Tokyo Chapel

2018年4月1日

第92日

それはすべてあなたのもの

ロンドンのチェルシー・フラワー・ショーは世界でもっとも有名なフラワー・ショーで世界中からの訪問客で賑わいます。

ショーは各部門ごとにゴールド、シルバー・ギルト、シルバー、ブロンズの各賞が設けられています。ガーデンと花の賞と同じように、野菜の展示部門での賞も設定されています。

ある時、10年連続で野菜部門で金メダルを獲得して引退した男性がインタビューを受けました。彼がどうしてこんなにも成功したのかを問われると、彼は言いました。「私は完璧を目指している。でも最善に甘んじている。

「完全な者になりなさい。(2コリント13:11)」と使徒パウロは記しました。これは「完全主義」とはかなり異なります。完全主義は完璧を得ようと奮闘することで特徴づけられた性格です。それは過度に高い能力の基準を設定することに導きます。完全主義者は過度に批判的で常に周りの評価を気にします。そして失敗することや間違いを恐れます。その結果、失意、心配、チャンスを見過ごすという結果に陥りかねません。

神の民はいつも高い目標に召されてきました。(完全主義の危険を避けながら…。)神は旧約聖書でご自身の民に彼らの潜在的遺産という素晴らしいビジョンを与えています。それはすべてキリスト・イエスにあってあなたのものなのです。


喜びに満たされることを目指す

箴言8:22-31

イエスはあなたに喜びで満たされて欲しいと願っておられます。イエスはあなたに完全な喜びを体験して欲しいのです。イエスは言いました。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにありあなたがたの喜びが満たされるためです。(ヨハネ15:11)」

今日の箇所の擬人化された知恵の記述は新約聖書がイエスについて語る方法と共鳴しています。イエスは、最初、神とともにおられました。(ヨハネ1:2)(箴言8:23、30と比較)

知恵は喜びに満ちているものとして見られています。「毎日毎日私はそこにいた。私の喜びの喝采とともに、いつも彼と共にあることを楽しみ、この世界と被造物を喜び、人間の家族を幸せに祝った。(箴言8:30b-31,MSG訳)」

この喜びは溢れ流れます。「喜びで満ち(30,NIV訳)」、それは定常的です。「毎日(30)」この喜びはどこから来るのでしょうか?

第一に、これは神の臨在から来ます。(「主の臨在に」,30,NIV訳)第二に、他の人々との関係から来ます。(「人間の家族」,31,MSG訳)第三に、神の創造から来ます。(「この世界と被造物」,31,MSG訳)神は楽しむための豊かな良きものを私たちに備えておられます。(1テモテ6:17)それはすべてキリスト・イエスにあってあなたのものです。

父なる神とイエスとの関係にあってイエスが体験された喜びは、この地上の生活において、イエスを力づけました。「イエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び(ヘブル12:2)」イエスは、私たちに、私たちの人生における高い目標を教えています。それはただ何かをするだけではなく、困難に耐え、常に神の臨在の喜びを慕い求めるものです。

祈り:主よ。あなたがあなたの喜びを私の内に与えたいと願っておられること、そして私の喜びが完全になることを願っておられることを感謝します。私は足らない状況に甘んじたくはないのです。


愛に満たされることを目指す

ルカ9:10-27

イエスは最高の愛の例です。世俗の世界であってもしばしばこれを認めます。タイム・マガジンはこう記しています。「イエス、西洋の歴史における最も忍耐深い純粋さ、利他性、そして愛の象徴。」

イエスはあなたを愛しています。イエスはあなたの肉体的な必要についてケアしてくださいます。空腹な群衆を自分で食事をみつけさせるように返してしまうよりも、イエスは弟子たちに彼らを奇跡をもって養わさせました。

私たちは再び五千人の給食の記事を読んでいます。これは、復活に記事以外では、唯一全ての福音書に記載されている奇跡です。わずかなもので膨大な必要を満たすことが出来る奇跡をイエスは与えて下さること、そしてイエスがご自身の奇跡に私たちをも含めてくださることを私たちは覚えます。これは非常に大きな特権であり、イエスのうちに、そしてイエスを通してすべてあなたのものです。

イエスが「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ね、ペテロが「神のキリストです。」と答えた時に(20)、弟子たちはイエスが実際に誰であるかを、理解し始めました。イエスはご自身の死(歴史上、最も偉大な愛の行為)と復活について彼らに説明し始められました。イエスはご自身の弟子たちに高い目標をチャレンジしました。イエスはあなたに他者のための愛とイエスのための愛をともに合わせた3つのことにおいて目指すように召しておられます。

  1. 罪をおかさない
    罪は愛の反対です。英語のSIN(罪)という単語には、その中心にI(私、自分)があります。イエスは「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て(23)」と言いました。神はあなたの生活の中に異なるささげものを要求しているように見えるかもしれませんが、私たちが、求められていることは、ただ罪を手放すということです。

    毎日、この愛のチャレンジは自己否定の小さな行動を求めるのです。

  2. 自分中心ではない
    イエスは言いました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。(23-24)

    実質的に、イエスは私たちを「来て、死になさい」と招いてます。今日において十字架は希望の象徴です。しかしながら、それは、痛み、恥、不名誉、そして究極的には死の象徴です。

    イエスはもしあなたが自分中心の野心に生きるなら、たとえ、あなたがいつも最も成功した人物で「全世界を手に入れても(25)」それはあなたに何の益ももたらさらないでしょうと言われました。すべてに満ち足りたいのちを見出す道は、イエスを愛し、他者を愛するために、あなたの命を捨てることです。あなたの十字架を日々負って主に従いましょう(23)。

    あなたの命をあきらめることを意思することは究極の愛の行為です。これはイエスが最初にお見せくださった例です。イエスはあなたとわたしをご自身の例に従うように召しておられます。「断固として私のために裂きなさい。生きることにおいて私の例に完全に従いなさい。もし必要であるなら、死ぬことにおいても。」(23,AMP訳)

  3. 秘密を持たない
    イエスは言いました。「もしだれでも、わたしわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。(26)」

    もし、あなたがイエスを愛しているなら、イエスを恥じてはなりません。ときどき、私たちの唇にご自身のお名前を上らせることでさえチャレンジになります。イエスの教え、つまりイエスの「ことば」を恥じてはなりません。もしあなたがイエスがあなたのことを誇りに思ってくださるように願うなら、あなたがイエスを誇りに思わなければなりません。もし、あなたが人々を愛するなら、あなたはすべての人がイエスについて知ることを願うのです。

自分のことを言うと、私は、しばしば、これらの領域においていかに自分が及ばないかということを知っています。しかし、完璧とは程遠い私たちの生活という事実であっても、高く目指すことを決して止めるべきではありません。
祈り:主よ。私が高きを目指すことを助けてください。今日、自己を捨て置き、十字架を負ってあなたに従うことができますように。あなたとあなたの言葉を恥と思うことなく、むしろ大胆にあなたの死と復活が私たちのためだったのだと福音を宣言することができますように。


御霊に満たされることを、目指す

民数記33:1-34:29

あなたは驚くべき相続財産を持っています。それはイエスにあってすべてあなたのものです。この箇所は神がご自身の民に約束された相続財産について記されています(34:29)。彼らは意気揚々と出発しましたが(33:3)、40年間も荒野をさまよわなければなりませんでした(38)。彼らは、彼らの相続財産を十分に楽しむことがありませんでした。

パウロは使徒の働きの中で神は相続財産としてイスラエルの民にその地を与えたと言っています(使徒13:17-20)。さらに、「私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。(32-33)」と説明しています。これが今あなたの相続財産なのです。

カナンの知をご自身の民に与えるという神の約束は、単純に実際の土地よりももっとすばらしいものです。それは、神の守りの安全のもとで、神の約束の地で、神の民が神との関係を楽しむという、繁栄の約束です。このポイントは神の臨在と支配の領域である「神の国」という新約聖書の概念へとつながっています。それはイエスによって成就し、今はあなたのものなのです。

キリストにあって、あなたの相続財産は「永遠の資産の約束(ヘブル9:15)」です。それは、決して「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産(1ペテロ1:4)」です。

この相続財産は将来楽しみにして待つものとしてだけではなく、あなたはこの相続財産の一部を今すぐに使うことができるのです。「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペソ1:13-14)」

「預金」のギリシャ語(arabone)は「頭金」という意味がある言葉です。言いかえると、あなたは今、ここで相続財産の前味を聖霊を通して体験するのです。あなたが御霊にあって生きるとき、あなたの人生は「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22)」という御霊の実を結ぶチャレンジを受けるでしょう。セカンドベストに甘んじることなく、聖霊の満たしを目指しましょう。あなたの相続財産を受け取りましょう。

祈り:主よ。御霊によって、「目のとげとなり、わき腹のいばら(民数記33:55)」となることを許さず、罪から遠ざからせてください。高い目標を助け、私の相続財産を受け取らせ、聖霊に満たしてください。アーメン。

H.K

References

TIME, Monday June 21, 1971, ‘The Alternative Jesus: Psychedelic Christ’ © Time inc.

Wikipedia, ‘Perfectionism’, https://en.wikipedia.org/wiki/Perfectionism_(psychology) [last accessed March 2016]