Tokyo Chapel

2019年1月8日

第8日

神にとって難しすぎることはない

今まで不可能と思える状況に出くわしたことがありますか?修復できないと思える関係に陥ったことはどうでしょうか?深刻な健康状態は?仕事の上でほとんど見込みのない試練は?止めるすべが見つからないような習慣や依存状態はどうですか?

あなたがこの年の初め、どのようなチャレンジを受けていたとしても、神にとって難しすぎることはありません

アブラハムは百歳、サラは九十歳でした。神は子どもを授けることを約束しました。彼らは要するに「それは不可能です。」と言いました。「主にとって難しすぎることはあるのだろうか?」それが今日の箇所における問いかけです(創世記18:14)。その答えは「いいえ」です。「アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた(11)」にもかかわらず、子を宿したのですから、主にとって不可能なことはないのです

今日の聖書箇所から、主にとって難しすぎることはないということを、それぞれ3つの大きなチャレンジを通して、覚えましょう。


誘惑に立ち向かう

箴言1:8-19

イエスは浮世離れして生きていくようにとは教えてはいません。取り組むべきことは、世に取り込まれずに、世の内に生きていくことです。私たちは、誘惑が多い世の中に支配されずに生きるように召されているのです。

箴言はとても具体的にバランスのとり方を教えています。「罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない(1:10)」、「いっしょに来い。」と誘われても悪に加担してはならない(11-14)と。

悪いと分かっていることでも、企業ぐるみで法を犯してしまうというようなニュースは枚挙いとまがありません。脱税、キセル、泥酔、不品行など、他の誰かがしているからといって罪にそそのかされてはなりません。群衆に従ってはいけません。聖書は「彼らといっしょに道を歩いてはならない(15)。」と教えているのです。他の誰かがしているからというのは自分を正当化する理由にはなりません。

最後に、もし、あなたが罪に向かって突き進むなら(16)、あるいは不正の利をむさぼるなら(19a)、あなたの人生が台無しになります。「あなたが、手当たり次第にひっつかもうとするとき、あなたに起こることは、『これじゃ物足りない、もっと欲しい』ということなのです。(19,MSG訳)」

確かに、この世があなたをそそのかす力は強大です。でも、主にとって難しすぎることはないのです。

祈り:主よ。年の初めにあって、この世のすべての誘惑から身を守る力を与えてください。そして罪にそそのかされることがないようにしてください。


イエスのライフスタイルで生きる。

マタイ6:25-7:23

イエスの言葉は歴史上最も偉大な言葉であると言えます。そしてそれは挑戦的です。たとえばイエスは「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。(マタイ7:12)」と言いました。この単純で美しい教えは黄金律とも呼ばれ、至高の教えといえるものでしょう。しかし実践するのはとても難しいことです。「人々があなたのためにどんなことをしてほしいかを自問自答しなさい。そうして、人々のために率先してそうする理由をつかみなさい。(12,MSG訳)」

大きな挑戦はイエスのことばを実践することです。主の教えは明白ですが、その基準は限りなく高いのです。それでも、主にとっては難しすぎることはないのです。

  • 思い煩わずに今日を生きる
    イエスは生活や物質的な事柄を心配するなと命じました(6:25、28-31)。考えを進めなさい。計画も進めなさい。けれど、心配は進めてはならないのです。あなたの天の父が備えてくださっていることを信頼しましょう(26)。主はあなたの必要をすべてご存知です(32)。信仰とは心配の反対語です。
    もし心配したからといって寿命を一時間も増し加えることは出来ないのです(27)。コーリー・テン・ブームは「思い煩いは明日の心配を取り除いてはくれない。しかもそれは今日の力を取り除いてしまう。」と言ったとおりです。
    一日一日を有意義に生きましょう。その日を一瞬一瞬。明日のことを思い煩わずに。「労苦はその日その日に、十分あります。(34b)」明日のことを心配しないと心に定めましょう。神がその日の必要を備えておられることを信頼して。
  • 優先順位を定めて生きる
    イエスは願いと優先順位についてあなたに挑戦しています。神があなたになさることに目を留めるのではなく、神ご自身に目を留めましょう。私たち同様、神は、私たちに神が何をしてくれるのかだけに関心を持つような友であってほしくはないのです。神の賜物(presents)よりも神の臨在(presence)を求めましょう。
    私たちはエキサイティングで挑戦的な新しいあり方を受けたのです。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(33)」
  • 人を裁かずに生きる
    人を裁くことに快感を覚えるような生き方をやめましょう。悪い動機で人の失敗を探したり、僭越な行動をとることを避けましょう。とかく人の欠点や弱点は目に着くものです。そのようなときは裁く自分を変えることにチャレンジしてみましょう(7:1-5)。批判的にではなく、あわれみと優しさをもって愛を示しましょう。
  • 忍耐強い祈り
    ただ繰り返すのではなく、忍耐強くありましょう。
    イエスは素晴らし祈りの答えを用意しておられます(7-8)。必ず「良いもの(11)」を用意してくださっています。
  • 徹底した生き方を選ぶ
    人生を導く狭き道を選びましょう(13-14)。プライド、不正直、怒り、敵への憎しみ、不寛容の余地がない狭い道です。

謙遜は日課です。与え、祈り、自制し、神の国を第一に求める。それは、純潔、誠実、正直、赦しの道です。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(12)」という道です。あなたは良い実を実らせることが出来るのです。それはあなたの人格、生き方、教え、行動、影響力そして人との関係によってです。

祈り:主よ。この年、イエスのライフスタイルに生きるチャレンジを受け止めるとき、あなたにとって不可能はないことを感謝します。今日も、あなたの御霊で満たしてください。そして本当に生きたい人生を深めることができるように助けてください。


困難な時に主を信頼する。

創世記17:1-18:33

神はアブラハムに現れ、大きな挑戦を課しました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を忠実にそして非難されることのないように歩みなさい。(17:1,NIV訳)」と命じました。それには「わたしは、あなたをおびただしくふやそう(2)」という素晴らしい約束が伴いました。アブラハムがひれ伏したのはもっともなことです(3)。

神はアブラハムと契約を結びました。神はカナンの地を彼に約束し、多くの子孫が生まれ、国となっていくことも約束されたのです(4-8)。この約束は神が彼の名をアブラムからアブラハムに変えることに象徴されています。神はアブラハムをその名のとおり「大いなる国民の父」とすることを定めていたのです(5)。神はサライをサラという名に変えました。これも「国々の母」を意味します(16)。契約のしるしは割礼でした(9以降)。

アブラハムに子孫が与えられるという約束は1回だけではありませんでした(15:4、17:16、18:10)。神があなたの人生の大きな岐路に何度も語られるかもしれません。それはアブラハムのように神と親密に生きる者の体験です。

アブラハムと神との関係は親密でした。神はアブラハムと会話を通して約束しました。アブラハムはイシュマエルが後継ぎとなるように願い求めましたが、。神は「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。(17:19)」と答えました。神はアブラハムのイシュマエルのための祈りに答えを与えただけではなく、彼が想像もしえないことに答えられたのです(19-21)。

神がアブラハムに約束を与えた三度目には、神は「三人の人(18:1-15)」を遣わしました。これを新約聖書の目で読んでみると、三位一体のイメージが浮かび上がります。三人として描かれているのは明らかですが、「そこで、主がアブラハムに仰せられた。(13)」と一人の人であるかのようにも描かれています。

1410年、ロシアの修道士アンドレイ・ルブリョフは有名な絵を書きました。それは三人の天使がアブラハムと愛餐の時を過ごしており、それは三位にして一体なる神(唯一であって、三つの位格を持つ)との親しい交わりを表現しています。

『至聖三者』(聖三位一体)
『至聖三者』(聖三位一体)

神は「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。(10)」と約束しました。サラは笑い、「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。(12)」と思いました。

サラもまた弱さを持つ普通の人であることに励ましを受けます。主はアブラハムに言いました。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。(13)」サラは怖くなって「私は笑いませんでした(15)」と言って打ち消しました。私たちは時々、自分の身を守ろうとして嘘をつく誘惑にかられます。聖書はイエス以外には完全無欠の聖徒を描き出してはいないのです。

主の応答は、ご自身の約束を繰り返しつつ、質問の形でこういうのです。「主に不可能なことがあろうか。(14a)」

祈り:主よ。この年もあなたに信頼し続けることができるように助けてください。私が直面するすべての事柄において、あなたにとって難しすぎる事はないことを感謝します。アーメン。

H.K

References

[For a more detailed explanation and application of ‘The Sermon on the Mount’ (Matthew 5–7) see Nicky Gumbel’s book The Jesus Lifestyle]

Corrie ten Boom, Clippings from My Notebook, (Triangle, 1983)

Andrei Rublev, Holy Trinity Icon 1410, http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Angelsatmamre-trinity-rublev-1410.jpg [public domain]