Tokyo Chapel

2018年9月1日

第244日

あなたの人生の目的を見つける

「なんて、もったいない!」とその女性は私の友人に言いました。この女性はサンディー・ミラー主教について、彼が教会の聖職者として任命されるまで、成功した法律家として10年勤めていたことを聞いてそう言ったのです。

もったいないだって?」と友人は不服そうに声を上げました。するとその女性は「ええ、そうよ。」と言うと「そんなもったいないこと!きっと彼は将来、法曹界でとても高い地位に就くことがきっと出来たでしょうに。どれだけのことが出来たか考えて御覧なさい!」と続けました。

「どれだけのことを彼がしたことか!」と友人は応えました。友人の思いの中には世界中の何千もの人々の人生を作り変え、結婚生活が豊かにされ、教会が刷新されたサンディーの働きのことがよぎっていました。それらの人々は信仰を、愛を、平和を見出したのです。それはサンディーの働きの結果としてイエス・キリストと出会ったことを通してでした。

多くの人々が、薄給かあるいは一銭にもならない、「フルタイムの務め」に就き、神に仕えようとして ― この世の目から見れば ― 前途有望な、素晴らしいキャリアや高い給与を手放しました。彼らはこの世が彼らに約束できるよりもはるかに上回る高い召しと目的があることを知っているのです。

もちろん、世俗的な場で働きながら神に仕えるように召されることも等しく高い目的と召しがあります。もし、彼らが神の国のために神を喜ばせることのためにそうするならばです。ことの核心は仕事や経歴ではありません。あなたが追い求めるゴールです。

余りにも多くの人々が人生を無駄にしています。彼らは目的を、意味を、ゴールを持っていません。ゴールを持っている人もいますが、間違ったゴールということもあります。彼らはそれを追い求めますが、究極的には意味がありません。多くの人々がはしごを上って行き、ゴールに到達することに成功するのですが、その結果気づくことははしごが間違った壁に立てかけられていたということなのです。人生の目的は財産や所有物よりもはるかに大切です。誰と一緒に生きるのかということは、何を求めて生きていくのかということに代えることはできません。

「あなたの人生で最も偉大な日が2つあります。一つはあなたが生まれた日、そしてもう一つはあなたがその理由を見つけた日」という格言の通りです。神はみこころの内にあなたを目的をもって創造されたのです。(2コリント5:5)


義と愛を追い求める

箴言21:17-26

今日、多くの人々が快楽主義の生き方に引かれています。「快楽主義」は最終的なゴールとして楽しみを追い求めるのです。快楽主義者は自分を楽しくさせてくれるモノに依存するようになります。

「あなたはゾクゾクすることの依存症になっていませんか?なんと空しい人生だろうか!快楽を追求しても決して満足できないのです。(17,MSG訳)」

楽しみを持つことは何も間違ってはいません。「知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。(20)」しかし、人間関係は金持ちであることよりはるかに重要です。「ご機嫌ななめの不機嫌な伴侶と居るよりも荒野にテントで住む方がうんと良い(19,MSG訳)」

あなたの人生の目的とゴールは物質的なモノの周りに探すべきではありません。むしろ。「正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る。(21)」あなたの人生の目的をそのようにしましょう。神との正しい関係と他者との正しい関係を追い求めるために。

皮肉なことに、義と愛を追い求める者たちは、快楽主義者が追い求める者を見出すのです。「いのちと正義と誉れとを得る(21b)」のです。しかし、それは副産物です。それらはあなたの目標や目的になるべきではありません。むしろ、神の国と義を求めるべきです。イエスは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)」と約束されたのです。

祈り:主よ。あなたの御国を求めず、快楽を求める人生に無駄に費やすことがないように助けてください。私が成す、すべてのことが義と愛を追い求めるものでありますように。


神に喜ばれることを目指す

2コリント5:1-10

パウロの人生の主な目標と目的は神に喜ばれることでした。「神に喜ばれることは中心のことです。そして、どんな状況にあったとしても、それはまさに私が目標として行っていることです。(9,MSG訳)」

あなたは肉体的な試練に直面するかもしれません。あなたの肉体は、以前していたように、将来できるとは限りません。ある日、「私たちのそれらの身体は」「テントのように取り壊され、折りたたまれます。それらは天の復活のからだに置き換わるのです。(1-2,MSG訳)」

あなたがイエス・キリストにあなたの信仰を置くとき、あなたは神の御国の祝福のすべてが約束されたのです。しかし私たちは依然として弱さと罪深さを感じ、また困難や欲求不満を感じ、未だに壊れた世界に生きているのです。あなたが将来、あるいは最後の日に待ち望むべき御国はどれほどの祝福なのでしょうか、そして現在、ここで今、あなたが経験するものはどれほどのものなのでしょう?

あなたが将来経験することととあなたが経験することの間にはバランスがあります。今、私たちは「主から離れているということも知っています。確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。(6-7)」やがて「死ぬべきものがいのちにのまれてしまう(4)」のです。あなたはまだ御国の祝福をすべて経験してはいないのです。

今、そうであっても、あなたは将来の前味を味わうことをこの時に経験するのです。神は「私たちをこのことにかなう(まさにその目的のための,NIV訳)者としてくださった」のです。そして、「神は、その保証(手付金,NIV訳)として御霊を下さいました。(5)」「神は、私たちが決して妥協することのないように、小さな天国をあなたの心に置いてくださいました。(5b,MSG訳)」その「保証」とは単なる口約束ではないのです。それは未だ受けていない神の祝福の一部分であり、神の統治と支配が私たちに及んでいるということなのです。それこそが御霊が私たちにもたらしてくださったものです。

「それが私たちがこんなにも元気に生きる理由なのです。…ここで、ぎゅうぎゅう詰めにされた状態でも私たちは落ち込みません。そんな状態だからこそ、私たちはやがてもっと広々とした状態があることを心に覚えることができるのです。(6,MSG訳)」

その間、「私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。(9)」「遅かれ早かれ…私たちはキリストの前に立ち、私たちの行動の結果の良し悪しの報いを受けることになるのです。(10,MSG訳)」

祈り:主よ。私の人生の焦点をこのゴールに合わせることができるようにお助けください。私のすること、考えることのすべてがあなたに喜ばれるものでありますように。


ミカの挑戦をクリアする

ミカ5:1-7:20

魂を無駄にするということがありえます。神はそのことを警告しています。

「節度を欠いた富…
だまし、ごまかして築き上げたもの…
どんなにあなたが得ても、それではあなたは満足できない―
胃袋を満たしても、心は空っぽ。
どんなにあなたが働いても、あなたは努力の跡をみることはない―
いのちを破産し、魂を無駄にする(6:10-14,MSG訳)」

その時、預言者ミカは将来を見ていました(たとえば、7:7-20を参照)。その時点で、彼はイエスについて、それとは知らずに預言していたのです(マタイ2:5-12)。彼は支配者ベツレヘムから現れるのを見たのです。「その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。…平和は次のようにして来る。(ミカ5:2,5a)」彼は「この世界に平和をもたらす者(4b,MSG訳)」として知られるようになるのです。

別の時、預言者ミカは時を振り返りました。彼は神がご自身の民に為されたすべてのことを見たのです(6:3以降)。神は彼らを贖いました。神は彼らを導きました(4)。神は彼らに「思い出す」ように促しました(5)。

神は圧倒されるような愛とあわれみの神です。「あわれみはあなたの得意とするところです。それがあなたの一番好むことです。そしていつくしみは私たちの行く道にあります。あなたは私たちの間違った行いを踏み消します。あなたは私たちの罪を大海の底に沈めてしまわれます。(7:18-19,MSG訳)」

イエスを通して、あなたの過去はすべて赦されました。後悔して後ろを振り返ってはなりません。神はすでに「すべての罪を海の深みに投げ入れて(19)」くださったのです。そして、その場所は「禁漁区」なのです。

この驚くべき恵みに私たちはどのように応答すればよいのでしょうか?ミカはこの挑戦を提示しています。「それは、ただ公義を行い誠実を愛しへりくだってなたの神とともに歩むことではないか。(6:8c)」この3つの挑戦が私たちに私たちの人生の目的とゴールを示しています。

  1. 公義を行う
    義は神の課題の上位に挙げられます。不正は今日、世界の苦難の大きな原因です。私はこれを自分の生活や私たちのコミュニティーの最優先事項にしなければなりません。私たちは貧しい者、隅に追いやられているもの、また声なき者が正義を受け取るのを見るように努めなければなりません。
  2. 誠実を愛す
    神は私たちにあわれみを見せてくださいました。私たちの応答は他者に対してあわれみを示すということであるべきです。ジョイス・マイヤーは次のように語っています。「人々は完全に演じなければならないという圧迫を必要とはされていません。彼らに必要なのは愛され、受け入れらることです。」私たちは、囚人、ホームレス、年老いた人、貧しい人を含む、出来るだけ多くの人々に神の愛とあわれみの福音のメッセージを取り運ぶ必要があります。
  3. へりくだって神とともに歩む
    あなたは自分自身を他の人よりはましで、上にあり、もっと重要だと見てはなりません。高ぶる人は自分の重要性を高く見積もってしまうのです。彼らは自分を冷静に見ることが出来ません。「自分のことに真剣に取り組みすぎてはなりません。神に真剣になりなさい(8c,MSG訳)」私たちは主との関係に歩むまでは、これらのどれ一つも為すことができません。

これら3つはともに為されます。真実な信仰はあなたの生き方によって明らかにされます。これがパウロが本当にすべきこととして「各自その肉体にあってした行為(2コリント5:10)」と書き表した理由なのです。それらの行為によってあなたは裁かれるでしょう。それらがあなたの信仰の証拠なのです。

祈り:私が正しい行い、愛とあわれみをもって、へりくだってあなたと共に歩むことができますようにお助けください。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, Everyday Life Bible, (Faith Words, 2013) p.1417