Tokyo Chapel

2019年8月13日

第225日

あなたが知ることを必要とするお方

私たちは三年間オックスフォードに住みました。彼はオックスフォード大学で英国国教会の聖職位のための訓練と神学の学位を取るために学びました。そこで生活してみて、ロンドンの生活を比べて分かった一つのことは、オックスフォードは比較的「物質主義的ではない」ように思えたということです。人々は総じて、裕福層ではありません。成功の尺度が異なるのです。

オックスフォードの人々はお金や美貌よりも頭脳に関心がある傾向が強いのです。成功は、第一級の学位、主席、PhDなどの学位、教授職、論文数などで計られました。私はお金や富が間違った神になるのと同様に教養や「知識」もまた偶像になりかねないのではないだろうかと思いました。

知識そのものは良いものです。事実はあなたの友です。教育は良いものです。読むこと、学ぶこと、発見することは、すべて良い活動です。しかしながら、バイロン卿が記したように、「知識の木にはいのちはない。」のです。私たちは「知識」を洞察をもってとらえる必要があります。私たちの知識はとても限定されています。私たちが知ればしるほど、私たちは如何に私たちが知っていることが小さいかを認識します。神は私たちの創造者です。そして神だけがすべてをご存じなのです。

また、知識には様々なタイプがあります。そしてそれらは同じ価値があるのではありません。フランス語では、「知る」という単語は異なる二つの語があります。一つ(savoir)は事実を知ることを意味し、もう一つ(connaître)は人を知ることを意味します。神は事実を知ることよりも人々を知ることに関心があります。すべての中で最も重要な知識は神を知ること、そして神に知られることです。ただし、これでおしまいではありません。単に知識を持っているだけでは十分ではありません。あなたは愛をも持っていなければなりません。


最も大切な知識は神の知識です。

詩篇95:1-11

詩篇の作者は礼拝、賛美、感謝への呼びかけで始めています(1-2)。私たちは、礼拝したい気持ちだからというのではなく、また物事がうまくいっているからというのではなく礼拝します。実際、時には私たちは困難な環境や難しい時を過ごしていても礼拝するのです。

私たちが気分がよくなるために私たちが礼拝するわけではありません。それでも、しばしば霊的に新鮮になるということを願って礼拝する必要を感じます。

むしろ、私たちはこの詩篇の中に、私たちは神が、神でおられることのゆえに礼拝するということを見ます。

「主は大いなる神であり、
すべての神々にまさって、大いなる王である。…
来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。
私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。
主は、私たちの神。
私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。(3-7)」

詩篇の作者は彼らが神について知っている民であることを思い起こさせます。これこそ最も大切な知識、すなわち神の知識です。

この礼拝の文脈において、神はしばしば私たちに語り掛けます。それは過去において神が語ってくださったということだけではありません。神は今日語っておられるのです。詩篇の作者は言います。「きょう、もし御声を聞くなら、…(7b)」と。

この詩篇で、私たちはもう一つの種類の大切な知識を見ます。神は、人々が迷い出てしまったと言います。なぜなら、彼らは「わたし(神)の道を知ってはいない(10,NIV訳)」からです。神の道を知り、従うことは神の御心を生きる人生の鍵です。

祈り:主よ。私はあなたの前に今日ひざまずきます。そしてあなたを礼拝します。あなたが私を知っておられ、私があなたを知ることができることを感謝します。今日、私があなたの声を聴くとき、心かたくなになったり、道から迷い出たりすることがないようにお守りください。あなたの道を知り、従い、あなたの安息に入ることができますように。


最も大切なことは知識ではなく愛

1コリント7:36-8:13

知識はよいものですが、内側に危険が潜んでいます。それはプライドを高めてしまったり、「知識こそすべて」という優越感を生んだりします。「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。(8:1b)」

知識はそれそのものが悪いわけではありません。「知識は下着のようなものです。…それはとても役に立つ。けれども見せびらかす必要はない!」と言われる通りです。あなたが知っていることを人に印象づけようとする代わりに、いつも、愛によって他の人々を励まし、立て上げることに努めましょう。

知識はしばしば、プライドと傲慢へと誘います。「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(2)」人生で本当に大切なことは神を愛し、愛の生活を生きることです。「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。(3)」

ユージン・ピーターソンはこう訳しています。「私たちは時々、それらの類の疑問への答えとして私たちが知る必要のあるすべてのことを知っていると考える傾向があります。しかし、時々、私たちの謙遜な心が、私たちの自尊的な思いよりも助けになることができます。私たちが、神おひとりがすべてのことをご存じであるということを認識するまでは、私たちは本当は十分には知っていないのです。(1b-3,MSG訳)

パウロは「偶像にささげた肉(1,4)」の例を用いています。知識を持っている人は、偶像は実在しないのだから、偶像にささげた肉であってもよい食べ物だ」と考えます。「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。(6)」

「しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。(7a)」ある人々の良心は弱いのです。これを食べることが間違っていると感じる人の前で偶像にささげられた肉を食べることによって、私たちはその人たちを迷い出させてしまうかもしれません。大切なことは私たちの優れた知識ではなく、私たちの他者への愛です。「しかし、知っていることがすべてではありません。もし、それがすべてになってしまうなら、ある人々は、他人を無学な人として扱うことしかできない知ったかぶりとして終わるでしょう。本当の知識は感受性のないものではありません(7b,MSG訳)」

「キリストがご自身のいのちを与えてくださったお方であり、…あなたがあなたの友人を傷つけた時、あなたはキリストを傷つけたのです。(11-12,MSG訳)」ということを認識するのです。パウロは記します。「それゆえ、もし、私が食べたものが原因で私の兄弟や姉妹が罪に陥るなら、私は二度と肉を食べたりしないでしょう。それで、私は彼らに罪を犯す原因にはなりません。(13)」

愛は知識よりもっと重要です。神が人を計る時、神は巻き尺を頭にではなく、心に巻くのです。神について沢山のことをただ知っているだけは良くありません。神を知り、そして、神にあなたを神を愛し、他者を愛することで満たしていただきましょう。

祈り:主よ。知識の危険性は人を高ぶらせることですが、愛は人の徳を建てますことを感謝します。すべてのことをあなたへの愛から溢れるようにしてくださり、他者への愛からできるように助けてください。


知ることには限界がありますが、知識を追い求めなさい

伝道者の書7:1-9:12

知恵と知識は伝道者の書では車の両輪です。知恵も知識も基本的に良いものです。

「資産を伴う知恵(遺産のような知恵,NIV訳)は良い。日を見る人に益となる。(7:11)」

「知恵は一人の知恵ある人に、十人の強い男たちに都市を与えるよりも、もっと力をまとわせる(19,MSG訳)」

「知恵ある者になることより良いことはありません。
人生の意味をどのように解釈すればよいかを知るのです。
知恵は目の中に輝くともしびです。
そして、言葉と振る舞いに優しさをもたらします(8:1,MSG訳)」

知恵の一例は、知恵ある人々は自分の機嫌を正しく治めることができるということです。「すぐに自制心を失ってかっとなってはなりません。怒りはブーメランのように元に戻るのです。(7:9,MSG訳)」

しかし、伝道者の書の作者は知恵や知識の限界を認識しています。第一に、私たちが知恵や知識をたくさんもっていたとしても、実際に私たちは将来について何も知ることはできません(14)。第二に、「賢すぎる」という危険があります。神から離れて、プライドを形成するようになる、不健全な知識への欲求を持つということがあるのです。

「知恵を大量に詰め込んで、この地上ですべてのことを試そうと私が固く決心した時、もし自分の目を昼も夜も瞬きもせずに開け続けても、依然として神がこの地に為しておられることの意味を何一つ理解していないのだということを私は認識しました。あなたが調べたいだけ調べても、あなたは分かったとは思えないでしょう。あなただどれほど賢かったとしても、あなたは根底にたどり着くことなどできないのです。(16-17,MSG訳)」

たとえ賢く、富んでおり、力強い人であっても「死の日も支配することはできない。(9:8)」「人生の終わりは死です。それでおしまい。(9:3,MSG訳)」と思うでしょう。私たちは自分の命がいつ終わるのかを知りません。「人は自分の時を知らない。(12)」

唯一、神だけがすべてをご存知です。神に比べて、私たちの知恵や知識はとても限られたものです。究極的には、私たちは「神の御手の中にある(9:1)」のです。私たちは人生を楽しむべきです。そして、今ある人生を最大限に生きるべきです。「人生をつかめ!…神はあなたが楽しむことを楽しまれる!…あなたの高価な毎日を、お互い愛し合う伴侶とともに人生に味付けしなさい。一日一日は神からの賜物…その日を最高のものにせよ!(7,9,MSG訳)」

「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。(10a)」あなたの人生を無駄にしてはなりません。一瞬一瞬をそしてあらゆる機会に最善を尽くしましょう。

イエスは「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(ヨハネ17:3)」と言いました。これはあなたが得ることのできる知識の中で最も大切なものです。それは今始まって、永遠に続くものです。この知識を、正しい洞察をもって、あらゆる知識にあてはめましょう。

祈り:主よ。あなたを知ることは知恵のはじめであることを感謝します。私が人生のあらゆる機会に最善を尽くすことができますように。私が為すことは何でも、全力を尽くすことができますように。そして、それらすべてを愛を持って為すことが出来るようにお助けください。アーメン。

H.K

References

Lord Byron, Manfred: A dramatic poem, written 1816–17.