Tokyo Chapel

2019年1月31日

第31日

イエスのように導く方法

ケン・ブランチャードほど人々や会社の日々の管理に影響を及ぼした人物はそう多くはありません。1982年、彼が書いた「1分間マネージャー」は1300万冊を売り上げました。その本は、ほんの短期間のうちに大成功を収めましたが、彼は成功を自分の手に入れるのに苦労しました。彼は神について考え始めました。そして聖書を読み始めたのです。真っ先に福音書を読みました。彼はイエスが何をしたのかを知りたいと思ったのです。

彼は、イエスがどのようにして、12人の普通の、なれそうにもない人々を2000年たっても世界の歴史に影響を与え続けるムーブメントの第一世代のリーダーとして作り変えることが出来たのかということに魅了されるようになりました。彼は今まで彼が効果的なリーダーシップについて教えたり著してきたすべてのことが、イエスがすでにケンの著述能力をはるかに凌いで完成させていたことに気づくようになったのです。

イエスは霊的リーダー以上のお方でした。イエスは、すべての状況や、すべての組織、すべての人々に対して実践的で効果的なリーダーシップのモデルを与えます。あなたは自分はリーダーの器ではないと考えるかもしれません。しかし、リーダーシップとは影響力です。あなたには影響力があるのです。ですから、ある意味で、私たちは皆リーダーなのです。

イエスはすべての時代を通じて最も傑出したリーダーでした。今日の箇所からイエスのリーダーシップのいくつかの特徴を、聖書の中のもう二人の偉大な人物 ―ダビデとヨブ― に見ることができます。


リーダーの礼拝

詩篇18:1-6

ダビデはイスラエルの歴史の中で屈指のリーダーです。そしてまた、かつて書かれた中で最も美しい礼拝の詩をいくつも残しました。何千年後もダビデの詩篇は神の民によって礼拝に用いられ続けています。

この詩篇の中に、私たちはダビデが彼のリーダーシップを支えていたのは礼拝であり祈りであることを見出します。彼は苦しみと圧迫の中で言いました。「私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。(6)」。結果は成功によって状況が大きく覆っていき、それがダビデの感謝の歌へと導いてゆくのです。

逆境のときも順境のときも、ダビデの例に倣って祈りと礼拝を基礎とした生活を建て上げることを求めましょう。

礼拝の出発点は神を愛することです。「私は、あなたを熱烈に、そして献身的に愛します。あぁ、主、わが力。(1,AMP訳)」ダビデは彼の神への愛、賛美、感謝を表現し続けました。彼は敵に直面し(3b)、死と滅びを身近に感じ(4-5)、苦しみの中にありました(6a)。ダビデは振り返って、どのように神が彼の叫びを聞き、彼を敵から救い出されたのかを見ることができました(3-6)。

ここ数年、私は彼自身の聖書通読の中で「助けを求めてわが神に叫んだ。(6a)」ことを書き留めています。神が叫びを聞かれるのを見るたびに驚かされます。(止むことのない)たくさんの祈りが答えられました。神に感謝することを忘れないために私は書き留め続けるのです。

祈り:主よ。わが力。私があなたに助けを求めて叫ぶ多くのとき、あなたは私の声を聴いてくださいます。どんな試練が来たとしても、再び私はあなたに助けを叫び求めます。


リーダーの特徴

マタイ21:1-17

具体的には、イエスのように導くとはどのような意味でしょうか?

  1. あなたの「立場」からではなく「あなた自身」で導く
    所有物や立場という観点で、あなたが持っているものやあなたが何をしたかよりも、あなた自身が何者であるかがもっと大切です。イエスの権威はピラミッド型の階層構造からもたらされたものではありません。主ご自身の人となりから来ます。彼は自然な権威を持っていました。彼は、言う必要のあるのは「主がお入用なのです。(3)」という言葉がすべてだという全き信頼を持っていたのです。脅しも約束も要求しませんでした。
  2. 柔和で気取らない
    「あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、…。(5)」これは、この世が期待していたようなリーダーシップの特徴ではありません。でも、それはイエスのリーダーシップの真骨頂です。ギリシャ語の柔和は「思いやりのある」「気取らない」という意味です。それは「攻撃的」「利己主義」の反対です。
  3. 傲慢や虚飾を避ける
    イエスはろばの背に乗ってエルサレムに入りました。それは鳴り物入りで旅をした歴史上の他の多くの世俗的なそして宗教的なリーダーたちとなんと対照的でしょうか?ろばの背に乗ったイエスの姿は大いなる謙遜のしるしでした。謙遜とは、容易に人間のリーダーシップに忍び込むプライドや傲慢の反対です。
  4. 直面する勇気を持つ
    人々は時々、柔和や謙遜というのは、すべての状況の中で譲歩することだと思っています。しかし、イエスは決して直面することを恐れませんでした。イエスは宮に入っていくと、そこで、物を売り買いしている人々を追い出してしまいました。「両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された(12)」のです。リーダーシップの難しい面の一つは直面するタイミングを知るということです。

    直面することを怠ることもそれ自体が、結果を伴う意思決定です。対決したり直面することは決して簡単ではありません。しかし、知恵深く適用すれば、それは勇気ある良いリーダーシップの部分となるのです。
  5. 世の力ではなく、霊的な力を求めるイエスの力はこの世の多くのリーダーたちが持っている力とはとても違っています。「盲人や足のなえた人たちがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。(14)」霊的な力は地上の力よりのずっと大切です。それは、作ろうと思って作れるものではありません。それはイエスが神と持っていた関係の中で得られるようなものなのです。
  6. 祈ることを第一にする
    イエスの両替人たちとの対立の中で、私たちはイエスが祈りについてなんと情熱的であったのかということを見ます(13)。福音書を通じて、私たちはイエスが神とだけになるために退かれる(17)のを読みます。これはイエスの力の源です。ダビデのように、祈りはイエスのリーダーシップの中心にあるのです。

祈り:主よ。イエスのように、権威、柔和、謙遜、勇気と力をもって人々を導くことができるように助けてください。あなたとの個人的な交わりから力を得ることができますように。


リーダーの洞察

ヨブ19:1-21:34

ヨブの友人たちは「ナンセンスな」そして「うそのかたまり(21:34,MSG訳)」を続けるだけでした。彼らは「むなしく、むだな言葉(34,AMP訳)」で呼ぶをいらだたせました。
他方、ヨブ自身は彼の苦難の中で葛藤の只中にあったのを私たちは見ます。友人たちの単純化した分析への反対として、ヨブは世界はとても複雑だと見ています。人生には理不尽なことが数多くあります。「なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。(7,13)」と叫んでいます。

神を完全に拒絶する者が時々いることに驚いてはなりません。彼らはこう言います。「私たちから離れよ。私たちは、あなたの道を知りたくない。全能者が何者なので、私たちは彼に仕えなければならないのか。私たちが彼に祈って、どんな利益があるのか(14-15)」と。それなのに、彼らは裕福で平和な日々を生活するのです。

聖書は、悪者がこの地上で裁きを受けるとは言っていません。時々、彼らは裁きを受けたとしても、他の時には、それから逃れたように見えるときがあるのです。悪者が長年にわたって繁栄しているのを見たとしても驚いてはなりません。無実の者が苦難に遭っているのを見ても驚いてはなりません。神はどちらもこの地上の人生の中に許しておられるからです。(これは、不正義や無実の者が苦難に遭ってるのを見て無関心であるべきだと言っているのではありません。むしろ、それらと戦う力を用いるべきです。)

しかしながら、この人生には終わりはありません。神は物事をすべて正しく永遠のうちに配置されるのです。ヨブが垣間見たものは、旧約聖書のなかでは珍しいことですが、私たちの将来の希望です。

「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、
後の日に、ちりの上に立たれることを。
私の皮が、このようにはぎとられて後、
私は、私の肉から神を見る。(19:25-26)」
ヨブの洞察は新約聖書の復活と永遠の命の希望を予見しています。信仰的なリーダーは永遠の洞察を持っています。その洞察がクリスチャン・リーダーシップに全く違う次元を与えるのです。

誰か重要人物があなたの家を訪問したと想像してみてください。あなたは、それまでに多くの準備をすることでしょう。あなたは自分自身を準備し、他の家族を準備し、家を綺麗に整理整頓して準備するでしょう。

クリスチャンのリーダーは永遠の洞察と希望を持っています。「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。(25)」
ですから焦点を合わせましょう。あなた自身が準備すること、他の人々を準備すること(伝道、弟子訓練、牧会ケア)そして、家を整理すること(教会を活性化し、社会を変革すること)によって。このような関心は、教会指導者だけに限られたことではありません。職場や社会という現場におけるクリスチャンのリーダーは自分の思考、決定、行動において、これら三つの次元を埋め込むべきです。

さらには、この洞察はあなたの計画やゴールに向かう態度を変革するでしょう。個人的あるいは組織的な不正が原因で状況が願っていたものとは違ったものになった時、あなたは、来るべき日に完全な裁きが勝利を収めるという真実に信頼することができるのです。

祈り:主よ。自分の目で神ご自身を見て、「ああ、この日をどれだけ待ち望んだか!(27,MSG訳)」と言う日がやがて来ることを感謝します。私が永遠の視点で日々を過ごすことができるようにお助けください。どうか、イエスのようになり、いえすのように導くことができますように。

H.K