2018年12月7日

第341日

神は本当に司っておられるのか?

あなたは神が本当にこの世界を司っておられるのだろうかと時々思うことがありますか?多分、あなたの健康、人間関係、仕事、その他のあなたの生活に関わる状況が上手くいかない時、あなたは思うでしょう。神はご存じなのか?神は手をかけてくださるのか?いったい神はこれをどうしようとされるのか?

サンディー・ミラー主教がホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会の主任牧師であった時にあった一つのことを私はよく覚えています。それは何もかもうまくいっていないように思え、私たちはある種の危機的状況に直面していた時、彼はいつも私たちにこう思い起こさせました。「主が治めておられる。」神はあなたを愛するだけでなく、あなたの人生を究極的に司っておられる主権者なる主でもあるのです。神はまた出来事も歴史も司っておられるのです。

A.W.トーザーが記しました。「神は愛であり神は統治する。神の愛は我々の永遠の幸福をご自身に願わしむる。神の主権はそれをご自身に確実ならしむる。」主は統べ治める!


受胎から死までの主の統治

詩篇139:11-16

あなたは死を心配したり恐れたりする必要はありません。神は良い計画を持っておられ、あなたの人生に目的を持っておられます。あなたが生まれる前からでさえ、神はあなたの人生のすべての日を計画されました(16)。あなたは「奇しいことをなさって
恐ろしいほど(14)」の者として造られました。

人間の命は受胎の瞬間から始まります。神の主権的な愛は胎の中にある者たちにまで拡張されます。私たちの人格的な歴史はそこから始まるのです。

「あなたは私を受胎から出産まで成長を見守りました。
私の人生のすべての段階はあなたの前に拡げられています。
私の人生の日はすべて用意されました。
一日をさえ生きる前から。(16,MSG訳)」

神はあなたが受胎する瞬間から死に至る瞬間まで、そしてその後も、司っておられるのです。あなたの信頼を神に置きましょう。

祈り:主よ。すべての人類のためのあなたの主権的な愛のゆえに感謝します。すべての人へ同じ愛と守りを私たちが拡張することができますように。


あなたの人生のすべての領域を覆う主の統治

3ヨハネ1:1-14

神は今日、あなたの人生のすべての領域に回復をもたらしたいと願っておられます。使徒ヨハネは彼の親愛なる友ガイオのために全般的に祈ります。「私はあなたがするすべてのことの…ために、そしてあなたの健康のために祈ります。― あなたの魂と同様に、毎日の業務が栄えるように。(2,MSG訳)」

ヨハネはガイオが霊的に成長したことを聞き、心躍りました。「私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。…彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。(4,6)」

しかしながら、ヨハネの祈りはガイオの「霊的」な必要を超えて物質的な必要にまで拡張します。友達が「健康であるように」そして「すべての点でも幸いを得」ることを願って祈ることは何も間違ってはいません(2)。

信仰は愛によって目に見えるものとなります。愛は実践です。もてなしは愛の行動です。「食べ物と寝床を提供することにおいて、私たちは真理を拡散する仲間になる。(8,MSG訳)」

あなたがもてなしを表すとき、あなたは新約聖書にまでさかのぼる長いクリスチャンの伝統の一部となるのです。

ヨハネはガイオに「旅行中のクリスチャンをもてなすことを拒んだばかりでなく、他の人にまで彼らを歓迎することを止めさせようとした(10,MSG訳)」デオテレペスについて警告しています。彼は「しきることを愛し」ヨハネに対して何もお世話しようとせず、それどころか、ヨハネについての「悪意のあるうわさ」をまき散らしました。(9-10,MSG訳)聖なる愛すべき使徒ヨハネでさえ、すべての人々の称賛を勝ち得たわけではなかったのです。

ヨハネはガイオに勧めます。「悪に同調してはいけません。善に倣いなさい。(11,MSG訳)」そして彼は祈ります。「平安があなたにありますように。(15)」

ヨハネは故意にすべての事柄を紙に書くことをしませんでした(13-14)。ある事柄は顔と顔を合わせる時まで取っておくことが最善です。

祈り:主よ。今日、私は家族と友人のために祈ります。…彼らが健康で、すべての点でも幸いを得ることができますように。


出来事と歴史を覆う主の統治

ゼカリヤ1:1-4:14

あなた自身の生活において、物事がうまくいかないことだけが、神が本当に司っておられるのだろうとと考える原因ではありません。時々、私たちは世界の出来事や歴史を見る時、私たちは一体どうしてこんなことが続くのだろうかと思います。主は本ようにすべての混沌の内にも「統治」しておられるのでしょうか?

ゼカリヤの当時の聴衆は「主が治める」ことを心に覚えるべき必要がありました。ゼカリヤは祭司であり預言者でもありました。彼は捕囚の後、多くの年月を経て、破壊されたエルサレムに帰還する人々に預言しました。ゼカリヤは希望と救いのメッセージをもって彼らを神に目を上げさせました。神は治めておられる。そして彼は自分の民に対してだけで終わりませんでした!

この中心において、刷新された希望は神との関係を刷新する約束の数々でした。それは究極的にはイエスを通して成就されます。何度も何度もこれらの節で、私たちはイエスを垣間見るのです。

  1. 神は戻って来られる(1章)
    この書は悔い改めへの呼びかけで始まります。それは神がご自身のもとに戻るように民に呼び掛けるようにしてです。それと同時に約束があることを呼びかけます。―「わたしに帰れ。― 万軍の主の御告げ ― そうすれば、わたしもあなたがたに帰る(1:3)」神に立ち返るとは、悔い改めて自分たちの罪を認めることです(6)。戻って来られる神の約束は赤い馬に乗っている人の幻によって描かれています(8)。神は約束します。「すべてのものは支配のもとにある。(11,MSG訳)」神は彼らを世話します(14,MSG訳)。主は治め、主はあなたを愛します。ミルトスの木は神の民の絵であるようです。それは今は教会にあたります。そして、それはイエスを象徴します。赤い馬に乗った人としてイエスはご自身の教会のただ中に立つのです。もしそうなら、イエスは教会のためにとりなしておられます(12)。イエスのとりなしは答えられました。「私の神殿が立て直されるのを私は見るであろう。(16,MSG訳)」これは字義的には歴史的にエルサレムの神殿が再建されたことによって成就しました。しかし、それはまた教会に適用できるのです。
  2. 神は護る(2章)
    次に、ゼカリヤはその手に一本の測り綱を持ったひとりの人を見ました(2:1)。さて、これもまたイエスでしょうか?神は、エルサレムが城壁のない町になるだろうが、ご自身がその周りを取り囲む火の城壁となって、そのうちに栄光を現わすと約束されました。教会は新しいエルサレムです。城壁のない町(4)です。それは、「主のひとみ」です(8)。神の霊は私たちの内に住んでおられます(10)。神は彼らに「あなたを打つ者は、わたしを打ったのだ(8,MSG訳)」ということを確かにされました。神は「わたしはあなたの隣に入居する(10,MSG訳)」と約束します。
  3. 神は赦す(3章)
    私はペンをズボンの後ろポケットに入れる癖があり、座るとシミが出来て、汚れが落ちず、しばしばズボンを台無しにしてしまうことがあります。あなたは自分の生活の中から罪のシミを取り除けることができません。しかしイエスには出来ます。主の御使いはイエスの予型と考えられます。イエスの前に立って、ゼカリヤは大祭司ヨシュアと、彼の右に立って彼を告発するサタンを見ます(3:1)。「サタン」という名は告発する者を意味します(黙示録12:10)。しかし、イエスはサタンよりももっと力強いお方です。主はサタンを非難し、ヨシュアについて言いました。「これは、火から取り出した燃えさしではないか。(ゼカリヤ3:2)」これはイエスによって救われたすべての人に適用できるイメージです。ヨシュアは「よごれた服を着て(3)」イエスの前に立っていました。「彼のよごれた服を脱がせよ。」「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」(4)イエスは十字架を通して、あなたを洗いきよめ、再び服を着せてくださいます。

    全能の主は言われます。「見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。(8,エレミヤ23:5f参照)」それは続きます。「わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。(ゼカリヤ3:9)」最初の受難日に、イエスは私たちのすべての罪を一日のうちに取り除いたのです。

    結果は「その日には、…あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう。」これは、平和と安全と繁栄の象徴です。

  4. 神はご自身の御霊をあなたに与える(4章)
    神の言葉はゼルバベルに与えられました。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって(4:6)」神殿も教会も権力や能力によって建てられるのではありません。「あなたはこれらのことを強制することはできません。それらはわたしの霊をとおしてのみもたらされるのです。(6MSG訳)」あなたは不可能と思える状況に直面していますか?あなたは意志の力で打ち勝つことはできません。聖霊の助けを求めなさい。「その日を小さな事として(10)」としてさげすむことは出来ません。重要ではないものとして小さなことを成し遂げたことを見てはなりません。見た目に取るに足らないこと、謙遜、「小さな始まり」をさげすんではなりません。神の国はからし種から始まります。それは大きな木に成長します。数が多いか少ないかは神にとって違いはありません。神がおられれば少ないことは問題ではありません。どんな大きなことも始まりは小さいのです。神のためにあなたが成すことで、知られず、報いがないことは決してありません。あなたはその実を見ることが無いかもしれません。しかし、あなたは神の目的を成就します。あなたの夢をあきらめてはなりません。

    主は統治します。主は出来事と歴史を管理しておられます。主の主権的な愛の内に、主の御霊によって、小さな始まりの日から、神殿は再建されたのです。今、あなたは、主の御霊によって小さな始まりから、ご自身の教会を再建し、建て続けるために主を信頼することが出来ます。

祈り:主よ。あなたは私の罪を取り除け、平和と安全と霊的な繁栄を与えてくださったことを感謝します。私はあなたがご自身の霊はを注ぎ、あなたの教会を再建してくださるように祈ります。アーメン。

H.K

References

A.W. Tozer, Knowledge of the Holy, (HarperOne, 2009) p.99