Tokyo Chapel

2018年1月4日

1月4日 第4日

闘いと祝福

30年ほど前に、ある説教者がクリスチャンの生活について語りました。それは「闘いと祝福、闘いと祝福、闘いと祝福、闘いと祝福、そして闘いと祝福…。」というものでした。

私は「一体いつまで同じことを繰り返すつもりだろう」と感じましたが、その説教は、いつまでも心に刻まれる記憶を残しました。私たちが闘いの最中にある時、闘いが永遠に続くように思いがちです。一方、祝福の内にある時は、それが永遠に続くことを期待しがちです。しかし、実際はそうではありません。多くの闘いそして多くの祝福があるのが人生です。

リック・ウォレン牧師はクリスチャンの生活は闘いと祝福の連続だと思っていたけれど、今は祝福と闘いの二つのレーンが同時に続いているのだと考えていると言いました。人生の一瞬一瞬は通常は祝福があるのだけれど、同時に闘いにも面していると。

彼がベストセラー「人生の目的」を出版した時、それは大きな祝福でした。爆発的に売れ、莫大な影響を彼にもたらし、それは大きな祝福の例でした。しかし、同じ頃、彼の妻のケイがガンであることが分かりました。祝福と闘いは別々にではなく、同時に起こっていたのです。


闘いと祝福の中で舵を取る方法を学ぶ

箴言1:1-7

箴言の書かれた目的が最初に記されています。「これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するため(1:2)」と。箴言は実践的な知恵を与えてくれる書物です。それは、「わきまえのない者」にも「知恵ある者」にも有用な知恵です(4-6)。

箴言に記されている格言の数々は生活がどのようなものかを教えてくれます。一般的には、敬虔さ、高い道徳、勤勉は報いと祝福という報酬をもたらします。でもそれは地上で手に入れることができると保証されているわけではありません。箴言は実用的であり、人生経験から得られた賢いアドバイスなのです。

箴言は「知恵と訓戒(2,7)」を達成するための力を与えてくれます。それは一朝一夕でなされるものではありません。

この書の目的は「あなたが正しい航路に舵をとる(5,AMP訳)」ことができるようにすることです。知恵とは人生の闘いと祝福を乗り越えていく航海術と言えます。そして、どのような条件のもとでも自分を見失うことなく生きることに熟達するのです。ジョイス・マイヤーは「知恵とは、のちになって幸せになることを、今選択することである」と言っています。

知恵の始まりは「主を恐れること(7)」です。この「恐れる」という語は「尊敬する」とも訳せることばです。主を神として栄誉をもって崇敬することを意味します。あなたが学ばなければならない最も大切なことは「神とともにスタートする(7a,MSG訳)」ことです。

祈り:主よ。これから遭遇する闘いと祝福の中を乗り切る舵の取り方を私に教えてください。


イエスが闘いと祝福をどのように取り扱ったかを学ぶ

マタイ4:1-22

イエスの働きはバプテスマを受けたときに聖霊がくだり、祝福を受けたことから始まりましたが、すぐさま闘いが続きました。(これは、聖霊による素晴らしい体験のあとにしばしば起こることです。)

「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(4:1)」最初の試みは言葉によるものでした。「あなたが神の子なら(3,6)」と悪魔はイエスの立場に付け込んで誘惑しようとしました。それは父なる神を試すものであったとも言えます。時々、悪魔は私達にも「もし、お前がクリスチャンなら、もっとましな生き方をすべきだろう」とか「もし、神がすべてを赦したというなら、どんなことをしたって構いはしないよ」とか言うのです。その時は、イエスの例に学びましょう。

イエスは3度の強烈な試みに遭われました。

  1. 安易な満足(富)
    私たちに安易な満足を与えるものがあります。しかし、それは後々虚しさを残します。イエスは40日40夜断食をして備えました。当然「空腹を覚えられた(2)」のです。悪魔はその弱みに付け込もうとしました。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。(3)」それに対してイエスは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。(4)」と対抗しました。パンはもちろん必要ですが、それだけで十分ではありません。物質的なモノは満足を与え得ないのです。「神の口から出る一つ一つのことば」こそが私たちの深い霊的な飢え渇きを満たすことが出来るのです。私たちには定常的な目に見える食べ物よりも定常的な霊的な食べ物こそ必要なのです。
  2. 注意をひくことを求める(宗教)
    次に、悪魔はイエスに神殿の上から飛び降りることを求めました。それは何か劇的なことが起こることへの誘惑です。悪魔は詩篇91篇を引用して(但し文意を離れています。)そそのかそうとしました。イエスはこれに対して「あなたの神である主を試みてはならない(7)」と文意に沿った引用によって封じました。
  3. 間違った手段(政治)
    第三に、悪魔はこの世のすべてを見せて「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。(9)」と誘惑しました。これは、神ご自身では飽き足らないとする試みであり、間違った手段によってイエスの使命をうやむやにしてしまう手口です。イエスは「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。(10)」と申命記の聖句を引用して命じました。

どの試みにもイエスは申命記6-8章からの聖句を用いて対処しました。イエスご自身はこれらの聖句を学んでおられたのでしょう。あなたも聖書を学ぶとき、神のご性質とあなたへの神の恵み深い計らいが分かります。そして主との関係がさらに深まるのです。これがあなたを悪魔の嘘から守ってくれます。そして、悪魔の誘惑に対抗するために、あなたを助け、あなたを整えてくれるのです。

これらの闘いが終わると、「御使いたちが近づいて来て、イエスの必要を満たした(10,MSG訳)」のです。イエスは、その祝福を味わいました。しかし、それもつかの間、イエスはバプテスマのヨハネが捕らえられたことを耳にします(12)。いとこがその言動の故に捕らえられたという知らせはイエスをどれほど衝撃を与えたことでしょうか。

しかし、イエスはひるむことはありませんでした。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。(17)」とバプテスマのヨハネが捕らえられた理由となったまさにそのメッセージを語り始めたのです。イエスは直面する闘いに恐れることなくくじけずに立ち向かったのです。

人生とは攻撃に対してただ防御するだけのものではありません。前に向かって進んでいくものです。イエスには使命がありました。イエスは与えられた使命のためにまずチームを形成したのです。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。(19)」漁師であった彼らは「すぐに網を捨てて従った(20)」のです。それは心躍る瞬間でした。イエスのミニストリーは実に大きな祝福とともに始まったのです。

祈り:主よ。闘いと祝福をイエスの例に従って導いてください。みことばを身につけることを通して誘惑に打ち勝ち、イエスのメッセージを宣べ伝えていく勇気を得ることができますように。


闘いと祝福に人がどのように対処したかを学ぶ

創世記7:1-9:17

クリスチャンとは前向きな人々です。闘いに勝る祝福が今日の箇所に、そして聖書全体の中に貫かれているのを見てそういうことができます。今日の箇所は、そして聖書全体は4つの大きなテーマを持っており、その一つだけが闘いを生み出した「堕落」という消極的な内容であり、他の三つはすべて積極的な祝福です。

  1. 創造
    人間は神の姿に似せて創造されました(9:6b)。人間の人生には気高さと尊厳があります。すべての人の人生には価値があるのです。ですから人の命を奪うことは深刻な結果となるのです(9:5,6)。すべての人は尊敬に値し、尊厳を有しているのです。
  2. 堕落
    ノアは大きな闘いに直面しました。ほぼ全人類を飲みつくした洪水と破壊です。40日40夜(それはイエスが試みに遭った期間と同じですが)、雨が降り続きました(7:4)。神の裁きは深刻な罪によるものでした。「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。(8:21)」
  3. 贖い
    洪水という闘いがありましたが、ノアは神の愛の祝福を楽しんだのです。「ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った(7:23)」のでした。新約聖書のレンズを通して、箱舟はキリストにバプテスマされることを意味していることに気づきます(1ペテロ3:18)。箱舟にいたものが助かったように、キリストにあるものが救われるのです。それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」(9:1)
  4. 栄化
    神は彼らに契約を与えました(9:9)虹は神の約束のしるしです(13)。それは究極的には、血のよる新しい契約である十字架へと導きます。それはまさしく「永遠の契約(16)」なのです。

祈り:主よ。闘いの末に、ついにはあなたの祝福が用意されいることを感謝します。私の闘いは重くはなく、一時的です。しかし、その先には永遠の栄光が待っていること(2コリント4:17)を思い起こさせてください。アーメン

H.K

References

Joyce Meyer, 100 Ways to Simplfy Your Life, (Faithwords, 1987) p.152