Tokyo Chapel

2019年9月3日

第246日

どのようにあなたの人生を変えることができるのか

アルフレッド・ノーベル(1833-1896)はノーベル賞でよく知られています。あまり知られていない事実はアルフレッド・ノーベルはまたダイナマイトを発明したということです。化学者、技術者、発明家であると同時に、彼は兵器製造者であったのです。

1888年、アルフレッドの兄弟ルードウィッヒが死にました。フランスの新聞は誤って、アルフレッドの死亡記事を載せました。そこには彼の発明したダイナマイトに対する非難がありました。「死の商人は死んだ…アルフレッド・ノーベル博士、未だかつてなく多くの人々をあっという間に殺す方法を見出し、金持ちになった男は、昨日、死んだ。」と記事にありました。

アルフレッド・ノーベルは彼が人々にどのように覚えられるであろうかということを事前に味わい精神的に打ちのめされました。彼の最期の意思は遺書にしたためられ、彼の財産からノーベル賞を設立されたのです。彼はその賞のために2億5千万米ドルに匹敵する基金をその賞のために残しました。アルフレッド・ノーベルはその生涯の最晩年に自分の人生を再評価する滅多とない機会を得て、その評価を変えるのに十分な長寿を保ったのです。

あなたは今まで、あなたの人生を変えることができるかもしれない何かについて考えてみたことがありますか?どのようにしてあなたの人生が他の人々に祝福をもたらすことが出来るのでしょうか?どのようにして、あなたは世界をもっとよくすることが出来るのでしょうか?どのようにして、あなたの人生を究極的に価値あるものとできるのでしょうか?どのようにして、私たちは実り多き人生を導くことができるのでしょうか?


結実は神に忠実であることからもたらされる

詩篇105:12-22

もしあなたの人生が実り多きものであるなら、あなたは困難な時にあっても神に対して忠実であり続けなければなりません。人生ですべてが上手くいっている時、神に忠実であることは比較的簡単です。あなたが、荒れ狂う誘惑や大きな試練に遭う時、それがテストの時です。

詩篇の作者は神がご自身の民に対して誠実であるゆえに神に感謝しました。彼はヨセフの生涯を思い出しました。

ヨセフの生涯は莫大な実りに満ちています(ガラテヤ37-50を見よ)。パロは「ヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者とした。これはヨセフが意のままに王の高官を縛り、王の長老たちに知恵を与えるためだった。(詩篇105:21-22)」その結果、「主はその民を大いにふやし(24a)」ました。

しかし、ヨセフの結実は多くの犠牲を伴うものでした。始めの日々、それは結実には遠く及ばないものに見えました。彼は「奴隷に売られ(17)」、「彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中に入った(18)」のです。ヨセフは裏切られ、奴隷にされ、誘惑され、牢に入れられ、苦難の取り扱いを受けたのです。

しかし、これらすべての中にあっても彼は忠実でした。ヨセフの忠実さの理由は、たとえ悪い時であっても、神がすべてを支配しておられることに信頼を置いたことでした(創世記45:5-8、50:20)。そしてついに「主のことばは彼の真実を確かなものとした(19,NIV訳)」のです。

見捨てられたように思える状態にもかかわらずヨセフは神に対して忠実であっただけではなく、彼は家族に対しても忠実であり、彼らを非難したり拒絶することなく、完全に彼らを赦しました。最終的に彼の忠実さは偉大な実を実らせたのです。

祈り:主よ。あなたの私への驚くべき誠実さのゆえに感謝します。どうか私が、たとえ困難な時や試練の時も、がっかりする時も失意の時も、あなたに対して忠実であることができますように。ヨセフのように、私の人生に実を実らせてください。


結実は聖霊がもたらされる

2コリント6:3-7:1

あなたは自分の人生に大いなる実を実らせることができます。なぜなら、あなたの内に聖霊が住んでおられるからです。あなたは「神が住まわれる宮(6:16,MSG訳)」なのです。旧約聖書において神は至聖所に住まわれました。そして、今は聖霊によってあなたや私の内に住まわれるのです。聖霊は美しい実をあなたの生活に生みだしてくださいます(ガラテヤ5:22-23)。

パウロの生涯は世界の歴史のなかでおそらく最も結実したものでした。パウロは自分自身を神のしもべとして描きました(2コリント6:4)。彼は人生を通じて多くの人々を富ませました(10)、この「富む」と言う言葉の意味はキリストにある霊的な富のことをパウロは指しています。彼の生涯は多くの人々を富ませ続けています。パウロの人生の結実は過去二千年間、そしてこれからもずっと続いているのです。

ヨセフのように、パウロの結実もまたおおくの犠牲を伴いました。パウロは彼があった幾多の困難を書き上げています。すなわち「非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、…悪評を受けたり、…だます者のように見え…人に知られないようで…死にそうで…罰せられているようで…悲しんでいるようで…貧しいようで…何も持たないよう(4-10)」でした。私はパウロの生涯を見る時、大きなチャレンジを感じます。彼が味わった問題は、私のすべての問題を包括しているようです。

このすべての苦難の中で、パウロは忠実であり続けました。「純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより(6-7a)」とどまり続けたのです。パウロは「真実(8)」で「いつも喜んで(10)」いました。パウロは言います。「私たちは一文無しです。…現実には、私たちは価値あるすべてを持っているのです。(6:10b,J.B.フィリップス訳)」

パウロはコリントの人々に言います。「私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。私たちは、あなたがたに愛情を示すことを留保してはいません(11-12a,NIV訳)」パウロはオープンでコリントの人々に高飛車ではありませんでした。そしてコリントの人々にも同じように心を開くことを懇願しているのです。パウロは言います。「あなたのいのちを開いてください。オープンに広々と生きるのです!(13,MSG訳)」

パウロは自分自身の内面の世界を探究しました。彼はそこに宝が埋まっている自分の心と魂の中を旅しました。彼は注意深くそれらを吟味し、内から持ち出して人々に示したのです。

正直さを持って行動するために、あなたは自分自身をまず知らなければなりません。あなたはあなたが何を支持し、何を信じ、何を一番大切にしているかを知らなければならないのです。

ベア・グリルは記しています。「人々は自分が面白く、ウィットに富み、機敏でなければならないと考える傾向があります。その必要はありません。ただ正直であればいいのです。もしあなたが内面の物語に近しく生きることが出来るなら、―感情、疑い、葛藤、恐れなど―そうすれば人々はあなたと対話することができるのです。」

聖霊はあなたを自由にし、あなたらしくしてくださいます。聖霊はあなたの人生に実を実らせてくださるお方なのです。

パウロはコリントの人々の人生にこの実を台無しにして欲しくなかったのです。パウロは彼らに懇願し「神を拒絶するような人々の相棒になってはなりません(14,MSG訳)。」と言いました。(パウロは浮世離れした生活をしなさいと言っているのではありません(1コリント5:9-10)。そうではなく、神を拒絶する人々との長い期間にわたる協力関係の危険性を警告しているのです。)

多くの人々がこれらの警告を無視します。たとえば、結婚相手に関してです。そしてある人は教会に行くことをあきらめてしまい、ついには信仰さえも失ってしまうのです。それは痛々しいことです。

「ですから」とパウロは記します。「腐敗と妥協を後にしなさい。良いことのために立ち去るのです。」(2コリント6:16,MSG訳)彼は続けます。「私たちを汚し、破滅させるすべてのものをきれいさっぱり打ち壊しなさい。内面も外面もです。私たちの全生涯を神を礼拝するためのきよい宮とするのです。」(7:1,MSG訳)

祈り:主よ。あなたの聖霊を通してあなたの力に満たしてください。私をきよめ、忍耐強く、親切で、真実に、そしてオープンな心をもって心から愛する者となさせてください。


結実はイエスのみそばからもたらされる

イザヤ3:1-5:7

神はあなたを愛しています。神はあなたにご自身の近くにいて欲しいと願っておられます。神はあなたにご自身の実を結ぶ枝となって欲しいと願っておられます。

私たちが神に不忠実である時、それは切り離された枝のようです。私たちは実を結ばなくなります。イザヤは記します。「私が愛する者がぶどう畑を持っていた。見事な良い、ぶどう畑…彼は高級なぶどうを探したが、彼はろくなぶどうしかなくがっかりしました。…彼は正義の収穫物を探したが、彼が見たのはお互いに殺し合う姿だった。彼は義の収穫を探したが被害者のうめきしか聞こえてこなかった(5:1-7,MSG訳)。」

イザヤ書の始めの39章のほとんどは、神の裁きについてです。「神は法廷に入った。神は裁判長の席に着き、ご自身の民を裁かれる。神は開廷を宣言し、ご自身の民の指導者たちを被告席に着かせた(3:13,MSG訳)」

神の民はご自身に対して不忠実だった。「お前たちはこの国を滅茶苦茶にした。お前たちの家には、お前たちが貧しい者たちから盗んだ品々が積まれている。これは一体どうしたことか?私の民を踏みつけて、泥の中に貧しい者たちの顔を押し付けたのか?(14-15,MSG訳)」

彼らは莫大な物質的繁栄を楽しんでいました。それは彼らを高慢に、不道徳に、そして貪欲にしました(16-23)。

イザヤは裁きが来るのを見ました。そしてその日に、「主の若枝は、麗しく、栄光に輝き(4:2)」ます。

これはその時部分的にしか成就しなかったのです。他の多くの預言者たちのように、それは、本当の「主の若枝(2)」であるイエスを通して成し遂げられて私たちが今見ることができるものを指し示しています。イエスは神というぶどうの木からの枝です。私たちはイエスと言うぶどうの木からの枝です(ヨハネ15:1-8を見よ)。

イエスは本当の枝であり、そして本当のぶどうの木です。イエスはどんな人間をも超えて(ヨセフやパウロでさえも!)完璧に忠実で実を結んだお方です。今イエスは、あなたをご自身のそばにとどめ多くの実を実らせるために、あなたをご自身の枝になるように招いておられます。その実はいつまでも残るのです。(ヨハネ15:8,16)

祈り:主よ。私は私の人生を変えたいと願っています。あなたがそうしてくださることを感謝します。あなたの近くにおらせてください。忠実であらせてください。そして聖霊に満たしてください。いつまでも残る実を実らせることが出来ますように。アーメン。

H.K

References

Bear Grylls, Mud, Sweat and Tears, (Channel 4, 2012).