Tokyo Chapel

2018年12月30日

第364日

花嫁

私は結婚式になるとしばしば感傷的になります。私が名付け親になった女の子の結婚式を主任牧師として司式した時は、涙がとめどもなく頬をつたいました。私の親友である、彼女の父親が、披露宴のスピーチで、娘と一緒にバージンロードを歩いた時、牧師には「岩(rock)」であって欲しいと思って歩いたけれど、そこに見た牧師は「崩れ去って(wreck)」いたと話しました。

私自身の娘の結婚式が来た時、私はしっかりしようと決めていました。私は結婚式の30分まではうまく行きましたが、2階に上がって、彼女のウェディングドレス姿を見た瞬間に、我を失いました。

この力強い、美しいたとえである「花嫁」は新約聖書における教会の描写として用いられるものの一つです(エペソ5:22-32)。それは今日の新約聖書の箇所にも描かれており、それは神から出て天より下ってくるものです。「…夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。(黙示録21:2)」この花嫁の描きである、新しいエルサレムは私たちの旧約聖書の箇所と新約聖書の箇所の両方に異なる方法で前もって示されています。


誇り高き花嫁

箴言31:21-31

あなたが「良妻(MSG訳)」の特徴を読むとき、それは妻だけにあてはまるのではなく、むしろ女性にあてはまるものであることを知るでしょう。私たちはキリストの花嫁として、男であっても女であっても、既婚者であっても未婚者であっても、それを私たち皆にあてはめることが出来ます。それは教会のあるべき姿を描いているのです。そして、イエスを通して、ある日、そのようになります

「妻の気高い特徴」の描きは人としての花嫁の模範です。彼女は自分の家族を温かく見守ります(21)。彼女はきちんとした身なりで(22b)、彼女の夫は彼女のゆえに尊敬を受け(23a)、彼女の働きは豊かに実を結び(24)、彼女は強さと尊厳を身にまといます(25a)。彼女は確信と喜びをもって将来に面します(25b)。

彼女の言葉は知恵に満ちており(26)、「彼女が話す時、彼女は口にする価値ある事柄をわきまえ、いつも優しく語ります(26,MSG訳)」なんと素晴らしい模範でしょうか!憎しみ、怒り、恨み、不信、に満ちた言葉を避けなさい。優しい言葉だけを話しなさい。

彼女は自分の家族の振る舞いを見張ります。そして「空しさ(うわさ話、不満、自己憐憫)のパンを食しません。(27,AMP訳)」

彼女の子どもたちは「その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い(28a)」ます。アブラハム・リンカーンは言いました。「敬虔な母親を持つ者は決して貧しくならない。」彼女は子どもたちからの賛辞を受けるだけではなく、夫もまた彼女をたたえて言います。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。(28b-29)

最後の節はすべての女性に焦点を合わせています。「可愛らしさは人を迷わせ、美貌は直ぐに衰える。尊敬され称えられる女性とは神を畏れる生き方をしている女性です。彼女の手でかせいだ実をすべて彼女に与え、彼女の生き方を賛辞をもって花綱で飾れ。(30-31,MSG訳)」

祈り:父よ。キリストの花嫁である教会がどのようであるべきかを描いたこれらの絵をありがとうございます。イエスが誇ることの出来るこのような教会になることが出来ますように。


備えられた花嫁

黙示録21:1-27

将来を支えるものは何でしょうか?「天」とはどのようなものなのでしょうか?新約聖書の答えは、ただの「天」ではなく、「新しい天、新しい地」です(1a)。新しい天と新しい地はとても現実的で強固なものです。

この箇所は新しい創造に関するパラドックス(逆説)を内包しています。そこには「新しい天と新しい地」がありますが、キリストは「わたしはすべてのものを新しくする(5,NKJV訳)」と言ったのであって、「わたしはすべての新しいものを創る」と言ったのではないのです。これは、この創造に関わる連続性を示しています。マルチン・ルターは「もし明日この世の終わりが来ると知ったとしても、私は今日、木を植えるだろう」と言った理由です。これは、私たちの復活の理解に(そしてまた、私たちは今の環境をどう取り扱うかに)大いに影響を与えます。

この新しい天と新しい地において、ヨハネは教会を、つまり私たちを、それも将来の私たちを見ています。ヨハネは「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来る(2)」のを見ます。み使いの一人が言います。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。(9)」

イエスは神へのあなたの渇きを満たすでしょう。「また言われた。『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。』(6)」

そこに新しい神との関係があるのです。あなたはこれを今日、ご自身の霊によって教会の中にある神の内住の臨在を通して前味を経験するのです。この大いなる日に、あなたはイエスとの完全な親密な場所へと取り運ばれるでしょう。あなたは、何百万倍もの、今まで見たことのない最も美しい関係を持つのです。そして、あなたは永遠に神と共に経験する純粋な美しい関係という発想を得ることになるでしょう。

教会は神との完全な関係にあるだけではありません。教会が「完全にされる」のです。この「花嫁」の描写はまばゆいばかりの美しさです。「都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。(11)」

これは、完全にされた教会(「小羊の十二使徒」)にふさわしい場所です。そのもとには旧約聖書の中にあります(「イスラエルの子らの十二部族,12-14)。この都は真四角です(15-16)。それは絶対的な美しさ、平和、そして完全な安心です(17-21)。

6つのそこにはないもの

  1. 苦難がない
    神ご自身があなたと共におられます。そして神はあなたの目から涙を拭ってくださいます(3b-4a)。
  2. 死がない
    もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない(4b)のです。もはや病院も、杖も、葬儀も、墓もないのです。
  3. 神殿がない
    「この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。(22)」
  4. 太陽がない
    太陽や月は輝く必要がありません。「というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。(23)」国々はその光のそばを歩み、地の王たちは自分たちの栄華を携えてやって来るのです。
  5. 夜がない
    そこには夜はありません。「都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。(25)」
  6. 汚れがない
    他者を滅ぼしていのちを生き続けることを選んだ者たちにはここに相続財産はありません(7-8)「しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。(27)」罪によって台無しになることはありません。それはすべて完全にされるのです。

あなたはまさに今困難な時を過ごしていますか?ある日、あなたの問題は終わります。それまでの間、神はあなたと共におられ、将来の前味をあなたに与えておられます。今日のためあなたに力を与え、明日のために希望を与えます。

この希望は、困難の中を通て来た者にとって、そして現在も難しさの中にある者にとって、安息と力を与えます(例えば、ローマ8:18)。そして、これから起こることが何かを予期して、きよい生活を生きるためのインスピレーションを与えます。

聖アウグスチヌスは、将来のためのこの希望にあなたがどう応答すべきかを説明します。「主の再臨を望んでいる者は、それは遥か彼方の出来事だということを支持しません。そしてそれはすぐにくると言うことも支持しません。むしろ、どんなに先であろうと、すぐであろうと、誠実な信仰、堅固な希望、燃えるような愛を持って待つのです。

祈り:主よ。将来の為に驚くべき希望があることを感謝します。それを誠実な信仰、堅固な希望、燃えるような愛を持って待つことが出来ますように。


前もって示された花嫁

ネヘミヤ11:22-12:47

お祝いすることは大切です。ある日、大人数の永遠のお祝いが持たれます。教会が共に集う時、私たちのセレブレーションはやがて来る大いなるセレブレーションを予期するのです。これはすべて旧約聖書に前もって示されています。

エルサレムの都はやがて来るものを予期し、前もって示しているのです。新しいエルサレムは、栄光に満ち大勝利を収めた、教会です。「小羊の妻である花嫁(黙示録21:9-10)」なのです。

旧約聖書ではエルサレムは多くの関心が払われています。エルサレムが再建された時、こんなにも喜び祝うことがあったのはこれが理由です。大いなるセレブレーションが行われました。「感謝、聖歌、歌、シンバル、ハープ、竪琴をもって(ネヘミヤ12:27,MSG訳)」

新しいエルサレムの喜びもまた、二つの大きな聖歌隊によって導かれた大いなる祝宴のような礼拝に予期されています(ネヘミヤ12:31以降)。「神が大いなる喜びで彼らを満たしたので、溢れんばかりの祝祭があった。女も子どもは誰も彼も喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。(43,MSG訳)」

祈り:主よ。夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来る新しいエルサレム(黙示21:2)で、大きな喜び、ワーシップとセレブレーションを永遠に楽しむことを感謝します。アーメン。

H.K