2019年3月8日
第67日
「しかし…」
19世紀初頭、アイルランドでじゃがいもが凶作だった年、小作人達は領主に、支払えるお金が全くないので年貢と貸付金の返済を減免して欲しいと嘆願しました。領主、アンドリュー・ロバート・フォーセット氏は、1821年北アイルランド南西部のファーマナ出身の司祭で、ヨークの聖カスバート教会で教区長を50年勤めました。
フォーセット師は小作人たちに手紙を書きました。手紙には、それは良い前例にならないので、その申し出を拒否する。小作人達は1ペニーづつ支払うようにと記されていました。
手紙は「しかし…」と続き、「私は何かあなたがたを助けることが出来ないかと考えこれを同封する。」と記され、封筒には彼らが借金を支払っても余りある額面の小切手が同封されていたのです。
彼らの心は「しかし…」という言葉を見た時に、喜びに躍り上ったに違いありません。「しかし…」は困難、試練、誘惑に直面するときに大きな力を発揮するのです。
問題の中で…「しかし、私はあなたに信頼します」
詩篇31:9-18
問題に直面せずに生き抜く人は誰もいません。ダビデの例を踏まえると、リーダーシップの立場を持つ人であれば、大抵の人々よりも問題に直面するでしょう。
ダビデは問題に直面していました。「私の目はいらだちで衰えてしまいました。私のたましいも、また私のからだも。(31:9b)」彼は霊的、精神的、肉体的試練に直面したのです。
彼には苦悩、悲しみ、うめき、病い、敵、隣人からの蔑みがありました(9-13)。
このような状況の中でダビデはこう言うことができました。「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。『あなたこそ私の神です。』私の時は、御手の中にあります。(14-15a)」ダビデは神の尽きることのない愛を信頼しました。時々、物事が悪くなっていくと、神があなたを本当に愛しているということを信じるのが難しくなります。「しかし」神は愛しておられます。ダビデは神が彼を解き放ってくださることを信頼したので神に叫び求めたのです。
あなたが信頼していた対象が試されるというのは本当に大変な時です。「しかし」ヘンリー・フォードが記したように「すべてのものがあなたに反対するように思えるとき、飛行機は向かい風に向かって離陸することを思い出しなさい。追い風ではないのです!」
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」すべてのことにおいて主に信頼しましょう。
祈り:主よ。私に立ちはだかるすべての試練において、あなたに信頼することができますように。私の時はあなたの御手の中にあります。あなたのしもべにご自身の御顔を輝かせてください。あなたの尽きることのない愛で私を救い、恥を見させないでください。主よ。私はあなたに叫び求めます。(詩篇31:14b-17a)
試練の中で…「しかし、わたしの願うことではなく」
マルコ14:17-42
時にはあなたが正しいことをしたのであって、間違ったことをしていないにも関わらず、困難に直面することがあるものです。私たちは皆、人生の中で試練や誘惑に直面します。あなただけではありません。イエスは何一つ間違ったことをなさいませんでしたが、イエスは人類の歴史が始まって以来、誰も遭ったことのない最大の試練と誘惑に遭いました。
- 不忠実
忠誠を尽くすことは素晴らしいことです。問題や試練、誘惑の中にある時の友人や同僚の忠誠は励ましを与え、前向きにし、元気にしてくれます。不忠実はその逆です。イエスは3年以上も弟子達を寝食を共にしながら教え導いてきました。にもかかわらず、イエスはこう言わなければなりませんでした。「あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。(18)」敵や知り合いに裏切られることは辛い事です。しかし、友人の裏切り程耐えがたいものはありません。 - 失望
イエスはまた、一人の弟子が裏切るだけではなく、弟子達が散り散りになることを知っていました(27)。イエスにはどれほど大きな失望があったきとでしょう。イエスには実に親しい友がいたのですが、試練の時、彼らは皆去っていきました。最強のリーダーであったペテロでさえ、完全にイエスを否定し、ついには全く知らないと言ったのです。 - 苦悩
目前に控えている苦難を前にイエスは「深く恐れもだえ始められた。(33)」そして「悲しみのあまり死ぬほど(34)」だったのです。 - 死
旧約聖書において、杯は神の罪に対する怒りを表すという背景を以前述べました(日々の糧、第60日[3月1日])。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。(24)」と杯を取りました。また、ゲッセマネの園では「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。(36)」と祈りました。
イエスは不忠実、失望、苦悩、死に直面し、愛する天の父なる神を信頼し、「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコ14:36c)」と言いました。イエスは神が完全な父であることを知っていました。イエスは神に「アバ。父。」(36a)と呼ぶことが出来ました。アバとは「お父ちゃん」「パパ」のように、最も親しい父親への呼びかけの言葉です。
イエスは神は完全な力を持っておられることを知っていました。イエスは「この杯(36b)」を取り除けて欲しいと思いましたが、神が最善を知っておられることを信頼し、ご自身を神に委ねることを意思されたのです。これは、私たちが立ちはだかる事柄に恐れおののく時、私たちへの最高のお手本です。
イエスとは対照的に、弟子たちは目前に迫っている出来事を知る由もなく楽しんでいました。彼らはイエスが直面している出来事に何一つ直面していなかったのです。そして、彼らは主が祈っておられる間、起きて支えることができず、彼らは皆眠ってしまいました。私は彼らに同情します。しばしば、私も置き続けることができないことを知っているからです!
イエスは言いました。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。(38)」これはまさに自分自身への言葉だと告白しなければなりません。「心は燃えていても、肉体は弱いのです。」試練のときにこそ、祈り続けましょう。
祈り:父よ。感謝します。私もまたあなたを「アバ」と呼ぶことが出来、あなたを信頼することができます。これから為そうとする計画すべてに「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコ14:36c)」と祈ります。どうぞ、あなたの御心を私自身の上に為してください。
誘惑の中で…「しかし、あなたは」
レビ17:1-18:30
イスラエルの民は彼らの周囲の民から性的な不道徳と行いのゆえに大きな誘惑に面していました。しかしながら、神はご自身の民に彼らの生きる道をお語りになりました。「(しかし,NIV訳)あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守らなければならない。(8:26a)」
こんな本当のお話を聞きました。一人の女性が問われました。「104歳まで生きるための秘訣は何ですか?」すると彼女はこう答えました。「同調圧力に屈しないこと!」
この世には、周囲の基準に従って波風立てず、人々に同調するほうが楽でいいという誘惑があります。確信を持ち続けることに大きな圧力を覚える領域の一つが性的な道徳です。
この文脈では、神は民にこう言います。「あなたがたがかつて住んでいたエジプトの民のように生きてはなりません。そして、これから私があなたがたを取り運ぼうとするカナンの民のように生きてはなりません。彼らのするようにあなたがたはしてはなりません。わたしの律法に従い、わたしの戒めによって生きなさい。私はあなたがたの神です。(2-4,MSG訳)」
古代イスラエルの民と同様に、私たちは神の性的な倫理と非常に異なる文化の中に生きています。神はあなたに素晴らしい性の贈り物を安全に守って欲しいと願っておられ、あなたの周りにそそのかれて欲しくないのです。神の道に従うことに心配りましょう。あなたがそうするなら、道を見失うことなく、いのちを見出すでしょう。「あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、それによって生きる。わたしは主である。(5)」
神の民は世のものと違うものとして召されています。聖パウロは書きました。「この世と調子を合わせてはいけません。(ローマ12:2)」これは、この世とは違う、いにしえの神の民が正しく戻された場所に戻る事です(レビ18)。
新約聖書で使徒パウロは、性的な行動を含む、いくつかの行動のリストを上げています。それはクリスチャンが回心する前にそれまで関わっていたものでもありました。ここでも再び、パウロは、パワフルな言葉「しかし」を用います。「あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(1コリント6:11)」ですから、あなたは世とは違う生き方ができるのです。
主よ。私の周囲の基準に自分を合わせることがないようにお守りください。それよりも、あなたの教えと戒めに聴き従うことができますように助けてください。私の全存在をとおしてあなたに栄光をお返しすることができますように。体と、思いと、心によって。アーメン。
H.K