Tokyo Chapel

2019年12月8日

第342日

切なる求め

あなたは神と親密な関係を持つために創られました。イエスはそうできるように来てくださったのです。時々、私は自分が他のことに紛れて気が散っていることに気づきます。神のの私の仕事でさえ、私と主との関係から気を逸らすのです。他方、私はとても神の臨在、あわれみと恵みに飢え渇きます。私達はこの切なる求めが自分の中にあることに気づくとき、神の臨在以外に満足できるものがないのです。


神の思いを切に求める

詩篇139:17-24

毎朝目が覚める度に、神があなたと共におられ、神があなたに語りたいと願っておられることを知ることは驚くべき祝福です。「あぁ、朝に私の目を覚ましてください。そして、いつもあなたと共に生きることができますように!(18,MSG訳)」これが毎朝まず第一に聖書を読むことを愛する理由です。私は神の御思いを知りたいと切望するのです。

ダビデは神を切に求めました。彼は神の御思いを知りたかったのです。「神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。(17-18)」

ダビデはまた、どのような道にあっても神に反することをしないことを切に求めました

私を探ってください。あぁ、神よ。私の心を知ってください。
私を確かめ、私の心配な思いを知ってください。
私の中に反逆する思いがどれほどあるかどうかを見てください。
そして永遠の道へと導いてください。(23-24)

祈り:主よ。私はあなたの御思いを知り、あなたの御声を聞くことを切に求めます。あなたの臨在に私を入れてください。私は祈ります。あなたのみもとに引き寄せてください。


神の真理を切に求める

ユダ1:1-25

以前、私は「新天地」と呼ばれる韓国の不正直で騙すカルトが私達の教会や、世界中の教会に忍び込もうとしていることを発見しました。これらの偽りの教師たちは若い人々を「聖書の学び」に招きます。そして彼らを迷わせ、他の人々を騙すように教えます。

ユダは神の真理に留まるように、そして、偽りの教えによって迷い出ないようにと導くことを自分の読者たちに切に願います。「私は主張して書かねばなりません。― お願いです!― あなたがこの信仰のために戦っているすべてのことは、守り大切にするための賜物として私たちに委ねられているのです。」(3,MSG訳)

ユダは自分の読者に、彼らが初めに与えられた教えにしっかりと留まるように、そして、「信仰のために戦うよう(3)」に勧めます。真理が本当に大切です。あなたはそれを委ねられたのです(3)。あなたは、にせ教師や偽りの教えに対抗して真理のために戦わなければなりません。それはなぜでしょうか?

第一に、私たちは神の裁きが彼らの上にあり、それは厳しいということを知っているからです(5-10)。第二に、私たちは彼らがする妨害を知っており、それもまた深刻であることを知っているからです(11-16)。「(彼らは)教会を分裂させ、自分たちのことしか考えていません(19,MSG訳)」

ユダはにせ教師と偽りの教えの特徴を記述しています。典型的に、カルトは少なくともこれらの内の一つに該当します。

  • 彼らは騙す。彼らは「ひそかに忍び込んで来た(4)」
  • 彼らは権威を拒絶する。彼らは「純粋な恵み」を「全くの方便」に置き換えたいです(4,MSG訳)。
  • 彼らは「私たちのただ一人の主(4,MSG訳)」としてのイエス・キリストを否定します。
  • 彼は「自分には理解もできないことをそしり(10)」人を見下します。
  • 彼らは「自分の気分次第で好き勝手なことをします(10,MSG訳)」
  • 彼らは不道徳です。「恥ずかしげもなく大酒盛りをします。(12,MSG訳)」
  • 彼らは「ぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。(16)」
  • 彼らは「その口は大きなことを言い(16)」
  • 彼らは「利益のためにへつらって人をほめるのです。(16)」

神の民は神の真理を切に求める者であるように勧められています。この手紙の書きだしと締めくくりに神との親密さについて、そして神の真理を切に求める者としてどのように生きればよいのかについて記されています。

私はこの手紙のユダの書き出し方が好きです。ユダは自分を「イエス・キリストのしもべ(1)」と自己認識しています。イエス・キリストに仕える機会として毎日を見ることほど素晴らしい召しや解放感のある仕事はありません。

ですから、ユダは自分の読者に彼らは父なる神によって「召され」、「愛された」者であることを、そしてイエス・キリストによって留まることを再確認しているのです(1)。これはすべてのクリスチャンにとって真実です。彼が自分の読者に願ったことは、「あわれみ平安が、…ますます豊かに」なることでした(2)。もし、聖書全体の中でこれらの節しかなかったとしても、私たちは私たちの人生の残りをそれらに託して思い巡らすことでしょう。

ユダは次のことを勧めて筆をおきます。

  • 真理を学ぶ:「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ(20)」
  • 祈る:「聖霊によって祈り(20)」聖霊は私たちを真理に導きます。
  • 神の近くに留まる:「神の愛のうちに自分自身を保ち(21)」
  • あわれみ深くある:「罪人に優しく接しなさい。しかし、罪に染まってはなりません。(23,MSG訳)」

祈り:主よ。私たちがあなたの真理に留まることを切に求め、信仰のために戦うことができますように。(3)


神の正義と神の祝福を切に求める

ゼカリヤ5:1-8:23

ゼカリヤは神の裁きと神の正義(5章)を必要とすることを警告しました。ここにも預言者が予見した神殿の再建と神の民の真ん中に神の臨在が回復される大いなる希望があります。

大祭司ヨシュアはキリストの予表です。彼は頭に冠を頂いていました(6:11)。そして彼の名は「若枝(12)」でした。彼は主の神殿を再建し、尊厳を帯びて、王座に着き支配します。彼は王座において祭司となるのです(13)。メルキゼデクのように、彼は王であり、祭司の役割も果たすのです。それは究極的にはイエスにおいて成就します。王の王(黙示録17:14)」であり「私たちの偉大な大祭司(ヘブル4:14)」です。

あなたは、過去の神の民のように、あなたの行動をきれいに整理して、すべて正義を行うように召されたのです。「正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。(ゼカリヤ7:9-10)」

神の心の中にはそのような熱心さがあります。それは主ご自身の心の中のふちを超える切なる求めであると言っているのと同じです。「万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。…わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。』(8:2-3)」

万軍の主は神の民のための驚くべき未来について語ります。平和、調和、繁栄、喜び、真理があるのです。その時、過去の民も、今、私たちも、これらの祝福のあるものは今であり、あるものはまだです。神は言います。「 しかし、は、わたしはこの民の残りの者に対して、先の日のようではない。(11)」そして「このごろ、わたしはエルサレムとユダの家とに幸いを下そうと考えている(15)」と。

あなたは、キリストとの結びつきを通して今多くの祝福を経験しています。しかし、祝福のある部分は将来、新しい天新しい地でフルサイズで経験するのです。

しかしながら、今まさに、私たちはこの祝福を取り運ぶ働きをすべきなのです。「ユダの家よ。イスラエルの家よ。…わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。(13)」

たとえば、神はすべての年代に関心をもっておられます。私たちもまた、若い者にも年配者にも関心を持つべきです。「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。」

再び、神は真理と平和に関心をむけます。そして、私たちもまた、これらのことに関心を持たねばなりません。「これがあなたがたのしなければならないことだ。互いに真実を語り、あなたがたの町囲みのうちで、真実と平和のさばきを行え。互いに心の中で悪を計るな。偽りの誓いを愛するな。…だから、真実と平和を愛せよ。(16-19)」

結局のところ、神は、ご自身の臨在の祝福をできるだけ多くの人々が経験することに関心を持っておられるのです。あなたは、あなたの周りの人々にとって、彼らがまだキリストを通して神を知らなかったとしても祝福となるべきです。そして、あなたの行動と言葉によって神を指し示すのです。神が為されたことを見て他の人々が違いに気づくなら、彼らは主に従うようになっていくでしょう。「万軍の主はこう仰せられる。『その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、「私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ」と言う。』(23)」

あなたが神の愛、正義、祝福の管となりたいと切に求めるとき、他者も神の臨在を知りたいとやってくるのです。

祈り:主よ。私たちはあなたを切に求め明日。どうか、あなたの教会をご自身の臨在で満たしてください。私たちが貧しい者や困窮した者に奉仕する場であり、真理と平和の場であり、人々が友や家族を連れて来る場でありますように。なぜなら、彼らが「神があなたと共にいます。」と聞いたからです。アーメン。

H.K