Tokyo Chapel

2018年6月17日

第168日

あなたの祈りが変化を生み出す

聖ヨハネス・クリュソストモス(349-407)は「祈りは、…根であり、泉であり、何千もの祝福の母である…祈りの効力は控えめな炎の力を持っている。それは制御された怒れる獅子…戦争を消し、風雨を和らげ、悪霊を追い出し、死の鎖を砕き、天の門を拡げ、病をやわらげ…都市を破壊から救い…雷を阻止する。」

ホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会には「24-7祈りの部屋」があります。私にとって、その部屋に行き、神とだけの時間を過ごすことは週の中でとっておきの時間です。祈りは本当に教会のすべての活動において根であり泉です。その部屋で毎時間、毎日、日夜誰かが祈っていることを知ることはなんという励ましでしょうか。


祈りと祝福

箴言15:1-10

箴言の作者は「悪者」と祈る人とを対比します。「神に忠実な人々の人生は繁栄している。…その人は純粋な祈り手であることを喜ぶ。あさはかに費やす者の人生は神をいとう。神は決勝ラインに向かって真っすぐに走るような者を好む」(6a,8b,9,MSG訳)もし、あなたがこのように生きるなら、あなたは人に大いなる祝福をもたらすことでしょう。

このことの大切な側面はあなたが何を語るかということです。あなたの発する言葉は生活を変えることができるのです。「切り裂く言葉は傷つけ人を不具にする」のに反し、「優しい言葉は癒しと助けです。(4,MSG訳)」誰かが私たちに怒りを発する時、「柔らかな答えは憤りを静める(1a)」ことを覚えましょう。あなたの言葉が、人をいやし、励まし、助けることができる力を持っていることを覚えましょう。「穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。(4)」

祈り:主よ。祈ることを助けてください。私の言葉を人を祝福するために用いてください。


祈りと情熱

使徒11:19-12:19

現在の東京、ロンドン、ニューヨークのように、アンテオケは繁栄と国際性を持つ東方の中心的都市でした。そこは建物や文化、ゆるやかな道徳基準、汚職の横行で有名でした。

この都市は変革し、キリスト教都市として際立ち、異邦人世界全体へのクリスチャンの宣教の踏み台となっていくのです。「主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った(11:21)」のです。

神はその名を「慰めの子」という意味を持つバルナバを用いました。慰めとは口先のものでも気休めでもありません。それは口から出る日差しのようなものです。いとも簡単に、受ける者の心を温め、希望の励ましをもたらし、信仰への確信を与えるのです。私たちにはバルナバのよう人が周りに必要です。そして、あなたは他の人々にとってバルナバのようになることができるのです。

バルナバは「神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった(23-24)」のです。

それは一撃離脱のような滞在ではありませんでした。パウロを連れて来て「まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた(26)」のです。

経済的援助もしました。「それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。(29)」これはクリスチャンの共同体の大切な原則です。支払うことが出来ない者のために余裕がある者が助けるのです。

これは大いなる祝福と教会成長の時期でした。しかしながら、彼らはまた反対の潮流が起こり、それに直面もしました。

ユダヤはヘロデ・アグリッパ一世の時代(BC10-AD44)クリスチャンは激しい迫害にさらされました。彼は無節操な政治家で人気を得ようとしたのです(12:1-3)。ヤコブを死に渡し、ペテロを投獄しました。ヘロデは公開リンチを計画しました(4,MSG訳)。

ペテロは四人一組の兵士四組が監視し(4)、通常の監視の二倍で、両腕を二本の鎖でつながれました(6)。ペテロは自身は「熟睡しました。(6,MSG訳)」良心の潔白ほど柔らかな枕はありません。

教会は全く不可能と思える事態に直面しました。初代教会はまさに存亡の危機に瀕しました。彼らはどうしたのでしょうか?あなたなら、このような絶体絶命の状態に置かれた時にどうするでしょうか?私たちはその答えを5節に見ます。「教会は彼(ペテロ)のために、神に熱心に祈り続けていた。」

  1. 神に祈る
    あなたが祈る時、あなたはただ自分自身に話しているのではありません。あるいは誰かに雄弁な言葉を聞かせているのでもありません。神に祈るとはそれを聞いておられるのは神であるということです。それは神の臨在に実際に入っていくことを意味します。神に届け、神は受け取るのです。
  2. ともに祈る
    「教会は…祈り続けていた。(5)」「大ぜいの人が集まって、祈っていた。(12)」新約聖書にはたくさんの個人の祈りについても教えていますが、さらに多くの「一緒に祈ること」についても教えています。
  3. 熱心に祈る
    彼らが全く祈れなかったかもしれなかった二つの原因がありました。第一にヤコブが処刑されたことです(2)。神はヤコブのための彼らの祈りにお答えになりませんでした。それがなぜなのか私たちにはわかりません。しかし、それは彼らの祈りをやめさせはしなかったのです。

    第二に、ペテロの状況が不可能に思えたということです。彼らの選択は祈ることをあきらめるか、熱心に祈るかのどちらかでした。ここで「熱心に」と訳されているギリシャ語の「エクテノース(ektenōs)」は馬が全力疾走する様を描くときに用いられる言葉です。それは競技者が筋肉を目いっぱい用いて全力を尽くす様を意味します。

    未完了の時制が用いられているのは、彼らの祈りが一度きりのものではなく、ずっと時間をかけて祈ったことを示唆しています。彼らはへこたれなかったのです。

  4. 人のため祈る
    彼らはペテロのために祈りました(5)。様々なタイプの祈りがあります。賛美、感謝、願いなど…。ここでは私たちは「とりなし」の祈りを見ます。彼らはペテロを愛していたので彼のために祈りました。それが動機です。とりなしは愛の行動です。

    歴史はとりなし手に属します。あなたは祈りを通して、あなたの世代を形成することが出来るのです。あなたは歴史の道筋に影響を与えることが出来ます。

これは人並み外れた祈り会でした。そして結果は目を見張るものがありました(6-15)。彼らの祈りの答えとして、神は超自然的に働かれたのです。ペテロは出廷の前夜、自由になりました。神は幻と御使いを持って答えてくださり、鎖を解かれたのです(6-9)。障害物が取り除けられました。監視の兵士たちは囚人の逃亡を阻止することなく、「町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた(10」)のです。

ペテロはそれで、祈り会の場所へと向かいました。しかし、彼の解放はあまりにも想像を超えたものだったので、対応に出たロダという女中は、彼を招き入れるのも忘れてしまい、また誰も本当にペテロが帰って来たことを信じることが出来ませんでした。(12-15)しかし、実際に神は彼らの「熱心な祈り」に答えてくださり、「不可能に思えること」を為してくださったのです。

「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。(24)」ジョン・ストットは「この章はヤコブの死、ペテロの投獄、ヘロデの隆盛によって始まっている。そして締めくくりはヘロデの死、ペテロの解放、そして神のことばの隆盛で終わっている。」と記しています。

祈り:主よ。私たちを初代教会のように祈ることを助けてください。あなたの御手が私たちと共にありますように。多くの人々が信じ主に立ち返り神のみことばの隆盛を見させてください。


知恵のため祈る

1列王2:13-3-15

ソロモンは治世をかためる為には多くの敵に対してまず対処しなければなりませんでした(2章)。ダビデの息子であったソロモンと「ダビデの子」なるイエスとを比較すると、その行動において如何に違うことでしょうか。イエスはすべての人々に命をもたらし、あなたの敵を愛しなさいと私たちに教えました!そして御自身の統治を永遠のものとされたのです。

ソロモンの統治はそれには及ばないものですが、少なくとも一つの正しいことが挙げられます。「あなたに何を与えようか。願え。(3:5)」と問われた時、彼は神の前にへりくだり、神のための彼の必要を認識したことです。ソロモンは祈りました。「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。(9)」

神はソロモンの応答を喜ばれました。神はソロモンに言いました。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。(10-14)」

イエスは「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33」と言われました。要するに、ソロモンは知恵を求めて祈ったことによって、神の国を第一に求めたのです。その結果、神は彼にその他のものも添えて与えると言われたのです。

知恵を求めることはソロモンに限ったことではありません。ヤコブは記しました。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1:5)

祈り:主よ。私にはあなたの知恵が必要です。どうぞ、知恵を与え、私が直面するあらゆる状況に洞察を与えてください。天からの知恵、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないもの(ヤコブ3:17)を与えてください。アーメン。

H.K

References

Saint John Chrysostom, quoted in Leonard Ravenhill, Why Revival Tarries (Minneapolis: Bethany Fellowship, 1959), p.156