあなたを親しい家族として見ておられます。イエスは私たちが皆、ご自身との親しい交わりに近づくことを願っておられます。それは兄弟姉妹や母に対するようにです(3:31-35)。

この箇所で、私たちはこの関係が神のことばを通して養われるということを見ます。それはみことばを聴くことと、実践することによってです。「神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(3:35)

イエスはご自身の言葉の力について語りました。それは神のことばです。イエスの教えの多くが物語を通して語られました。良い物語は皆が楽しむことができます。「たとえ」の意味は物語の中にあります。人は観念的な説教には眠りこけてしまいますが、良い物語には瞼がパッチリと開くものです。物語は私たちが余計な壁を作ることなく、すっと入って来る力があります。

種まきのたとえは、人生を変えることばの力を私たちに見せてくれます。もしあなたが、「その言葉を聴くなら、その言葉を抱きしめなさい。(4:20,MSG訳)」「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。(20)」あなたはそのようになることができます。あなたは「あなたの途方もない夢を超えて収穫を生み出すのです。(20,MSG訳)」

私たちは何度も何度も、アルファでイエスのことばの特別な力が人生を全く創り変え、実り豊かな人生にされていくのを見てきました。その人は、自分だけではなく、イエスの言葉を聞いたその人から聴いた友人たちの人生をも同じように変えるのです。

もし、イエスのことばが何の変化ももたらさないとするなら、それは聴く人の側に原因があります。時に、私の生活はみことばが根を張ることができないほど浅いのです(4-6)。別の時には、私の人生の問題が、あるいは圧迫(トラブルや迫害,17)がイエスとの親しい関係から、私たちを遠ざけます。さらに別の時には、「世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。(19)」

イエスは、みことばの重要性とご自身のことばを聴くことの重要性を何度も何度も強調し教え続けておられるのです。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。(24)」

みことばを探究する時間をさらに持ち、神の言葉をあなたの生活に適用しましょう。そうすれば大きな恵みを体験することができます。このことを最優先しましょう。イエスのことばを抱きしめる時間を持ち、そうすれば気落ちすることはありません。

成長する種のたとえは、イエスのことばが一度あなたの人生に植えられたなら、実を結ぶことを期待できるのだということを表しています。種を蒔いたなら、あなたは収穫の時を忍耐して待つ必要があります。しかし、もし種を蒔き続けるなら、やがて実が成り、それは蒔いたもの以上の収穫になるということをあなたが確信することができるのです。収穫は必ず来ます(29)。

祈り:主よ。どうかあなたのことばを聴くだけでなく、他の人々に語る者としてください。そして神のことばが私や私の周りにいる人々の人生を作り変える特別な力があることを見せてください。


イエスの契約に仕える者となる

出エジプト23:1-24:18

神のご自身の民との関係はシナイ山での契約(神と人々との間の同意)によって定義されます。契約関係において、神はご自身を、ご自身の民に対して献身し、民は神に献身することによって応答することを求めます。この契約関係において民は神に近しい関係を続けて生活することを、神は民に呼ばわりました。

特に、私たちは、神が義と貧しさに関する事柄に対する神の課題がいかに高いものであるかを見ます(23:1-12)。今日の世界には正義が踏みにじられることがたくさんあります。世界の多くの地域では、弱者が正しく扱われることがほとんど不可能である状況があります。人々はしばしば不当な理由で収監され弁護の余地が与えられません。国によっては賄賂によって法律が思い通りに変えられてしまいます。少しでもこれらの言葉があればと思います。「あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。…わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。(6,8)」

周囲の声や文化に対抗することは実に難しいことです。しかし、「あぁ、それは文化ですから…、みんなそうしてますよ。変えることなんかできないですよ。」という弁解はできません。それは優柔不断にはいきません「悪を行う権力者の側に立ってはならない。訴訟にあたっては、権力者にかたよって、不当な証言をしてはならない。(2)」

古代の契約の批准に当たってはしばしば食事が伴いました。「彼らは神を見、しかも飲み食いをした。(24:11)」契約は血を注ぐことによることがしるしとなりました。モーセはいけのえの血を民に注ぎかけ「見よ。これは…主があなたがたと結ばれる契約の血である。」(8)と宣言しました。旧約のもとで、神は民のために献身しました。そして、彼らに、石の板に書き記した律法に従うことを求められたのです(12)。

預言者たちは、やがて新しい契約が与えられ、の板ではなく、私たちのに刻まれることを予見しました(エレミヤ31:31-34)。イエスは弟子たちに新しい契約がご自身の血によって可能になるであろうことを説明されました(マルコ14:24)。あなたは、この新しい契約を聖餐式のたびに食することを通して祝うことができるのです。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカ22:20、1コリ11:25)」

ヘブル人への手紙には、イエスが「新しい契約の仲介者(ヘブル9:15)」であり、この契約のもとで、あなたのすべての罪が赦されたこと(15)、そしてあなたがイエスとの永遠の契約の関係にある(13:20)ことが記されています。

イエスを通して、あなたは新しい契約に仕える者です(2コリント3:6)。旧約は「やがて消え去る栄光(7)」です。「主の栄光はシナイ山の上にとどまり、…主の栄光は、イスラエル人の目には、山の頂で燃え上がる火のように見えた。(出エジプト24:16-17)」聖パウロは次のように記しています。「まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。…私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3:8,18)」

主よ。みことばを読むことでイエスと出会うことができることを感謝します。主よ。あなたのみことばに耳を傾け、あなたにお会いすることが毎日できますように。そして、私との愛の関係を育て、あなたの栄光を私が創り変えられていくことによって反映することができますように。あなたの栄光を増し加えてください。アーメン。

H.K