Tokyo Chapel

2018年7月8日

第189日

神に聴く

私たちのすべての関係において、聴くことはとても大切です。哲学者にして神学者でもあるパウル・ティリッヒは「愛の最初の義務は聴くことである。」と言いました。

ある人々は聴くのがとても上手です。ジョージ・マーシャル将軍は、「人を扱う公式」として次のように挙げました。

・人の話を聴く
・人の話をすべて聴く
・人の話をすべて最初に聴く

神に聴くことは、あなたと神との関係にとって大切な鍵の一つです。「聴く」ということは注意深く聞くこと、注意を払うことを意味します。祈るとは、まずあなたのすべてを尽くして神に関心を払うことを意味するのです。


詩篇を通して神の語りかけを聴く

詩篇81:8-16

空腹を満たすことが出来るのは食事を摂ることであるように、霊的な渇望を満たすことができるのは神のことばを聴くことです。「イスラエルよ。よくわたしの言うことを聞け。(8b)」

神の言葉はあなたの霊的な渇きを満たします。神は「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。(10)」と約束されました。もしあなたが聴くなら「主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせる。『わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。』(16)」と言われます。

一方で、神は「聞け。わが民よ。(8)」と呼びかけました。神はあなたに最上のものを願っておられ、神の言葉を無視する危険性を警告しておられるのです。さらに神は続けます。「しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんぱかりのままに歩かせた。(11-12)」神に聴かなかった結果は、自分自身が蒔いた結果を刈り取るということに引き渡されるということです。(ローマ1:21、24参照)

もう一方で、あなたが神のことばを聴こうとするとき、神は私たちに代わってご自身の業を為してくださいます。「ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。(13-14)」

祈り:主よ。あなたは毎日、あなたに聴くことが出来、「最上の小麦」をもって私たちの霊的な空腹を満たしてくださることを感謝します。あなたが語ってくださることに日々注意を傾けることが出来ますように。あなたが私に代わって為してくださることに信頼します。


使徒たちを通して神のことばを聴く

使徒26:24-27:12

使徒パウロは神のメッセンジャーでした。神は彼を通して語りかけます。この箇所を通してパウロから聴く者は、神に聴く機会を得るのです。

パウロがローマに向かって航海に出る際に、百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した(11)のです。パウロのことばをないがしろにした彼の失敗は破滅的でした。

この箇所の最初で、私たちはフェストやアグリッパの前に引き出された鎖につながれたパウロを見ます。パウロは良き知らせを告げました。彼はイエスについて、その死と復活を説きましたが、フェストは「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言いました(26:24)。「パウロよ。お前はクレージーだ。(24,MSG訳)」と言ったのです。クリスチャンは「ちょっとクレージーな人」だと、ある人々はいつも思うのです。それは今もそうです。

パウロは「気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。(25)」と答えています。彼は「ええ、そうなんです。ちょっと狂ってるんですが、私は信じているのです…」とは言いませんでした。彼は、自分の信仰が道理を逸したものであるという示唆を受け入れることを拒みました。

パウロは信仰の理にかなった基盤をもって議論しています。イエス・キリストが死からよみがえったことを信じることにはもっともな理由があるのです。私たちに信仰は「真実で理にかなっている(25,NIV訳)」のです。私たちは論理的で理性的な議論を恐れるべきではありません。私たちは理性的に福音を提示していく必要があるのです。

しかしながら、理性的であるだけでは不十分です。ニッキー・ガンベルはクリスチャンになる以前、信仰についての議論や理由を聴きました。それは彼の疑問のすべてには答えていませんでした。そうであっても、彼はイエスについて聞いたことを土台として信仰の一歩を踏み出しました。信仰の一歩を踏み出した途端に、あたかも彼の目が開かれたように、今まで見えていなかったものが理解出来るようになったのです。理屈だけでは限度があります。しかしながら、私たちが人々にイエスに従うことを促そうとする時は、パウロがしたように、イエスについてのメッセージが「真実で理にかなっている」ことを説明することが大切です。

アグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言いました(28)。それに対してパウロは「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。(29)」と答えています。

パウロは人々がクリスチャンになるのに、危機によってか(短期間で)、あるいはプロセスを経てか(長期間で)を気にしてはいません。ただ彼は、自分のように、人々がクリスチャンになることを促すことに全力を傾けたのです。パウロは人々が自分のようになるようにと祈ることについて決して恥じてはいませんでした(ガラテヤ4:12)。

パウロは「死や投獄に相当することは何もしていない(使徒26:31)」のですが、文官たちは、情けないことに、パウロを釈放することが出来ない言い訳に終始しました(32)。

これは不当なことであり、理にかなっていません。パウロにとっては大きな欲求不満をもたらしたに違いありません。

けれども、2000年の時を経て、私たちはそのような状況でパウロの語った言葉に耳を傾け、それらの言葉を通して神の語りかけを聴く機会を持つことが出来るのです。

祈り:主よ。私たちがパウロのような信仰と情熱を持つことが出来ますように。私たちがイエスについての良き知らせを告げる時、人々が語る言葉に耳を傾けた、彼らが神の言葉を聴くことが出来ますように。


預言者を通して神の語りかけを聴く

2列王16:1-17:41

イスラエルの民は、神のことばをないがしろにしたので、神は彼らが捕囚の民となるに任せました。

列王記第2のこの時代の歴史を一言で言えば「聞かない」時代と呼んでもいいでしょう。「しかし、彼らはこれを聞き入れず、…彼らは聞かず。(17:14,40)」昨日、私たちが見たように、王たちや神の民が遭った問題は、彼らが神の言葉に聴こうとしなかった結果です。

神はご自身の民に、しもべである預言者を通して語ります。「主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。『あなたがたは悪の道から立ち返れ。…』しかし、彼らはこれを聞き入れず…。(13-14)」

これが、彼らが捕囚の民となってしまった理由です。「こうなったのは、…彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、…イスラエルの人々は、彼らの神、主に対して、正しくないことをひそかに行い、…(7-9)」

「彼らは…主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。(15)」神のことばを聴くことを忘れたイスラエルは神の臨在を失いました。そしてアッシリアによる捕囚の民となってしまったのです。「主はイスラエルのすべての子孫を…ついに彼らを御前から投げ捨てられた。…そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。(20,23)。

私たちがしばしばそうであるのと同じように、彼らは自分たちの罪についてあまりにも鈍感であったのです。「彼らは主を礼拝し、…同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていた。…彼らは主を恐れているのでもなく、主が、…命じたおきてや、定めや、律法や、命令のとおりに行っているのでもない。(32-34)」「しかし、彼らは聞かず、先の彼らのならわしのとおりに行った。(40)」

ジョイス・マイヤーはこう記しています。「あなたは、神があなたにするように何を願っておられるかを無関心で、罪があなたの生活を侵食するままにしてしまったことはありませんか?私たちの敵、悪魔にあなたを罪と不従順の虜にさせるがままにしてはなりません。それはあなたを破滅に導きます。

悲劇は、神の本当の願いは彼らを祝福することであるということです。神の命令と御教えは、彼らが実り豊かになるように与えられたものなのです(申命記6:1-3)。私たちはこのような顛末をイスラエルやユダの他の王にも見ることが出来ます。列王記第1と第2の作者は、それぞれの王が神の思いにかなったかどうかの簡単な評価を与えます。イスラエルの王は一人残らず「主の目の前に悪を行った」(2列王17:2)と描かれています。そして王国の初期の破壊を導いたのです(8)。

それとは対照的に、ユダの王たちの半分は大まかに積極的に、あとの半分は消極的に描かれています。「良い王たち」のもとでユダは繁栄し、その歴史はイエスラエルよりも長く、積極的です。良い王たちの治世は、一般的に悪い王たちよりも長く、悪王は12人で130年間、良い王は10人で343年間でした。

良い王たちの治世であっても様々な困難や試練がありました。神に従うことは安易な生活を保証するものではありません。それでも、これらの例は、私たちに神に聴き、神に従うことの祝福と知恵を思い起こさせます。

祈り:主よ。あなたが語られることを注意深く聴くことが出来ますように。私を隠れた罪から解き放ってください。すぐにあなたに助けを求め、罪が私の生活に入り込むことを許すことが無いように守ってください。私が周りの人々がしているからといって安易に流されることが無いように助けてください。むしろ、あなたの声に聞き従い、あなたの臨在を喜び楽しむことが出来ますように。アーメン。

H.K

References

Alfred Montapert, Distilled Wisdom: An Encyclopedia of Wisdom in Condensed Form, (Prentice Hall, 1964), p.241

Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2013) p.593.