2019年7月2日
第183日
あなたの世界を変革する
スコットランド出身のデズという私の新しい友人が言いました。「俺はドアマンだった。実際は用心棒で、実に危ない男だったよ。ドラッグに溺れ、コカイン中毒だったんだ。俺の生活はというと、暴れて、ドラッグをやって、騒いでの毎日さ。」
彼は言いました。「ある晩、コカインをやり過ぎたんだ。まるで心臓発作みたいだったよ。口から心臓が飛び出すかと思った。何だか分からないけど、泣き叫んで祈ったんだ。『生かしてくれ!』って。そしたら翌日目が覚めた。それ以来コカはやってない。」
その後、デズはクリスチャンと会い続けました。特に、その一人がフィオーナでした。彼女は信仰熱心で、彼が何度かデートに誘いましたが、彼女は「ダメ」と断りました。その主な理由は彼がクリスチャンではなかったからです。
フィオーナはデズに聖書を渡し、彼は読み始めました。「俺は何かを見つけようと猛スピードで読み始めたんだ。そして、ついにイエスを見出したんだ。突然、俺の人生のすべてが実感できたんだ。」
彼はフィオーナを呼んで、教会に連れて行ってくれと頼みました。そこで、彼はアルファについて聞きました。「アルファで、俺はイエスに出会い、俺の人生は変わったんだ。以前はドラッグに溺れた、アブナイ奴だったけど、今はみんなを愛し、神を愛するようになったんだ。そのことをみんなに分かち合いたいんだ。」
デズは神学の学びを終えて、今はアルファ・スコットランドで働いています。
そして、彼は結婚しました。今は、フィオーナの夫となり、また、11か月の赤ちゃんのパパとなりました。
デズはまさしく人生を変革しました。「イエスは、神がいるのかどうかという俺の疑問を、神は俺を気にかけてくれているっていう信仰に変えてくれたんだ。暴力と愛のない麻薬依存の生活から、愛に満ちた幸せな結婚生活へと変わったんだ。今、俺は色んなタイプの人々と一緒にアルファをしてるんだ。ギャングもいれば、おばあちゃんもいる。そこで、みんなの人生が変わるのを見ているんだ。」
あなたの国の変革のために祈る
詩篇79:1-13
変化は可能です。神は一人ひとりの人生を変えることができます。同じように都市や国を変えることも出来るのです。
BC6世紀、神の民は捕囚の道を歩みました。「神よ!野蛮人たちがあなたの家になだれ込み、あなたの聖なる神殿を暴虐で満たしました。エルサレムにはがれきの山が残されました!…城壁は落書きだらけで、私たちは、隣国には笑いぐさにしかすぎません。(1,4,MSG訳)」。詩篇の作者は、神殿の破壊と捕囚のことを考える時、神が汚名を着せられたと感じました(4)。
今日の英国において、教会が閉鎖され、神の御名が傷つけられています。現代もまた神の民は蔑みの対象となっています。
詩篇の作者は祈ります。「主よ。いつまででしょうか。…あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。私たちの救いの神よ。御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。(5、8-9)」
これは失意の祈りです。と同時に信仰の祈りです。神は状況を変える力をお持ちです。神があなたの祈りを聞いてくださり、国を変えることができるという夢を大胆に持ちましょう。「私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう。(13)」
祈り:主よ。私たちの都市や国を見るとき、あなたに助けを求めて叫びます。今一度、この国をあなたの御名が崇められる地としてください。
あなたの人生の変革を証しする
使徒21:27-22:21
イエスがあなたの人生にもたらした変革についての証しをあなたは持っています。それはデズの物語やパウロのようにドラマチックではないかもしれません。しかし、神とあなたとの関係の回復という力強い証しがあるのです。
パウロは再び扇動された問題の渦中に投げ入れられました(21:27)。それは誤解に基づくものでした(29)。彼らはパウロを殺そうとし(31)、打ち叩き(32)、捕らえました(33)。パウロは二つの鎖につながれました。激しい暴力を浴びせられたのです。そのような中でパウロはどう応じたのでしょうか?
彼はイエスについて語り始めました。いつものように、イエスがどのように彼の人生を変えてくださったのかを話したのです。パウロは私たちに証しをする機会が与えられた時にどのように証しすべきかという良いモデルを提供してくれます。聖霊はあなたの内に住んでおられ、聖霊はいつも私たちの生活に変化を与えてくださいます。それはイエスに似た者に変えられる(2コリント3:18)ということです。あなたの物語を話す機会が与えられた時、どのように言えばいいのでしょうか?
- 以前はどのような者であったかを話す
聞く人たちがどのような人かを同定しましょう。パウロは聞く人たちを見極めました。彼はアラム語で話しました(使徒21:40)。彼はエルサレムの人々と自己同一できる彼の生活の部分を強調しました。なぜなら、彼はユダヤ人に向かって話しているからです。彼はユダヤ人としての彼の立場だけを話しました。「私は良いユダヤ人です。…私はいつも神の側に立つことに熱心で、あなた方と同じ立場にあるのです(22:3、MSG訳)。
パウロは彼自身がクリスチャンを縛り、むち打ち、獄に渡し、迫害するものであったことを話しました(4-20)。それはちょうど彼らがその瞬間パウロにしようとしていることでした。
あなたが自分の証しをしようとするとき、あなたの聴き手との接点を見出しましょう。たとえば、アルファでの証しははしばしば、他の人々に関する、あるいはゲストが共感できる彼らの物語の要素をもって始められます。「私は無神論者でした…私はアルコール依存でした…麻薬中毒でした…教会に反対する者でした…」などで彼らは話し始めます。 - あなたに起こったことを話す
パウロはイエスと出会った時に彼に何が起こったかという説明の詳細を話しました。パウロはダマスコの途上で彼の前に現れたイエスの声を聞きました。イエスは彼に質問し、彼に命じました。パウロは耳を傾け、そしてイエスが語った通りに従ったのです。パウロが語ったこのメッセージのように、
私たちは人々がとても具体的な言葉でその人の回心を表現するように勧めます。詳細に語ることは現実感があり力強いものです。 - イエスがあなたに与えた変化を言い表す
アナニヤはパウロに「あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。(15-16)」と言いました。今まではクリスチャンを迫害する者であったパウロは「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす(21)」と神に命じられた者になったことを証ししたのです。
もう一度言いますが、私たちは、人生にイエスが為してくださった変革について、人々が具体的な方法でその人の証しを語るように勧めます。人生が変えられた話には大きな力があります。あなたの話を告げることは、あなたが周りの世界を変革するために為しうる方法の一つです。
祈り:主よ。証しの力を感謝します。どうか、私の人生にイエスが為してくださった変革を詳細に語ることに飽きることがないように助けてください。
変革が神の恵みであることを認識する
2列王4:38-6:23
神はエリシャを通して数多くの奇跡を起こされました。食べ物の奇跡(4:38-44)を起こし、斧の頭の奇跡(6:1-7)や盲目のアラム人の奇跡(8-23)を起こしました。奇跡は彼を通して起こされた事柄だけでなく、彼はまた人並み外れた預言的な賜物を持っていました。「イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。(12)」これら一連の説明の合間に、私たちはシリヤの将軍の人生が大いに変革された記事を読みます。
ナアマンはアラムの王に重んじられた軍隊の将軍です。彼は「実に偉大な男(5:1,MSG訳)」でした。しかし、彼は問題を持っていました。「彼はツァラアト(「重い皮膚病」,1,新共同訳)」だったのです。彼はひとりの若い奴隷の娘の話から癒しの可能性について知りました(2-4)。
彼は権力と富で癒しを手に入れようとしました。「それで、彼は340㎏の銀と70㎏の金と10着の装束を用意して旅に出た(5,MSG訳)」のです。
ナアマンがついにエリシャの伝言の使いに会った時、その使いは「ヨルダン川に行きなさい。そして、七たびあなたの身を洗いなさい。あなたの肌は癒されます。そうすれば全く新しい肌のようになります。(10,MSG訳)」と告げました。最初、彼は立腹して去ろうとします(11-12)。彼は大々的に癒してもらうことを期待し、へりくだってはいなかったのです。プライドは神があなたに与えようとしているすべてのものを受け取ることから私たちを遠ざけます。
しかしながら、ナアマンはしもべに勧められ、彼は七度身をヨルダン川に浸しました。「すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのように(14)」なったのです。彼はすっかり変革されました。ナアマンは言いました。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。(15)」
ナアマンは癒しの御礼を支払おうとします。エリシャは何一つ受け取ることを拒みました。ゲハジは、神の恵みを金品に替えようとするとんでもない過ちを犯してしまいました(19-27)。癒しと変革は神からの恵みによる賜物です。それらは努力して稼ぐものではありません。
祈り:父よ。あなたの奇跡的な癒しと救いの力を感謝します。どうかエリシャのような態度を私に与え、どのような対価をも得ようとすることが決してありませんように。変革が恵みによってもたらされることを感謝します。それは受けるに相応しくない者に与えてくださった愛の賜物なのです。アーメン。
H.K