2019年10月21日
第294日
生きる意味
彼女の手には指輪、ブレスレット、ネックレス、チェーンなどの宝石がうまっていました。AD 79年、ヴェスビオス火山の噴火によって溶岩流が一気に流れ込んできました。彼女は避難する時、彼女は高価な宝石を後にすることが出来ませんでした。彼女の宝物に後ろ髪が引かれ、彼女は火山から降り注ぐ高熱の灰に埋もれて行ってしまったのです。
現代になってビルの工事の過程で、彼女の石化した身体は、古代ローマの港、ポンペイの埋もれた街の外側の領域で発見されました。彼女の身体は宝石の海の中から発掘されました。彼女は自分の宝物を守ろうとして命を落としたのです。
イエスは私たちに究極的にはお金か神かどちらかを選択しなければならないと警告しています(マタイ6:24)。新約聖書は、私有財産やお金を稼ぐこと、生活において良い事柄を享受することを禁じてはいません。しかしながら、金持ちに対する命令は、「富に望みを置かないように(1テモテ6:17)」ということです。自己中心な富の蓄積や不健康に物質的なモノに憑りつかれることは、決して満足感をもたらしません。安全を約束するモノは、永遠の不安を煽ります。
究極的には、満足感はあなたが神に希望を置くときにのみやって来るのです。「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(6)」神の言葉の約束は、「神に望みを置く(17)」者が「良い基礎」と「まことのいのちを得る」ことを見出すということなのです(19)。
神の言葉に希望を持ち、そこにあなたの時間を費やす
詩篇119:73-80
時間はあなたの最も価値ある所有物です。あなたはもっとたくさんお金を稼ぐことが出来ますが、もっと時間を創り出すことはできません。あなたが時間を費やす方法が、あなたの希望がどこにあるかの証拠です。もし、あなたが神と神の言葉に希望を置くなら、あなたはそれらに時間を投資するでしょう。
詩篇の作者は神の言葉にしっかりと希望を置きました。「私が、あなたのことばを待ち望んでいるからです。(74b)」具体的にはこれはどういう意味でしょうか?
神の言葉を理解することを追い求める時間を費やしましょう(73,79)。それを黙想し(78)、それを喜び(77)、そして暗記しましょう(73)。
あなたが困難な時を過ごしている時、神の言葉を信頼し続けなさい。「あなたのテストは、私に何が真理で正しいのかを教える。(75,MSG訳)」神の誠実さ「尽きることのない愛(76,NIV訳)」と「あわれみ(77)」に信頼しなさい。
神と共に時間を過ごすことは、神があなたにご自身の知恵を吹き込む方法なのです。(73,MSG訳)あなたが「本当の命、…全体的できよい、魂と身体を生きる」ことができるように、神はあなたを慰めるのです。(77,80,MSG訳)そして、いつも「頭を高く上げて(80b,MSG訳)」歩むのです。
もしあなたがこのように生きるなら、それは他の人々に同じように生きることを励ますでしょう。「あなたを恐れる人々は、私を見て喜ぶでしょう。(74a)」さらに同様に、それは神の言葉に希望を置く他の人々を見る私たちを励まします。
祈り:主よ。今日、私はあなたの言葉に私の希望を置きます。私が誰かの励ましになることが出来ますように。「あなたを恐れる人々は、私を見て喜ぶでしょう。(74a)
富にではなく、神に希望を持つ
1テモテ6:3-21
使徒パウロは、この箇所を偽りの教理を教える者たち、すなわち「私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人(3)」を警戒するということから始めています。それらの人々は論争や議論に不健全な関心を寄せているのです(4)。
偽教師たちによって、「知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。(5)」
パウロが富についてこの箇所で語っている言葉はすべての人々に適用できます。それは特に、世界のなかでも比較的豊かな地域に住んでいる、西欧に住む者たちにとってです。パウロは記します。「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。(17)」
もしあなたがもっとお金を持ったなら、もっと満足できるに違いないと考える誘惑に遭ってはなりません。「衣食があれば、それで満足すべきです。(8)」物質的にはあなたが持っているもので満足しましょう。「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(6)」
心が満たされることは、ありったけの富をかき集めることよりもっと価値あることです。裕福になりたいという人々は「誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。(9)」
パウロの言葉は「金銭はあらゆる悪の根である」としばしば間違って引用されます。本当は、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。(10a)」お金は多くの良いことに使うことが出来ます。しかし、お金を愛することは極めて危険です。「金銭への欲望は問題をもたらし、問題以外の何ものでもありません。その道から離れなさい。ある人々は完全に信仰から自分の足を踏み外してしまいました。そして苦々しい後悔の人生をずっと暮らしているのです。(10,MSG訳)」
あなたがとても裕福であろうが、ほとんどお金のない状態であろうが、お金を愛する危険性は同じです。誘惑は、あなたがすでに持っているお金を愛することも、あなたが持つことが出来ればと願っているお金を愛することも、どちらも誘惑となります。
お金を愛し追求することに代えて、「義なる生活 ― 不思議、信仰、愛、着実、礼儀の生活(11,MSG訳)」を愛し追求する人生を送りましょう。パウロはテモテに「信仰の戦いを勇敢に(12a)」闘うように勧めます。その「闘い」は私たちの心と思いをイエスに焦点を合わせることから始まります(13-14)。
パウロは彼らに自分のすべてのお金を分配するようには命じているのではなく、お金に希望を置いてはいけないと命じているのです。もしあなたがお金に対する心構えを整理するなら、あなたの生活の他のすべての領域を整理する助けとなるでしょう。パウロはお金に対するあなたの態度を整理する5つの方法を教えています。
1.自分事ばかり考えてはなりません
富にまつわる危険の一つは傲慢です。「この世の富において裕福な者たちに、そんなに自分のことばかり考えるのはやめるように告げなさい。(17,MSG訳)」
2.あなたの安心を富においてはならない
「私たちは無一文でこの世に来て、やがて無一文でそこから去っていきます。(7,MSG訳)」富が与える安心はうたかたでしかありません。「お金のことで頭がいっぱいになるのを…やめなさい。それは今日来て、明日去っていくものです。(17,MSG訳)」私たちの富を本当に測ろうとすれば、もし私たちが自分のお金をすべて失った時に自分自身の価値がいかほどであるかということです。
3.神を第一にする
あなたが喜び楽しむようにすべてを豊かに備えてくださる神にあなたの希望を置きなさい(17)。人生の良きものを楽しむことは間違いではありません。神は私たちが喜び楽しむようにすべての良きものを備えてくださるお方です。しかし、それが神から出て、すべて神に属するのであることを認識しましょう。
4.あながたができるすべての良いことをしなさい
パウロは「良いことをする」ために裕福になり、そして「他者を助けることにおいて豊かに」なりなさい(18,MSG訳)」と勧めています。いくらあなたが儲けるかに焦点を与えるのではなく、いくらあなたが良いことができるかに焦点を当たるのです。物質的には豊かだけれど、霊的には貧しいということはあり得ます。同様に、物質的には貧しくとも、「良い行いに」富むことは可能です(18)。
5.あなたの資金を分かち合う
ジョン・ウェスレーは言いました。「私がお金を持つとき、私は即座にそれを追い払います。それが私の心に侵入するといけないので。」気前良さは私たちの生活をお金が支配することを打ち破る方法です。「途方もなく気前よくなりなさい。(18,MSG訳)」
あなたが所有するものはすべて、究極的に神から来たものです。それゆえ、それを他者に分かち合うことを意志しましょう。フランシス・ベーコンは言いました。「金銭は肥料のごとし。それはまき散らすまでは良いものではない。」
祈り:主よ。富に私たちの希望を置くことがなく、与えられたものに満足し、あなたに希望をおくことができるようにお助けください。良いことをすること、善い行いにおいて豊かになり、気前よく、分かち合うものとならせてください。
権力を持つ人にではなく、主に希望を持つ
エレミヤ46:1-47:7
中には裕福さに希望を置く人がいます。モアブ人とアモン人がそうでした(48:7,49:4)。それとは別に、エジプト人のように権力を持つ人々に希望を置く人がいます。
預言者エレミヤは、主(ヤーウェ)がイスラエルという国の中での神だけではなく、全世界の国々のを統治する主であることを告げました。エレミヤはエジプトや他の国々に対する主のメッセージを告げました。
エレミヤはパロに拠り頼むことを警告しました。たとえ、パロがこの世の中で、最も権力を持つ者であることが事実であったとしても、「パロ」に信頼を置く者たちは問題へと向かっているのです(46:25)。
対照的に、主は主に仕える者にこう約束しています。「しかし、あなたがた…私のしもべ、心配する必要はなく、おびえることは何もない…わたしはあなたの傍らにいるから、拠り頼みなさい…いつまでもわたしはあなたと一緒にいる(27-28,MSG訳)」キリストにあって、主はあなたにも平和、安心、満足を約束しています。主はあなたとともにおられます。あなたは心配する必要がないのです。
究極的には、主だけが私たちの希望です。教皇ヨハネ・パウロⅡ世が言った通りです。「キリストは全世界のための希望の源です…イエス・キリストは私たちの希望です。」
祈り:主よ。私はあなたが私と共におられるので恐れません。いつも私があなたに希望を置くことができますように。そしてあなただけに仕えることができますように。お金や権力を持つ人々や他の何ものにも信頼を置くことがないようにしてください。私の信頼と満足はいつもあなたのうちにありますように。アーメン。
H.K
References
Francis Bacon, 1625, Title: The Essayes or Counsels, Ciuill and Morall, of Francis Lo. Verulam, Viscount St. Alban, (Printed by Iohn Haviland, Early English Books Online 2) p.85