2019年2月7日
第38日
用いるか、失うか
マイラ・ヒンドレーは20世紀の最も悪名高き殺人者の一人です。その犯行は信じられないくらい恐ろしいものでした。しかし、彼女が収監されている間、定期的に訪問するひとりの人物がいました。
ロングフォード卿(1905-20019はマイラ・ヒンドレーを始めとして、多くの時間を割いて受刑者たちを訪問し物議を醸しました。しかし、神に対する、そして訪問相手に対する彼のあわれみと誠実さを疑う者は誰もいませんでした。
彼が死んだとき、かつて囚人であった何百という弔問者が、社会に見捨てられた人々のために自分の人生を捧げて誠実に闘った男に別れを告げるために集いました。
彼は、今日の箇所のイエスの言葉からインスピレーションを受けました。彼の死に際に、彼は妻に尋ねました。「あなたは聖書からの最も重要な引用箇所を知ってるかね?」彼は自分が発した問いの答えを最期のことばとして残して逝きました。「わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。(マタイ25:36)」
人生はあなたが勝ち取らなければならない競争ではありません。それはきりのない猛烈な出世競争ではないのです。人生は大きな特権と機会です。神はあなたに賜物と能力を、あなたが持つことを願って託しておられます。それらを用いるか、失うかです。神は私たちに対して誠実であり、そして私たちが神に忠実であることを期待しておられるのです。
神の誠実さ
詩篇18:43-50
プラトンは「親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。」と言いました。聖書は、常に親切であるべきさらに大きな理由を与えています。神は常に私たちに親切です。神の誠実さにおいて、「尽きることのない親切(50)」を私たちに見せてくださるのです。
ダビデは人生を振り返って自分に対しても、彼の子や孫たち(ダビデとそのすえ)に対しても「主は、…とこしえの恵みを施されます。(18:50)」と言うことができました。神は「民の争いから、私(ダビデ)を助け出し」ました(43a)。神はダビデにリーダーシップの立場を与え、大きな責任をゆだねました(43b)。
神はダビデに「偉大な勝利(50,NIV訳)」を与えました。彼を救い、彼の名を高めたのです(48)。ダビデはこの詩篇を礼拝する時のために作りました。「あなたの御名を、ほめ歌います。(49b)」それはご自身が油注いだ者に対する誠実さのゆえに神に感謝するためです。(50b)
あなたもまた「油注がれた者(50)」です(2コリ1:21-22、1ヨハネ2:20)。神はあなたに永遠の恵み(詩篇18:50)をもたらしてくださいます。神はいつも親切です。そして、もしあなたが神のようになりたいなら、他人に対していつも親切であることにトライすることです。
祈り:感謝します。主よ。あなたの誠実さのゆえに。あなたは私に尽きることのない親切をみせてくださいます。私が出会うすべての人に親切にすることができるように助けてください。
誠実な生活
マタイ25:14-46
あなたはどのようにして「忠実(21,23)」であることができるのでしょうか?
- それらを使うのか、それとも、失うのか
神は気前よく、親切です。神は多くを私たちに与えます。「タラント」は20年分の給与に相当する金額です。1タラントを託された人でさえ十分に大金です。このたとえにおいて、タラント(この言葉からタレントという言葉が生まれました。)は単にお金のことではなく、あなたの才能、能力、時間、エネルギー、教育、知性、力、影響力、機会などを指しています。
神があなたに与えたどんなものにも忠実を尽くすことが大事です。あなたが与えられた以上のものを欲しがるのは良くありません。あなたはシンプルにあなたに与えられたものでベストを尽くすことに召されているのです。
忠実であるということの意味は神があなたに与えた賜物や能力を用いることです。私たちは、主人に対して不信感を持った三番目のしもべのように、「こわくなり(25)」タラントを用いることを恐れてしまう誘惑があります。私たちは失敗や他人が自分のことをどう思うだろうかと心配してしまい、あるいは、仕事や責任がきつくなることを恐れてタラントを隠してしまうのです。
「あなたが人生の中で犯しうる最も大きな間違いは、間違いを犯すのではないだろうか恐れ続けることである。」ということわざがあります。
5タラント受け取ったしもべと2タラント受け取ったしもべは、それらをすべて失ってしまうリスクがありました。あなたの賜物を用いて、信仰によって失敗のリスクを恐れず一歩踏み出しましょう。
要するに、イエスは「用いるのか、それとも失うのか」と言われたのです(28-30)。もし、あなたが、自分が持っているものでベストを尽くすなら、神はもっと多くを与えて言うのです。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。(21、23)」 - 最も小さい者、後回しの者を秘かなイエスの姿として見る
イエスは「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです(40)。」と言いました。イエスは、私たちがイエスに忠実であるということは、この世の中でもっとも弱く、もっとも貧しい人々に為す事柄によって表わされると言ったのです(35-36,42-43)。
-飢えている者
何百万人もの人々が飢餓で死んでいます。空腹の人に食事を提供する時はいつも、あなたはイエスに出会っているのです。マザー・テレサは「望まれずして、また愛されずに死にゆく人。彼らは秘かなイエスです。」
-見知らぬ者
家を持たない人、難民や亡命希望者は、人生の中で痛々しい経験をもつ人々のひとりです。もし、あなたがそのような人々と出会う時、そして、居所のない人に避難場所を提供し、あなたのコミュニティーの中に招く時、あなたはイエスに出会うのです。(35b,38)
-病気の者
そのほかに、病院や、家庭や、教会で病気の人に接しお世話することを通してあなたはイエスと会うことができます。あなたが病気の人のために祈る時はいつも、イエスと出会う機会です。
-囚われの者
刑務所にいる人は、しばしば私たちの社会の中で「最も小さい者、後回しの者」の部類に入ります。イエスは私たちにご自身の恵みと「罪人」を受け入れることを見習うようにチャレンジします。私たちは、私たちもまた赦された罪人であることを覚える必要があります。多くの囚人は大きな罪を犯しました。そして、それであってもイエスは彼らを愛します。そして、私たちに彼らを愛するように招かれるのです。
刑務所に赴くこと、あるいは刑務所を出所した人のお世話をすることは、大きな特権です。私はある刑務所のチャプレン長が、初めて刑務所に入って行った時、イエスをそこに取り運ばなければと思ったと言ったことを思い出します。彼はすぐに、イエスはもうすでにそこに居られたと分かりました。その時から、彼は刑務所に行くのは、イエスに会うためなのだと言いました。
これらすべての領域で、イエスは言います。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(40)」イエスは私たちに、イエスがもう一度、栄光のうちに来られる時は裁きを為されると言われます(31-33)。その時、二種類の驚いている人々を分けられます(37,44)。イエスにどう応答するかによって、永遠の結果を左右するのです。(30,46)
祈り:主よ。私が忠実でありますように、そして、あなたが私に与えて下さった賜物や能力を用いることを助けてください。最も小さい者や後回しの者に出会うとき、それはあなたとの出会いであることを感謝します。
ヨブの誠実
ヨブ40:3-42:17
神はあなたが母の胎に宿った瞬間からすでにあなたのために良い計画をお持ちでした。神はまた、ヨブにも良い計画をお持ちでした。最初から、神はヨブの回復と祝福を計画しておられたのです。
ヨブは忠実さによって歴史を通じて覚えられています。使徒ヤコブは「あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。…主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。(ヤコブ5:11)」と記しました。
再び神はヨブにただ「自分でも知りえない不思議を(42:3b)」思い起こさせるために質問を発します。ヨブは神の誠実さにとらえられ、「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。(42:2)」と言いました。
これは、あなたの人生があなたの計画通りにいかない時につかみ取るべき素晴らしい約束です。神はあなたのために良い計画をもっておられ、それは妨げられることはないのです。
神は問題のない人生を与えるのではありません。また私たちの問いにすべて答えられる方でもありません。しかし、私たちが問題の中にあるときに、ともに居てくださるお方です。
神は彼を傷つけ、落ち込ませ、間違った非難を浴びせ、裁き、批判した友人たちのために祈るようにヨブに言います(7-8)。ヨブは彼らを赦し、彼らのために祈ることによって完全な赦しを表わしました。ヨブが彼らをとりなした時、神はただヨブの祈りを聞かれただけではなく、「主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された(10)」のです。
ジョイス・マイヤーはこのように書いています。「もし、あなたが神の方法で事を行うなら、神はあなたが抱えた問題のゆえに2倍をもたらしてくださいます。」「主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。(12a)」ダビデにもそうであったように、神はご自身の親切を彼にも彼の子孫たちにも表わしました(16)。
ヨブは苦難にもめげずに忍耐したことで称賛されています(ヤコブ5:10-11)。サタンは苦難によってヨブを神から引き離すことができると信じました。ヨブの忍耐は、サタンが間違っていることを言い表しています。時折、冷酷なまでの正直さをもって、ヨブは、それでもなお、良い時も、大きな試練の時も、神を礼拝することを維持することが出来ました。
ヨブの忍耐は苦難に対する応答の仕方を私たちに教えてくれます。あなたが忠実に忍耐して応答する時、サタンは打ち砕かれます。ヨブはキリストの「型」です。十字架の上の苦難をしのばれたイエスの忠実な忍耐を通して、サタンは完全に打ち砕かれたのです。今もそして永久までも!
祈り:主よ。私の友人たちのために祈ることに忠実であらせてください。どうかヨブが忍耐したように。アーメン。
H.K
References
Joyce Meyer, Everyday Life Bible, (Faithwords 2013) p.812