2019年8月29日
第241日
聖霊が来て下さる時
私は「聖霊。来てください。」とアルファ・ウィークエンドで初めて祈ったときのことを覚えています。私は「来てください。」と祈る前、アルファ・ウィークエンドを導く人たちがそう祈り求めてきた時はいつでも聖霊は「来て」くださったことを知っていました。そうであっても、私は聖霊が私の祈りに答えて来て下さるだろうとは思えませんでした。私が「聖霊。来てください。」と祈った時、私は目を閉じていました。なぜなら、聖霊が来ておられないという様子を見たくなかったからです!
私が目を開けた時、そこには驚くべき光景がありました。聖霊が力強い方法で来て下さったのです。人々は満たされていました。聖霊は人々の人生を変えていました。これが聖霊のミニストリーです。ある時から私たちの礼拝で、例外なく実際に私たちが「聖霊。来てください。」と祈るのはこれが理由なのです。私たちはいつも「ミニストリー」のための時間を残すようにします。聖霊が私たちに「働いてくださる(minister)」ためです。
英語の「ミニスター(minister)」はしばしばリーダーシップと関連付けられて用いられます。政治では「大臣」を教会では「聖職者」を指す言葉です。実のところ、この言葉の本来の意味は「仕える(to serve)」です。政治家は自分たちの国に「仕える」ために召された者ですし、牧師は教会に「仕える」ために召されました。患者の治療を「つかさどる(administer)」医師は、病人や死にかけている人に「仕える」ために召されています。
聖霊は私たちに「仕えて」くださるのです。聖霊はどんな政治家よりも大きな権威をもたらし、どんな牧師よりも深い慰めを与え、どんな医師よりも素晴らしい癒しをもたらすのです。神は私たちに私たちの命の最も深い部分で聖霊によって「仕えて」くださるのです。
使徒パウロは「御霊の務め(the ministry of the Spirit)」について語っています(2コリント3:8)。ジョン・ウィンバーはこのような務め(ministry)を「神の資源を持って他者の必要に出会うこと」と定義しました。素晴らしいことに、このような務めに今あなたも私も就くことができるのです。
「風」と「炎」のミニストリー
詩篇104:1-18
これは、神の創造全体の驚異のゆえに神をほめたたえる詩篇です。神が創造されたものはすべて良きものです。「また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。油によるよりも顔をつややかにするために。また、人の心をささえる食物をも。(15)」と付記されているのは好ましいことです。
もちろん、神からのすべての良い賜物と同様に、ぶどう酒は乱用され得ます。聖書はしばしば飲酒に対して警告を与えます。しかしながら、ぶどう酒は、油やパンと同じく、神によって与えられたもので、人間の心を楽しませ、喜ばせるものです。
前半部分で詩篇の作者は言います。「風をご自分の使いとし、焼き尽くす火をご自分の召使いとされます。(4)」ここで「召使い」と訳されている語は「ミニスター(minister)」と訳すことが出来ます。(英語ではRSV訳、ESV訳、KJV訳)
この箇所は、ペンテコステの日の説明のための旧約聖書の背景として魅力的です。聖霊が来られた時、彼らは「激しい風が吹いて来るような響き」を聞き、「炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった」のを見ました(使徒2:2-4)。
「風」と「炎」は神の務めです。それらは、神の力、情熱、純粋さの象徴です。あなたが「聖霊。来てください。」と祈る時、神が聖霊の風と火を送ってくださることを期待し、聖霊のミニストリーが力強く、人生を変えるものであることを期待するのです。
祈り:主よ。人々が神の力、情熱、純粋さを経験する時に彼らの人生が造り変えられることを感謝します。今日、聖霊。来てください。そして私を満たしてください。
いのちを与えるミニストリー
2コリント2:12-3:6
どのようにしてあなたは人にいのちをもたらすことが出来るでしょうか?この箇所で、「文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」とパウロは自分自身を「新しい契約に仕える者(minister)」と書き記しました(3:6)。
- あなたを通して、人々はキリストのかぐわしい香りをかぐ
「私たちが行く所どこでも、人々はえもいわれぬ香りをかぐのです。(2:14b,MSG訳)」パウロは自分のミニストリーを「永続する勝利のパレード(14a,MSG訳)」のようだと記述しています。王や将軍が記念すべき勝利を勝ち取った時、町中がこぞって彼らの帰還を歓迎するために繰り出していくでしょう。行列の中には彼らが捕らえた捕虜たちも連れて来るでしょう。そこには「香を炊く甘い匂い」が伴っています。
幾人かの捕虜にとって、それは「死に至らせるかおり(16a)」です。他の勝利者たちにとって、それは「いのちに至らせるかおり(16b)」です。同じように、「私たちは神が立ち上らせるかぐわしい香りを放ちます。それは救いの道にある者たちによって認識されたものです。…しかし、破滅に向かう道にある者たちは、私たちを腐敗する死体が放つ悪臭のようにみなすのです。(14-15,MSG訳)」 - あなたを通して、人々はイエスについて読む
ある人々が読むであろう唯一の聖書はあなたの生活です。パウロはコリントの人々に書きました。「あなたがたの生活そのものが手紙です。それは誰でもあなたをただ見るだけで読むことができるものです。キリストご自身がそれを書きました。インクによってではなく、生ける神の霊によってです。石の上に彫られたものではなく、人の命に刻まれたもので、私たちがそれを出版するのです(3:1b-3,MSG訳)」
すべての人が本を読めるわけではありません。しかし、あなたに出会うすべての人はあなたの人生を読むことが出来るのです。 - あなたを通して、人々はイエスとの関係について聞く
あなたは「私は役に立たない」とか「私は何もできない」とか言うべきではありません。あなたは、聖霊のミニストリーを通して、他の人々にイエスの良き知らせをもたらすことが出来るのです。これはあなたに大いなる確信を与えるべきです。それは自信ではなく、神の確信です。
「私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。(4-5)」
聖霊はあなたの人生に新しいスタートを与えるだけでなく、一緒にスタートする新しい人生を与えてくださいます。古い契約はモーセを通して神によって作られました。しかし、それは神が彼らにそうなってほしいと願われた通りにする力を持ってはいませんでした。
なぜなら、人々は石の板に書かれた律法を守ることが出来なかったので、究極的にはそれは死をもたらしました。「文字は殺す(6)」のです。他方、聖霊のミニストリーはあなたの心に書かれたもので、それは「生かす(6)」ミニストリーなのです。
聖霊は人間の性質に変化をもたらします。「私は変わることができない。」と言ってはなりません。聖霊によってあなたは変えられるからです。(究極的には何一つ私たちには守ることが出来ない)
宗教的な規則や規約と、いのちをもたらし、いのちを満たす(ヨハネ10:10)イエスを通して与えられる神との関係とは全く違います。
祈り:主よ。何度も何度も、聖霊が霊的に死んだ人々にいのちを与えるのを私たちが見ることができるこのミニストリーのゆえに感謝します。
新しい契約のミニスター
2歴代33:21-35:19
ティム・ケラーは契約を「2つの当事者がお互いに持つ、厳粛で、永続的な、全き自己犠牲である。それは律法と愛の両方を見事に掛け合わせている。…単に法律的な契約が交わされるという以上に、より親密で愛に満ちた関係。しかし、個人的な好意だけで結ばれるというより、より長続きし一つに合わせられたもの」と定義しました
パウロは書きました。「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。(2コリント3:6)」パウロは古い契約とこれとを際立たせました。ここで私たちはこの古い契約についてのいくつかの事柄を見ます。
「主の前にへりくだらず、かえって、彼アモンは罪過を大きくした(2歴代33:23)」悪王であったアモンの後、8歳のヨシヤが王になりました(34:1)。ヨシヤは16歳になると彼の信仰は生き生きとして「彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め(3)」ました。ヨシヤはユダとエルサレムをすべての悪い品々をきよめ、その場所をきれいにしました(3-7,MSG訳)。ヨシヤは「宮を繕い、修理させた(10)。」
彼らがそうしている間、彼らは「モーセを通して示された主の律法の書を発見した(14)。」古い契約を見ていると、彼らは「主のことばを守らず、すべてこの書に記されているとおりに行わなかった(21)」ことが分かりました。
神は女預言者フルダを通して語られました(22)。(再びここで、旧約聖書の中に女性がミニストリーにおいて重要な役割を担っている例を私たちは見ます。)
ユダの男たち、エルサレムの人々、祭司やレビ人、が聞いている中で、ヨシヤは「主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。(30)」彼は、厳粛に、その契約に自分を従わせる献身をしました。「それから、王はその定めの場所に立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされている契約のことばを行うことを誓った。(31)」
古い契約は良い契約でした。しかし、それは石の板に書かれたものでした。たとえ、人々がその律法を守ろうと試しても、決して長続きしませんでした。外面的な改革はヨシヤがそうさせた期間しか続かなかったのです。究極的には彼らはそれを守ることに失敗しました(エレミヤ11-13参照)。
律法は私たちに救い主の必要を示します。あなたはただ、イエスが与える赦しを受け取る時、神の契約を守ることが出来るのです。それはあなたの心に書かれた律法、聖霊の務めによってです。
祈り:主よ。私たちが「新しい契約のミニスター」であることを感謝します。そして、今は、あなたの律法が聖霊によって私たちの心に書かれ、聖霊によって主にあって歩むことが出来、主の力にあってミニストリーをすることが出来ますことを感謝します。アーメン。
H.K
References
Timothy Keller, Preaching: Communicating Faith in an Age of Skepticism (Viking, 2015) p.104