Tokyo Chapel

2018年6月25日

第176日

祈りの力

カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビーと「24-7祈り」の創立者ピート・グレイグは、ペンテコステの日曜日を控えた1週間、イギリス全土の福音宣教化のために、多くの教団教派の何十万人もの人々によって祈りがささげるように招きました。それは大きな祈りの波となりました。ペンテコステの日曜日を控えた週末には英国中で持たれたビーコン・イベントと呼ばれる集会に大聖堂に人が溢れるほどの人々がひしめきました。ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は人々に3つのことを祈って欲しいと語りました。「すべてのクリスチャンがイエス・キリストにある新しい人生を見出すように、…あなたが出会うすべての人々がイエスについて何かを知ることが出来るように…そして、教会がイエスの臨在の現実性をもって溢れるように。」です。

ピート・グレイグはこれを「大きなうねり:草の根から湧きおこった運動」と表現しました。彼はとても感動した話を耳にしたと語りました。それは、5人の友達のために祈ったある少年が、そのうち3人がクリスチャンになったというのです!

祈りは霊的な栄養です。育ち盛りの少年たちに胃袋を満たす食べ物が必要なように、魂には霊的な食べ物が必要です。祈りは私たちを変えます。しかしながら、聖書はそれよりももっと多くを語ります。祈りは力強いということです。チャールズ・ハッドン・スポルジョンが言った通りです。祈りとは「全能の筋肉を動かす細い神経である。」祈りは環境を、他の人々を、そして歴史の道筋さえも変える力なのです。


祈りはあなたの環境を変える

箴言15:21-30

神は「神に忠実な人々の祈りのそばに寄り添う。(29,MSG訳)」私たちの祈りには、何かを起こし変えていく力があります。「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。(29)」箴言の作者によれば、「正しい」とは「まっすぐに歩む(21)」ことであり助言に耳を傾け(22)、思いを清くする(26)ことであると言えます。それは「祈りに満ちた数々の答え(28,MSG訳)」を伴う人々の応答を意味します。

祈ることと注意深く計画を練ることは互いに対立するものではありません。神と語り合うのと同様に、他人からのアドバイスを得ることは賢明なことです。「密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。(22)」

イエス・キリストを信じる信仰による神の義(ローマ3:22)をクリスチャンは得ました。ですから、その祈りを神はお聞きになります。あなたの行くところどこにでもあなたは祝福をもたらすのです。「(心が喜びで満ちた人の)目の光は他者の心を喜ばせ、良い知らせは骨を健やかにする。(30,AMP訳)」

祈り:主よ。私の祈りを聞き、答えてくださることを感謝します。主よ。今日、私は祈ります…。


祈りは人々を変える

使徒16:16-40

初代教会がなぜこれほどに力強いのでしょうか?確かな理由として、初期の信じる者たちの祈りの生活に答えがあります。

  1. 常に祈る
    彼らは「祈り場」と呼ばれる場所を持っていました(16)。彼らは、一緒に集まり、定期的に祈ったのです。それは、自分たちのための祈りをしたのではなく、互いのために祈ったことが示唆されます。
  2. イエスの名によって祈る
    クリスチャンの祈りが力強いのは、私たちは自分の名前で祈るのではなく、イエスの御名によって祈るからです。

    パウロはピリピの町で、占いをしていた女にずっと付きまとわれました。この女は明らかにオカルトにはまってしまい、悪霊の影響のもとにありました。その瞬間、悪霊は彼女から離れ去りました。イエスの名には権威と力があるのです。数日ののち、ついに、パウロは彼女がもはや際限のない繰り返しに区切りをつけました。パウロは振り返って言いました。「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け(18)」その瞬間に悪霊は出て行ったのです。

    イエスの御名には実に力があります。悪しき霊の力を取り扱う唯一の方法はイエスの御名によることです。イエスに対抗し得る悪霊はありません。イエスは私たちを悪霊の力から自由にしてくださいます。主はこの若い女の人生を全く作り変えてくださいました。悪霊は去り、正気に戻ったのです。(18)

  3. あらゆる状況で祈る
    この女は、彼女を所有している者たちの奴隷でした。彼らは女が占いをすることで多額の金銭を巻き上げていました。主人たちは彼女の超自然的な力が失せたので怒りました。彼らは「パウロとシラスを捕らえ」、「引き立てて行った」のです(19-20)。彼らは群衆を彼らに反対するように扇動しました。

    「群衆もふたりに反対して立った(22)」のです。もし、私たちが変化を起こし始めるなら、人生はいつも容易ではおれなくなります。私たちの視点のいくつかは、あまり一般的とは言えませんし、法に反しているように見えることもあります。「反対(攻撃)」があったからといって間違ったり、失敗しているわけではないのです。むしろ、それは成功のしるしかもしれません。

    行政長官はふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、「鉄の足かせを彼らに着け(24,MSG訳)」看守には厳重に番をするように命じました。

    牢の看守は、やって来る囚人が、いつも怒り、呪い、ののしるのを見ていました。しかしそれとは対照的に、パウロとシラスは、「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌(25)」いました。祈りと賛美のコンビネーションには偉大な力があります。

    大地震が起こり牢のとびらが全部開いてしまいました。係りの看守は全員が脱獄したと思い、責任をとらされることを恐れて自害しようとしました。パウロは自由になれる状態にありましたが、それに代えて、とどまることを選び、看守をキリストに導いたのです。

    パウロがすべての囚人がここにいると看守に告げると、「救われるためには、何をしなければなりませんか(30)」と看守は尋ねました。これは、伝道のチャンスが到来したのだと、パウロは看守にしなければならないことを説明し、やがて、彼の全家族はイエスを信じ、バプテスマを受けました。

    瞬く間に、彼の人生は変わり始めました。看守にあわれみが現れました。彼はパウロとシラスの傷を洗い(33)、彼らを食べさせ(34)ました。彼と彼の全家族は「神を信じたことを心から喜んだ(35)」のです。彼はクリスチャンとなったことを公に表すことを望みました。彼はピリピの教会の創設者の一員となったのです。

    これらの出来事は明らかに超自然的な出来事です。パウロは言葉という人間の営みの背後にある神の目を見張る力を見たのです。

    このエピソードの締めくくりは、パウロとシラスがローマの市民であると知らなかったこと、それゆえに、彼らの取り扱いが違法であったことを長官が直々に詫びるシーンで終わっています。「判事たちはパニックになり、…陳謝し、彼らを直々に牢からエスコートした。…パウロとシラスはルデヤの家に直行し、彼らの友らと再会した。信仰にあって彼らを励まし、それから彼らの道へと去って行った(38-40,MSG訳)」

祈りは私たち自身の人生を変える力だけではなく、状況、出来事、そして他者の人生をも変える力なのです。

祈り:主よ。私たちがもっと初代教会のようになることが出来ますように。私たちをいつも祈りの場へと導いてください。あなたの御名によって祈ることができますことを感謝します。主よ。祈りと礼拝が私たちが為すすべてのことを底支えしますように。


祈りは歴史を変える

1列王14:21-16:7

祈りによって過去に起こったことを変えることができないのは、もちろんのことです。しかし、これから起こる出来事を変えることは出来ます。

列王記の中に記されている神の民の歴史は、二つが入り混じています。あらゆる箇所に「主の目の前に悪を行った(14:22; 15:26,34; 16:7)神の民の姿が描かれています。彼らは罪を犯しました。(例えば、14:22b、15:26,30,34、16:2)この国には神殿男娼もいました(14:24a)。すべての忌みきらうべきならわしをまねて行っていた(24b)のです。イスラエルとユダの戦火は絶えず(30、15:6,32)、王の心は「主と全く一つにはなっていなかった(15:3)」のです。

そのような中でもアサ(15:9-24)は特筆すべき例外でしょう。「ダビデのように、主の目にかなうことを行いました。(11)」彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いたのです(12)。

その記事の中には心惹かれるコメントが記されています。「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。(4-5)」と記しています。

ダビデの祈りはその死後も世代を超えて神に届いたのです。神はダビデの祈りを世代を超えて答えてくださったのです。

神がダビデに「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(2サム7:16)と告げた時、ダビデは「どうか、神、主よ。あなたが、このしもべとその家について約束されたことを、とこしえまでも守り、あなたの約束どおりに行ってください。あなたの御名がとこしえまでもあがめられ、『万軍の主はイスラエルの神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立つことができますように。(25-26)」と祈りました。

主はダビデの祈りを聞き入れました。ダビデの祈りのインパクトは歴史の道のりを変えたのです。ダビデは正しい人生を歩みました(「ヘテ人ウリヤのことのほかは」)。さて、新約聖書には、イエスを信じるすべてのものはダビデが得た立場よりももっと素晴らしい立場があるのだと告げられています。イエスの死と復活を通して、あなたは神の前に義とされました。神は義人の祈りを聞かれます。ですから、イエスのゆえに、あなたの祈りもまた歴史の道筋を変えることが可能なのです。

祈り:主よ。私たちの町を国をあなたに立ち返らせてください。私は、あなたに全き献身をもって、私たちの世界に悪を退け、平和と正義をもたらす、政治家や指導者を起こしてくださるように祈ります。

H.K