Tokyo Chapel

2018年8月18日

第230日

親密な関係

サンディー・ミラー主教は著書「わたしが欲しいのはただあなた(All I Want is You)」次のように書きました。「私が初めてカリフォルニアのヴィンヤード教会を訪問した時、私は彼らの中心的価値が『神との親密さ』であることを発見しました。それで、私は帰国した時、私は私たちの価値の一つとしてそのことについて話し始めました。」

サンディーは続けます。「その時、私たちの会衆のとても素敵なメンバーの一人が、私を隅に連れてゆき、言いました。『どうか「親密」などという言葉は使わないでください。私たちはそのような文脈でその言葉を使うことはしないからです。』それで、私は話す時に『神とのもっとも近しい可能性のある関係』という舌を噛みそうな言い回しを使い始めました。しかし、しばらくしてそれを止めました。なぜなら、私が本当に意味したことは『親密さ』だったからであり、私はそれが聖書が私たちと神との関係を意味しているものでもあると思ったからです。」

私たちの魂の深みに、神との親密な関係と他の人々との親密な関係への飢え渇きがあるのです。


神との親密さ

詩篇99:1-9

あなたも私も神との親密な関係のために創造されました。それは個人的です。「われらの神、主(9)」しかし、神との親密さは当たり前のものではありません。神は全能で、聖で、義なるお方です。

「主は王である。…主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。(1)」ケルビムは神のきよさの象徴です。(参照:創世記3:24,エゼキエル1:4後半,1:4後半,10:1後半)。「御座」は「二つのケルビムの間(民数記7:89)」に描かれています。これは神がそこから語られる場所です。

この詩篇は神のきよさに光が当てられています。「聖(詩篇99:3)」という言葉は神と人との間にある距離を強調しています。神はただ全能でありきよいだけではありません。神はまた義なるお方です。神は「さばきを愛する。(4)」お方です。相応しい応答とは「その足台のもとにひれ伏す(5)」ことです。

ともかくも、神と私たちの間にあるこの淵にかけ橋が架けられました。私たちはこれがイエスを通してもたらされたことを今知っています。そして、彼は私たちのために十字架と復活によって、それを成し遂げ、聖霊の注ぎをもたらされたのです。この詩篇はキリストを通して可能となった神の力、きよさ、義を伴う親密さを予見しているのです。

「主は、…彼らに語られた。(7)」神はモーセに、アロンに、サムエルに(6)語られました。神はそれぞれ個々に語られました。神は私たちにも個人個人に語ってくださいます。「彼らは神に祈った。そして神は彼らに答えられた(6,MSG訳)」

神は正しいだけではありません。神はあわれみと赦しの神です。「赦しの神(8)」が「われらの神(8-9)」なのです。神の主権は絶えることがありませんが、この詩篇の終わりの言葉は今与えられる親密さによって締めくくられています。

祈り:主よ。あなたは力強く、きよく、正しいお方であり、それでも、私にご自身との個人的な親密な関係に招いてくださったことは驚くべきことです。あなたが「私の神」であることを感謝します。


互いの間の親密さ

1コリント12:1-26

私たちの社会には多くの孤独があります。多くの人々、特に今日の若い人々は、自分の痛みを分かつところがありません。彼らは自分の痛みに対処できず、アルコール、ドラッグ、無秩序なセックスに頼ってしまいます。年配者もまた、しばしば隅に追いやられ、孤立し、孤独になってしまいます。

あなたは孤独に生きるようには意図されていません。神はあなたを共同体の中に創造されました。その共同体は人間の体の様々な部位と同じように密接にそして互いに影響し合うものです。パウロは教会をキリストのからだのようなものであるという類比を発展させました。聖霊はすべての教会のメンバーに異なる賜物を与えました(1-11)。

「からだが一つでも、それに多くの部分があり…(12)。」教会に来る人々は様々な異なる背景、国籍、社会的立場を持っています。「ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も(13b)」私たちがどこから来るかに関係なく、「私たち各々は今、彼(イエス)の復活のからだの一部なのです。そして、私たちが皆、飲みに来ることが出来る場所-主の霊-という一つの泉に新鮮にされ、支えられるのです。(13,MSG訳)」

私たちは今お互いに属するのです。私たちの関係は違った他のからだの部分と同じように親密なのです。私たちは至ってお互いに依存しているのです(12-13)。

私たちが異なれば異なるほど、私たちはより一層お互いを必要とするのです。眼は、もっとたくさんの眼よりも、手を必要とします(16-17)。多様性は本質的要素です(17b)。これは地域の教会だけでなく、世界的な教会でも同じです。私たちは「彼らは違う。彼らは何か間違っているところがあるに違いない。」などと言って、キリストのからだの異なる部分を見るべきではないのです。むしろ、私たちはこう言うべきです。「彼らは違う。私たちには本当に彼らが必要だ。」

「自分自身のしるしとして私たちが一度使った古いラベルは、…もはや使い物になりません。私たちにはもっと大きな、もっと広い何かが必要なのです。(13,MSG訳)」特別なクリスチャンの型として私たち自身や他の人を描写するラベルを落とす時が来たのです。

この相互依存があるようにと、神はからだをデザインされました。「これがあなたの重要性を、うぬぼれに膨れ上がってしまうことからどのように守ればいいのか、私はまたあなたに考えて欲しいのです。どんなにあなたが重要であったとしても、それはただあなたがその部分であるからなのです。(19-20,MSG訳)

私たちは特に、「弱いと見られる(22)」部分が必要なのです。私たちの内側の器官は、より脆弱であるという感覚において「弱いと見られる」のです。それが、それらが守られる必要があるという理由です。しかしながら、それらは「なくてはならないもの(22)」です。同じように、「見ばえのしない」からだのそれらの部分は、「ことさらに尊びます。(23)」それらの部分が重要ではないとは誰も示唆しないでしょう。実に、それらは生きているのです。

私たちはお互いにとても必要としているので、「各部分が互いにいたわり合う(25)」べきなのです。「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しむ(26a)」というような親密さと愛があるべきです。これが、人々が自分たちの痛みを処理することができる場所として私たちが必要とする共同体なのです。それはまた、人々が自分の喜びを分かち合うことができる場所でもあるのです。「もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。(26b)」聖アウグスチヌスが言った通りです。「うらやましいと思うのをやめなさい。私が持っているものはまたあなたのものです。 もし私がうらやましさを払い除けると、あなたが持っているものは私のものです。」

祈り:主よ。私たちの兄弟姉妹とのそのような一致、愛、親密さを示すことができ、この世界にキリストを美しくさせることができますように。


結婚における親密さ

雅歌1:1-4:16

この書は多くの異なるレベルで読むことが出来ます。それは喜びと相互関係、美しさと力、人間の性愛の苦悶と恍惚を記述します。それは結婚あるべき姿、すなわち、男と女の間にある婚姻の愛の美しい親密さについて語るのです。

ある意味で、結婚はそれよりさらに美しいある事柄の例えであると言えます。それは神とご自身の民との関係です。突き詰めると、それはキリストとご自身の教会との関係の描写に用いられます(エペソ5:21-33)。それは神のあなたへの深く情熱的な愛、あなたのイエスとの親密な関係を描くものです。そしてイエスの「上に翻る旗じるしは愛(雅歌2:4)」です。そのような理由で、教会の歴史の中で、人々はこの書を神と教会との親密さの表現の比喩として用いてきました。

しかし、聖書は結婚生活における性愛を全巻を通して祝福していることは興味深いことです。聖書は結婚におけるセックスを通しての親密さに対してなんと高い視点を示していることでしょうか。それは尽きることのない、情熱的な愛を喜びと満足することについて包み隠さず語ります。

このような性的な親密さは結婚という関係だけのものであることは明らかです。これは花婿と花嫁との間の愛です。愛する者は「花嫁よ。(4:8-12)」と自分の愛を示します。愛のないセックスの世界の中で、セックスは愛と終生の献身の決意から切り離されるべきではないことをそれは宣言しているのです。

神からのこの贈り物を結婚前に開けてしまうことに対する警告があります。「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。(2:7,3:5)」Message訳はこのように訳しています。「愛をかき立ててはなりません。それを起こしてはなりません。機が熟するまでは。そして、あなたは準備しなさい。(2:7,MSG訳)」もしあなたがその贈り物を早く開けようとするなら、この美しい贈り物をあなたは台無しにしてしまうリスクを犯すことになるのです。

「ぶどう畑を荒らす狐や小狐(15)」についての警告もあります。私たちの関係はしばしば、大きな問題によってではなく、些細な問題によってもたらされます。その些細な問題は一見、大したことのないように思える不用意な選択と妥協です。

ジョイス・マイヤーは次のように記すとおりです。「あなたの生活の中で『小狐』を見張りなさい。極めて小さな攻撃であっても赦しなさい。そうすれば、あなたの心のきよさは保たれます。誰も見ていないからと言って、あなたの経済や仕事で手を抜くことをしてはなりません。神を恐れない不信仰な影響すなわち、一回くらいやっても、自分が傷つくことはないだろうという考えを自分自身に晒すのをやめなさい。小さなことの積み重ねが大きなことになるのです。そうなる前にあなたは知るべきです。小狐は神の国のぶどう畑のひどく荒れ廃らせることができることを。」

この親密な愛の関係の描写は、排他的であり、包含的です。彼らはお互い相手だけを見つめる目を持っています。「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。(16)」しかし、最高の結婚というこの関係はまた、他者への祝福でもあります。一人の友人が言いました。「私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ…ます。(1:4)」

祈り:主よ。結婚における親密さを美しい贈り物としてあなたは私たちにお与えくださったことを感謝します。結婚という贈り物は究極的にはキリストと教会との親密な愛の描きであることを感謝します。あなたとのこの親密さと愛、そして伴侶とのこの親密さと愛の内に私たちが成長できますように。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2013), p.1036

Sandy Millar, All I Want is You, (Alpha International, 2005).