Tokyo Chapel

2019年5月21日

第141日

よい統治?

政府とは民衆を統治し、しばしば国家と呼ばれるコミュニティーを組織する制度です。それは通常、立法府、行政府、司法で構成されます。政府は国家の方針を決定し、それらの方針を施行する仕組みです。歴史的には政治の形式は、神聖政治、専制政治(君主制のような)、寡頭(少数独裁)政治、貴族政治、民主政治などがあります (https://en.wikipedia.org/wiki/Government) 。

ウィンストン・チャーチルはかつて言いました。「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが。」

政治は浮き沈みするものです。政治家たちは私たちがそうであるように弱さを持った人間です。

聖書に登場するすべての人間的な統治についてある種の両義性(アンビバレンス:同一対象に対して矛盾する感情や評価を同時に抱いている精神状態)があります。人間的な政府は神が与えたものとして明言している箇所もあります(たとえば、ローマ13章)。一方で、それは悪魔の支配のもとに置かれたものとして描かれている箇所もあります(たとえば、黙示録13章)。それらはともに人間的な政府の現実を表しています。私たちが善と真理と同時に、罪深く傷ついているという私たちのすべてが合わさった状態を反映しているのが政府だといえます。

しかしながら、その日、全く新しい形の政府が登場することが確約されています。それはイエスの王制です(ヨハネ12:12-36)。


神による統治

詩篇65:1-13

あなたは神がどんなに良いお方であるか知っていますか?神は今日もあなたが神の祝福の内に1日を楽しんで過ごすことを願っておられます。今日の詩篇は神が良いお方であることを教えてくれます。神の教えに従って歩む人生を美しく描き出しています。今日、神の良いお方であることを黙想しましょう。

神はあなたの祈りを聞き入れ(2)、罪を赦してくださいます。自分の犯した罪に圧倒されても(3)、驚くべきことに神は赦してくださるのです。

私たちは良いことに満たされ(4)、神の臨在の中で「希望(5b)」と「喜び(8b)」を得るのです。

私たちは被造物を神がどのように扱うのかを見て神の大きな愛を知ることが出来ます。(大地の水の循環システム、トウモロコシ、穀物、家畜などなど9-13)

私たちの生活は直接的に神に統治されている訳ではないにせよ、日々の生活の中でキリストを通して神との直接的な関わりに生きることができるのです。あなたは神の教えに従い、神の臨在を経験することができるのです。まさしく「神の御国」を日常生活の中で生きることなのです。

祈り:主よ。あなたの驚くべき善のゆえに感謝します。やがてあなたの王国が訪れ、すべてのひざがイエスの前にかがめられ、主が「新創造」の内に正しく統治してくださることを感謝します。


イエスによる統治

ヨハネ12:12-36

あなたは問題に直面したことがありますか?あなたは人生の中で何かの試練で打ちのめされたことはありますか?もし、あなたが今そうなら、あなたのことを理解してくれるリーダーがいます。イエスは言いました。「今わたしの心は騒いでいる。(27)」

イエスは私たちの人生の困難や世界の中の苦難に、どのように対応すればよいかを教えてくださいます。今もそうですが、その時も同じように、危機に時代でした。イエスが言った通り「世は危機に瀕している(30、MSG訳)」のです。

過越の祭のために大勢がエルサレムにやって来ました(12)。ヨセフスは約270万人の人々が集まったと推定しています。これは誇張しすぎかもしれません。それであっても、大規模な祭りであって、おのずとそこには興奮と期待が高まりました。

イエスがいた当時、ユダヤ人たちはメシアを待ち望んでいました。ローマの支配下にある祖国を解放してくれるダビデ王の家系に属する人間としての王を待望していました。イエスがエルサレムに入城するとき、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。(13b)」と民のその期待はイエスに注がれました。群衆はたぶん、イエスをローマの支配からすぐさま解放してくれる希望を持ち、イエスを軍隊を率いる王として見ていたのでしょう。

今も、当時も、統治に対する態度は異なります。パリサイ人はローマの圧政と征服は、がそれを取り除けるまで忍耐しなければならないものととらえていました(19)。サドカイ人はローマの統治を好ましいものとして受け入れていました。熱心党の人々は民の中でもっとも人気でした。彼らは、メシア的な王による暴力的な革命を求めていたのです。

イエスは実に王です。しかし、イエスは、エルサレムに戦車に乗り、勇ましく、けたたましく勝利を喧伝しながら入城したりはなさいませんでした。イエスは異なるタイプのリーダーです。「見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。(15b)」謙遜に、優しく、ろばの子の背に乗ってです。イエスはメシア的王ですが、軍事的なそれではありません。この比喩的行動は群衆の誤解を正し、エルサレムが平和の道に続く都市であることを示したのです。

イエスは勝利の王として来られました。しかし、圧政者に対する暴力によってではなく、ご自身が彼らの暴力を受けることによって勝利の王となられたのです。イエスは言いました。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。(23)」そして、十字架に言及されました。「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(32) イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのです。(33)

私たちは、ここで、切迫した試練、苦難と死に直面したイエスの心の中の葛藤を洞察することができます。「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」(27-28a)

イエスの勝利は、武力を通してではなく、悪魔の力を打ち破る、ご自身をいけにえとして捧げる死を通してもたらされました(31)。イエスの死は、この世界への裁き、悪の放逐、イエスの栄化とすべての人々をイエスのもとに引き付けることの表れです。

実に、勝利の王の異なる形を見ることができます。イエスはメシア的な王についての預言を成就しただけではなく、イエスは苦難のしもべについての預言も成就したのです。イエスは二つの預言の流れをを取り運ぶのです。

ある日、イエスはすべてを永遠に支配し統治する大勝利の王として帰ってこられます。それまでの間、あなたは暗闇の中で輝く光として召されています。もし、あなたがイエスのリーダーシップのもとにあるなら、「光はあなたの内側にあります。そして、あなたの人生を通して輝きます。あなたがたは光の子になるでしょう。(36,MSG訳)」

祈り:主よ。謙遜と自己犠牲を通して、リーダーシップの手本を示してくださったことを感謝します。私も同じように仕えることができますように。私の人生が暗闇の世界に光を灯すものでありますように。


人間の統治

1サムエル8:1-10:8

神はご自身の民が他の民とは異なることを計画しました。神ご自身が王である社会を計画したのです。しかしイスラエルは他の民のように王を立てることを望みました。神の直接統治は民全体が完全に神により頼む時にのみ有効です。もしそうでなければ、士師記の時代のように混沌状態になるのです。王が立てられる方が王がいないよりも良かった訳です。私たちは次のようなリストを上げることができます。

  1. 王としての神(神権政治):神が望まれる状況―主の完全なる意思
  2. 人間の王(君主制):神がお許しになる状況―主の許容としての意味
  3. 王がいない(無政府状態):士師記の状況―カオス(混沌)

神の民は、主の治世を拒絶しました。主は仰せられました。「彼らはわたしを彼らの王として拒絶した。(8:7,NIV訳)」人々は王を求めました。「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。(5)」

サムエルは人間の統治は弱く過ちを犯しやすいことを警告しました。権力は腐敗します。サムエルは彼らを治める王が、彼らの家族、土地、所有物、雇人を奪い、それらを私利私欲のために使うようになることを警告しました(11-16)。

言い換えれば、サムエルはすべての人間的な政府の不完全さと脆弱性を警告したのです。そしてまた、重税が課せられることや「官僚主義の拡大(15,MSG訳)」を警告したのです。

警告にもかかわらず、民は言いました。「私たちの上には王がいなくてはなりません。(19)」主は「プランB」を許可されました。神は彼らに王を与えました(22)。サウルがご自身の民を解放するためにイスラエルのリーダーとして油注がれる者に選ばれました(9:16)。サムエルはサウルを見た瞬間、すぐさま、サムエルはサウルが神の民を治めるようになることがわかりました(17)。サウルの身分は高くありませんでしたが(21)、油注がれた王となったのです(10:1)。

神は新しい計画をイスラエルに施し王を立てました。3つの特筆すべきことがサウルに起こりました。(今は、あなたに、そしてすべてのクリスチャンにも起こることです。)第一に、彼が油注がれたとき、力強い主の霊が彼の上に臨まれた(6b)ということです。第二に、彼は「作り変えられました」。彼は新しい人になったのです。(6c,2コリント5:17)。第三に、サムエルは彼に言いました。「あなたに与えられた仕事をするときはどんな時でもやりなさい。やるのです。神はあなたと共におられます!(7,MSG訳)」

これはサウルに起こった事実であり、あなたにとっても事実です。たとえ、取り巻く環境がそう思わせなくとも、たとえ、神が遠くにおられるように感じても、たとえ、それを見出そうと祈る気になれなかったとしても、どんなに疑いがあったとしても、主の霊はあなたの上にあるのです。あなたは主のように作り変えられつつあるのです。そして神はあなたとともにいます。

祈り:主よ。どうか私たちの指導者に知恵を与えてください。自分たちの個人的な課題を横において、国のために正義、平和、一致をあなたの御名の栄光のために整えていくための働きをすることができますように。アーメン。

H.K

References

Winston S. Churchill, Churchill Speaks: Collected Speeches in Peace and War, 1897–1963, (Antheneum, 1981) (Speech in the House of Commons, 11 November 1947)