2019年1月23日
第23日
あなたは鍵を持っている
2009年1月15日、USエアウェイズ1549便はエンジンに鳥の群れが衝突し、左右両エンジンが停止しました。飛行機はニューヨーク上空を飛行しており、大惨事になることが予見されました。乗員乗客155人だけではなく、ニューヨークのビル密集地に墜落すれば、何千人規模の死傷者となりかねません。チェズレイ・サレンバーガー機長は沈着冷静に卓越した勇気と技術をもって飛行機を操縦しました。そしてハドソン川への不時着を成功させたのです。誰一人として死者を出すことなく、重傷者もありませんでした。ニューヨーク市長は、彼らを救ったこの英雄的パイロットに「ニューヨーク市の鍵」を授与しました。
「市の鍵」を授与することは計り知れない特権です。それは立ち入り許可と権威の象徴です。鍵は通常、市に対する偉大な貢献を認めて与えられるのです。新約聖書の中で、私たちはイエスが鍵を持っておられるのを見ます。復活のイエスは言いました。「わたしは…死とハデスとのかぎを持っている。(黙示1:18)」イエスの死と復活を通して、イエスは他の誰もが為し得なかった偉大な救いをもたらしたのです。その結果イエスが保持する権威は、今までもそしてこれからもないほど偉大なものなのです。イエスは生と死の鍵を持っているのです。
驚くべきことに、イエスはペテロとその教会(つまり私たち)に「天の御国のかぎ(マタイ16:19)」を与えたのです。多くのクリスチャンが力のなさ、あらゆる種類の霊的権威の欠如を感じます。彼らはイエスが彼らに与えたものが何であるのかを実感できません。あなたは力なき者ではないのです。あなたは「天の御国の鍵」を与えられ、今持ち続けているという計り知れない権威を持っているのです。
神とのやりとりを楽しむ
詩篇14:1-7
「天の御国の鍵(マタイ16:19)」が与えられたということは、神とやりとりできるという意味です。これはイエスが私たちのために成し遂げてくださったものです。神は、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になっています(14:2)。あなたは神とやりとりすることを楽しむことができるのです。
しかし、義人は一人もいません。すべての人が罪を犯したのです。私たち一人ひとりすべてが堕落してしまったのです(1,3 ローマ3:9-12の引用)。
ダビデはこの堕落を一般的な言葉で記述しました(1b)。しかし2つの具体的な例を示しています。
- 神の存在の否定
愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。(1) - 貧しい者に対する無慈悲
おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。(6)
神の国は、御顔を慕い求めること、そして、困っている人に手を差し伸べることを包含しています。そして、この詩篇の最後で正確に記述しています。ダビデは「イスラエルの救いがシオンから来るように(7)。」と願い叫びました。
神が願いを聞いて下さったことを感謝します。イエスが人となってくださって、イスラエルの救いはシオンから来たのです。イエスは生き、死に、復活し、あなたを赦されたものとしてくださり、ご自身の血潮で義としてくださり、父とやりとりすることができるようにしてくださったのです(エペソ2:18)。今、イエスはあなたに神の国の鍵を与えてくださったのです。
祈り:主よ。あなたが私に義を与えて下さったことを感謝します。その義は私から出たものではありません。あなたが父とやりとりすることができるようにしてくださったことを感謝します。主よ。今日、あなたを求めます。
信仰によって御国の鍵を受け取る。
マタイ16:1-20
イエスが教えられた御国の鍵の文脈とは、イエスが誰であるのかという理解と知識です。ちょうど今日の詩篇を読むと、神が「悟りのある者」を探しておられると記されていました(詩篇14:2b)。そして、イエスは弟子たちの理解の欠如を実に驚かれました。「まだわからないのですか…どうしてあなたがたには、わからないのですか。(16:9,11)」
不意にペテロはイエスが「生ける神の御子キリスト(16)」であることに気付きました。この文脈の中で、イエスはペテロに「鍵」を与えると言い、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。(18-19)」
イエスの言葉はペテロに告げられました。ペテロが描きだした岩の上の信仰に、イエスはご自身の教会を建てようとしておられるのです。ペテロはその鍵を受け取りました。ペテロはペンテコステにこの鍵によって、三千人の扉を開き(使徒2:41)、異邦人である百人隊長コルネリオの扉を開き、それによってすべての異邦人世界の扉を開いたのです(使徒10)。
しかし、御国の鍵を持っているのはペテロだけではありません。マタイの福音書の中では後ほど、イエスは同様の権威を弟子たちに与えています。「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。(マタイ18:18)」
これは、イエスが私たち、つまりご自身の教会、に与えた特別な責任と特権なのです。主は私たちに御国の鍵を与えます。「あなたには完全で自由な神の御国へのアクセス権が与えられるでしょう。これはすべてのどのような扉も開くことができる鍵です。もはや天と地、地と天のバリアはなくなりました。地上でのイエス(Yes)は天でのイエス(Yes)です。地上でのノー(No)は天でのノー(No)です(16:19,MSG訳)」
イエスは、実際のところ、地獄の力は自分の中に信仰を持っている者に「打ち勝たない」と言われました(18)。むしろ、御国の鍵を装備した教会こそ、地獄の門を急襲し囚人を自由にすることが出来るのです。
「ハデスの門」は教会に対抗して留まることはできないのです。門は防御的であって、攻撃的ではありません。教会は攻撃的であって、あなたは敵の防御に対して勝利を確約することができるのです。
あなたは、御国の福音のメッセージを伝えることによって人々を解き放たれた人々を見ることができる驚くべき特権を持つことができるのです。あなたは、ドラッグへの依存、アルコール依存、犯罪、その他の束縛から自由にされた人々を見つけ出す喜びを持てるのです。あなたは、特筆すべき霊的権威があなたに分け与えられていることを知って、悪に対して恐れることなく、確信をもって挑戦することができるのです。
これがイエスが私たちに与えてくださった特権であり使命なのです。福音を語る時、閉じられていた扉が開かれるという喜びを見ることができるのです。
祈り:主よ。私たちがこの地で結ぶものは天でも結ばれ、この地で解くものは天でも解かれるというあなたの約束を感謝します。
閉じられていた扉を開き人生が変えられるのを見る
創世記45:1-47:12
「最も深い悲しみを感じた人は、最高の幸せを体験することができる可能性が最も高い。」とアレクサンドル・デュマ・ペールは書きました。ヤコブ(イスラエル)とその家族は深い悲しみの中にありましたが、今や、幸せの絶頂に移されました。
時々、私は自分の感情を隠そうとしてしまいます。でもヨセフは激しく感情を表わしました。彼が兄たちに自分がヨセフであることを告げた時、「エジプト人たちが偶然耳にしてしまった彼のむせび泣きはあまりに猛烈でした(45:2、MSG訳)。」それで、彼はすべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣きました(15、MSG訳)。感情は、手足と同様に神によって創造されたものです。私たちは感情を表出することを恐れる必要はありません。イエスも人々の面前で泣き、あわれみを示されました。
ヨセフは兄たちを完全に赦しました(5)。R.T.ケンダルの「完全なる赦し(Total Forgiveness)」には、今までするように尋ねられて最も難しかったことの一つであるが、するように尋ねられて彼がした最も偉大なこととして次のように記述しています。「私が赦し始めた時、期待していなかった祝福が現れた。何年も感じたことのなかった平和が私の心に訪れた。」
ヨセフは、彼が通ったすべての困難にもかかわらず、彼が「いのちを救うために(5)」神に用いられたということが分かりました。ヨセフは三度も「神は…私を遣わしてくださった(5,7-8)」と言いました。
ヨセフは言いました。「私を売ったことで自分を責めないでください。その背後に神はいました。神はあなた方より先に私をここに送り、あなたがたの命を救ったのです(5,MSG訳)」
私は自分の人生を振り返ると、私は何度も不必要な心配を繰り返しました。もし、神を完全に信頼してさえすれば、そんなにも不安に悩まされずに済んだでしょう。実際には神がご自身の支配を完全に及ばせている時に、どれほどヤコブがヨセフのことで、苦しまなければならなかったことかと考えます。
イエスは旧約を成就するために来たと言いました(マタイ5:17-20)。ヨセフ物語はその良い例です。イエスはヨセフによってあらかじめ表わされていたことを成就しました。ヨセフの苦難は神の民を救うためのご自身の計画の一部です。ご自身の民を救う中で、神はヨセフを全エジプトの君主とし、支配者となさったのです。(創世記45:8-9)
御国の鍵の一つは、イエスがこの世界の救い主だと理解することであるといえます。十字架の背景にあるのは、「大いなる救い(7)」によってイエスの苦難をとおして命を救おうされる神の手であるということを見るために。今や神はイエスを「全エジプトの主」どころか、全被造物の主とされたのです。
1549便の英雄は155名の命を救いました。そしてニューヨーク市の鍵をもらいました。ヨセフは神の民の命を救いました。そして全エジプトの支配者となりました。イエスは世界を救いました。そしてご自身の教会に手渡す御国の鍵を与えました。あなたが持っている特権は何と驚くべきものでしょうか。
祈り:主よ。感謝します。イエスを通して、私は完全なる赦しを受け取ることができます。他者に対して私が完全に許すことができますように。これが御国の鍵の一つであることを感謝します。わたしたちが、教会がこれらの鍵を用いてハデスの門を打ち破り、人々を解放することができますように。アーメン。
H.K
References
Alexandre Dumas, The Count of Monte Cristo, (Wordsworth editions, 1997).
R.T. Kendall, Total Forgiveness, (Hodder & Stoughton, 2003)