Tokyo Chapel

2019年9月23日

第266日

イエスは何を変えてくださるのか?

私はイエスを信じた何百と言う世界中の人々にインタビューしてきました。私が何度も何度も質問してきたことは、「イエスは何を変えてくださいましたか?」です。そして下記に引用した典型的な答えのように、純粋な答えが返ってきたのです。

  • 「私の人生は完全に変わりました。今は世界が全く違って私の目に映っています…。私はすべての人に愛を感じ、内なる平和を受けています。そんなものがあるなんて今まで想像したことがありませんでした。」
  • 「私は私の人生を真っ暗な穴の中で生きてきました。私はとても重い荷を肩に背負ってきたのです…。その重荷は取り去られました…。そして大きな希望、喜び、興奮と愛に私は満たされ、私がただしたいことは、キリストに従うことです。キリストの御心に沿うことは何でもです。」
  • 「私は一日で、愛を見つけ、死に打ち勝った気分です。」

イエスが変えてくださることは、大規模で、永遠で、すべてを理解するのが不可能なものです。


永遠の赦し

詩篇110:1-7

イエスは私たちの罪のために完全ないけにえとなってくださることを通して赦しを可能にされました。イエスは「王の王」そして「偉大な大祭司」としてただ一人それを成し遂げるにふさわしいお方です。

イエスは明らかに、このダビデの王家の詩篇をご自身に当てはめてご覧になっていました。(1,マタイ22:42-45,ルカ20:42-44参照)それは新約聖書の中で最も頻繁に引用される箇所の一つです。旧約聖書の預言の二つのことがこの詩篇にともに記されています。

  1. 王の王
    それは人間の王についてのことですが、それは神的な王を指しています。そのお方はすべての王を支配する王です。(詩篇110:5)。
  2. 偉大な大祭司
    ヘブル人への手紙の作者はこの詩篇をイエスに当てはめて引用しています(ヘブル7:17-22参照)。それはメルキゼデクに等しいくらいを持つ永遠の祭司としてです(詩篇110:4)。メルキゼデクもイエスもレビ人ではありません。しかしどちらも祭司です。それは家系を土台にするものではありません。それは「朽ちることのない、いのちの力」を土台とするものです(ヘブル7:16)。

    旧約聖書の祭司の務めは一時的であるのに対して、イエスの祭司の務めは永遠に続きます。「キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。(27)」「あなたは永遠の祭司です(詩篇110:4,MSG訳)」

祈り:王なるイエスよ。私が赦され、私の人生が全く変えられるように、あなたが一度で完全ないけにえとなってくださったことを感謝します


平和と和解

エペソ2:1-22

「平和」にイエスが私たちの人生にもたらしたすべての祝福がまとめ上げられています。キリストが来られ、すべての人に「平和」の可能性を宣べました(17)。

イエスはよみがえられた後、神の右の座に着かれました。それは今日の詩篇で預言されている通りです(詩篇110:1)。着座することは、休息と平和を暗示します。あなたはキリストと共に死にました。そして共に葬られ、共によみがえらされ、そして天の領域にイエスとともに今、座しているのです(エペソ2:6)。あなたは日々の生活の中で、主の平和と休息を自分のものとして楽しむことが出来るのです。

パウロは、キリストが居ない人生を次のような言葉を用いて記述しています。

  • 「罪過と罪との中に死んでいた(1)」
  • 「この世の流れに従い(2)」
  • 「かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い(3a)」
  • 「御怒りを受けるべき子ら(3b)」
  • 「キリストから離れ(12a)」
  • 「神の方法の部外者(11,MSG訳)」
  • 「約束の契約については他国人(12b)」
  • 「望みもなく(12c)」
  • 「神もない人たち(12c)」
  • 「遠く離れていた(13)」
  • 「隔ての壁」によって分けられていた(14b)
  • 「他国人」、「寄留者」(19)

パウロはイエスがもたらした違いを対照的な言葉を用いて記述しています。

  • 「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ(6)」
  • 「ともに天の所にすわらせてくださいました。(6)」
  • 「神の作品(10)」
  • 「良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られた(10)」
  • 「キリストの血によって近い者(13)」
  • 「十字架によって神と和解させ(16)」
  • 「御霊において、父のみもとに近づくことができる(18)」
  • 「神の家族(19)」
  • 「御霊によって神の御住まい(22)」

神からあなた自身が離れているという以前の疎外感とイエスがもたらした平和と和解との間にある対照ほど大きなものはありません。それがイエスがもたらす違いです。あなたはキリストとともに生きる者とされました(5)。あなたはキリストとともによみがえらされました(6)。あなたはキリストにある信仰を通して救われました(8)。あなたが近寄せられたのはキリストにあることによってなのです(13)。あなたが一つ御霊によって父に近づくことができるのはイエスを通してです(18)。イエス・キリストご自身は新しい神殿である教会の礎石です。

パウロがここで命じていることは「思い出してください。(11)」だけです。しばしば、私たちはクリスチャンであることはイエスが私たちのために為されたことに尽きるということを忘れてしまいます。そして、自分がすることに捕らわれてしまうのです。この箇所はあなたがそうすることを止める助けとなります。思い出してください。そしてイエスがあなたのために為してくださったすべてのことのゆえにあなたの驚くべき救い主に感謝をささげましょう。

祈り:主よ。あなたの私への偉大な愛を感謝します。あなたが私の人生にもたらしてくださった全き変革を感謝します。


目的と意味

イザヤ55:1-57:13

聖書は神のもとへ来るための長文の招待状です。それは「あなたはどこにいるのか?(創世記3:9)」という、愛と苦悩に満ちたアダムへの神の呼びかけで始まります。そして、御霊と花嫁からの「来なさい!(黙示録22:17)」という招待で締めくくられています。

イエスはしばしば人々を「わたしのところに来なさい。(マタイ11:28)」、「どうぞ宴会にお出かけください。(22:4)」、「わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」と招待しました。

「さあみんな!喉が渇いている者は皆、
来て飲みなさい
あなたは一文無しだって?
とにかく来なさい ― 買って食べよ!
来なさい。飲み物を買いなさい、ワインと牛乳を買いなさい。
お金はいらないから。どれもこれも無料です!(イザヤ55:1,MSG訳)」

招待は緊急的で普遍的です。新約聖書はそれをイエスの私達への招待と見なしています(使徒13:34-35参照)。ここでは、私たちがなぜイエスのもとに来なければならないのかという4つの理由が示されています。

  1. イエスだけがあなたの心の中にある飢えを満たすことが出来る。
    イエスが無ければ私たちは渇きます(イザヤ55:1)。私たちは満足を与えないもののために働いています(2)。最初の方の節では、古代世界での商業の中心であったバビロンで自分たちの商品を売ってしまった彼らの叫びが反響しています。そのメッセージとはこうです。物質的なものでは満足は得られない。神無しには、充足の足りなさと不満足な感覚を体験し、私たちはいつもどこか空しい。

    イエスにつけられた値段は「無料」です。それは「金のない者(1)」のためです。あなたがイエスのもとに来る時、「あなたの魂は最上の料理に喜ぶでしょう…あなたの魂は生きるでしょう(2-3,NIV訳)」イエスのもとに来る人々は深い満足を得ます。神はあなたに粗末な食べ物を差し出しておられるのではなく、宴会を催しておられるのです。主のことばは「いのちを与え」そして「いのちを養う」ものです(2,MSG訳)。
  2. イエスの愛とあわれみは偉大です
    神の臨在をすべて楽しもうとすれば、悔い改めが必要です(6-9)。罪から立ち返りなさい。「悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。(7a)」私は子どもの悔い改めの定義が好きです。「止めるのに十分なほど悲しむこと」

    悔い改めはまた、神に立ち返ることでもあります。「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。(7b)」あなたがどれほど堕ちたものであったとしても、神はあなたを赦してくださいます。神は「惜しみなく赦す(7,MSG訳)」お方です。
  3. イエスは人生を変えてくださる
    「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。(12-13)」

    この箇所はバビロンからユダヤ人たちが出立したことが即座に適用されます。イエスラエルはバビロンから「出て行き」エルサレムに「喜びをもっ、安らかに」戻っていきました。

    しかしながら、預言はイエス・キリストの再臨まで、完全に成就したとは言えません。その時、自然界そのものが刷新され回復されるのです。あなたは今、この人生の中で、この前味を味わっているのです。しかし、これらの節の究極の成就はイエスが再臨する時に、新天新地においてやってきます。聖書は単に人類の歴史ではありません。むしろ、人類が中心的にきわめて重要な役割を果たす、被造物世界全体の物語なのです。
  4. イエスはあなたの人生のために目的を持っている
    神の祝福は自己中心的に楽しむことのために意図されてはいません(3b-5)。それらは他者へと溢れ流れるのです。あなたは自分が受け取らなかったものを人に提供することはできません。しかし、あなたが祝福を楽しむとき、あなたはそれを手渡していくことが出来ます。

    今日の箇所でパウロが記していたように、あなたは「神の作品」なのです。神はずっと以前からあなたに良い働きが出来るようにと計画し、キリスト・イエスにあって、あなたを新しく作ってくださったのです(エペソ2:10参照)。あなたの人生には目的があります。あなたの物語は重要です。あなたの夢は価値があります。あなたの声は大切です。あなたはインパクトを生み出すために生まれてきたのです。

祈り:主よ。あなたがわたしにいのちの水を飲むように招いてくださったことを感謝します。あなたが、今もそして永遠にも、私に大規模な変化を与えてくださったことを感謝します。アーメン。

H.K