Tokyo Chapel

2019年10月15日

第288日

たゆまず正しいことをする

マーチン・ルーサー・キングは言いました。「ある状況で、臆病は『それは安全か?』と尋ねる。ご都合主義は『それは抜け目がないか?』と尋ねる。うぬぼれがそこに来て尋ねるのは『それは人気があるか?』だ。しかし良心はこう尋ねる。『それは正しいか?』」

「究極の人間のはかりは、都合のいい瞬間に彼らが立っている所ではない、むしろ、試練の瞬間、大きな危機や論争の瞬間にどこに立っているかである。」

職場の中で困難な状況で、していることが正しいかは大きなチャレンジです。ケン・コスタの著書「ゴッド@ワーク(God at Work)」には「正しいことと間違っていることを選択することがあります。…「不適切な」とか「逆効果の」といったすべての考案された言い回しは、行動の道筋に正しいことと間違っていることがあるという単純な倫理的な事実を回避するための努力です。」

難しい牧会上の状況に直面した時、教会のリーダーシップを執る人々が心に留める必要があることとして、最初に自問自答しなければならないことは「そうすることが正しいのは何なのか?」であり、そのあとで、「どうすることが最も牧会的なことなのか?」です。

もちろん、誰も完璧に正しいことを選ぶことはできません。私たちは皆、判断を誤ることがあります。ケン・コスタが記しているように「もし、私たちが自分の過ちに学ぶなら、私たちはただ知恵において成長します。(ケンの最初の上司)ジークムント・ヴァルブルクはこの問題についてこう言いました。『誰かがそれを失意と名付ければ、より貧しくなる。他の人がそれを経験と名付ければ、より豊かになる。』」

今日の新約聖書の箇所で、パウロはテサロニケの人々に書いています。「しかしあなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。兄弟たちよ。(2テサロニケ3:13)」イエスは簡単で人気のある解決へとは向かいませんでした。むしろいつも正しいことをしたのです。これは聖書全体を貫いている重要な原則です。


していることが正しいということはとても実践的である

箴言25:1-10

していることが正しいということは、私たちの生活から正しくないすべてを追い払うということです。「銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる。王の前から悪者を除け。そうすれば、その王座はによって堅く据えられる。(4-5)」ここに、正しい生き方がどのようなものであるのかといういくつかの実践的な例があります。

  1. へりくだって行動する
    あなたは自分自身を前に押し出す必要はありません。為すべき正しいことはへりくだって行動することです。「自分からスポットライトが当たるように動いてはならない。華々しい場所にあなたの道を押し出してはならない。降板させられて屈辱を味わうより、名誉ある場所に昇格される方が良いからです。(6-7,MSG訳)」

    これは確かにイエスがご自身のたとえで解説してるポイントです。(ルカ14:8-11)
  2. いつも最善を仮定する
    「飛躍した結論を出してはならない。あなたがただ見たことに対する完全な良い説明があるかもしれない。(箴言25:8,MSG訳)」
  3. 確信を裏切ってはならない
    あなたの隣人との関係において正しいことをしましょう。軽率に訴えてはなりません(8)。もしあなたが裁判沙汰になったら、いつも正しいことをし、また言いましょう。「議論が白熱したとしても、確信を裏切ってはならない。(9,MSG訳)」

祈り:主よ。私たちの教会のコミュニティーの中で、私たちの心の中からかなかすを取り除け、へりくだった行動をお互いに取ることが出来ますように、そして正しい行動をいつも追い求めることができますように。


正しいことをすることでメッセージを拡散する

2テサロニケ3:1-18

他の何よりもましてパウロはできるだけ早く、できるだけ多くの人々に福音を伝えることに関心がありました。「国中でおおきなうねりとなる反応が起こるように、素早く出掛けて、駆け巡る(1,MSG訳)」ようにと願ったのです。

これが起こるために、パウロは彼らが正しいことをするのを続けるように祈ります。「私たちが命じることを、あなたがたが現に実行しており、これからも実行してくれることを私たちは主にあって確信しています。(4)」パウロは彼らに告げます。「どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。(7)」パウロは「ただ私たちを見ならうようにと(9)」身をもって彼らに模範を示したのです。パウロは「あなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。(13)」と勧めるのです。

  1. あなたがたのリーダーのために祈る
    リーダーはあなたの祈りを必要としています。「また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。しかし、主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。(2-3)」
  2. 愛の道に従う
    パウロは祈ります。「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛…を持たせてくださいますように。(5)」
  3. 決してあきらめない
    パウロは祈ります。「どうか、主があなたがたの心を導いて、…キリストの忍耐とを持たせてくださいますように。(5)」

    たまに、あるいは気が向いた時だけ正しいことをするのでは不十分です。忍耐をもって、最後の最後までやり遂げるのです。
  4. あなたの役割を果たす
    福音の信用を貶めることを決してしてはなりません。傍観者のように座っていたり、人生が行き過ぎるのを眺めていてはなりません。パウロは勤勉に労することの手本です。「私があなたがたと一緒にいた時、どのように自分の役割を果たせばよいのかを見せました。ですから、すぐに行動を開始しなさい。私たちは誰かが自分たちのお世話をしてくれるのを期待して手をこまねいていてはなりません。実際、私たちは身を粉にして働きました。…私たちはただ勤勉さの手本となりたいと願ったのです。それは人から人へと伝わっていくことを願ってのことです。(7-9,MSG訳)」

私たちは訓練することを練習します。もし人々が正しいことをしていなかったら、彼らを敵のように見なすべきではありません。兄弟や姉妹のように警告しなさい(15)。

祈り:主よ。私がいつも正しいことができるように、知恵と忍耐を与えてください。主イエス・キリストの平安と恵みがいつも私たちすべてとともにありますように(16,18)。


聖霊はあなたが正しいことをするために助けてくださる

エレミヤ31:15-32:25

旧約聖書の最も偉大な預言者の一人であるエレミヤは新しい契約を予見していました(31:31)。新しい契約は古いものとは違ったものとなるであろうと(32)。

「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
―主の御告げ―
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。
それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。
―主の御告げ―
わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(33–34)

これらの数節は新約聖書の中で幾度も言及されています。(たとえば、ルカ22:20、2コリント3:5-18、ヘブル8:8-12など参照)これらは素晴らしい約束、この「新しい契約」の連なりとして輝いています。そして、その方向はイエスに向かっているのです。

  1. 神はあなたの失敗を正しいことをするために赦す
    この新しい契約はイエス・キリストの血によって効力を持ちました。最後の晩餐で、イエスは十字架にかかられる前に、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカ22:20)」と言いました。

    エレミヤが語った神と人間との新しい契約はあなたと神との間に正しい関係を可能にするのです。それは十字架の上で流されたイエスの血によってもたらされるのです。

    あなたのすべての罪は赦されました。「全ては白紙に戻りました。(エレミヤ31:34,MSG訳)」それはキリストの血を通してです。ジョイス・マイヤーが言う通り、「あなたの罪や失敗がどのようなものであれ、あなたは神にそれを告白し、そして手放す必要があります。過去のなにものかによってあなた自身を罰することをやめなさい。神が忘れることを選んだことを思い出すことを拒みなさい。」
  2. 正しいことをするために神の霊はあなたを助けます
    私たちは聖霊の時代に生きるというとてつもない特権を得ています。神の律法は単に石の板に刻まれたものではありません。むしろ、神はあなたの内にご自身の霊によって働かれます。そしてあなたに神を喜ばせたいという情熱を与えます。(「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。」,33b)そして、あなたに主との人格的な交わりを経験させてくださいます。(「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。,33c)私たちは皆、主を知るのです(34)。

神は、たとえそうすることが簡単でなかったとしても、あなたを正しいことをするように召しています。正しいことをすることは、必ずしも簡単な生活へとは導きません。エレミヤは宮殿の中の牢に投獄されました。ゼデキヤはエレミヤが正しいことをすることを選んだために彼を監禁しました(32:1-3)。

私たちはエレミヤが環境によらず正しいことをしたもう一つの例を見ます(6-8)。バビロンがまさにエルサレムを占領しようとしていたという事実にもかかわらず、神はエレミヤに畑を買うように告げました。畑そのものは全く価値のないものになってしまうでしょう。しかし、エレミヤはお金のことに心を奪われませんでした。正しいことをすることは経済的な利益や成功の見込みよりもっと大切です。

正しいことをするとにおけるエレミヤの従順はいつも覚えられています。マタイの福音書の中で、私たちはイエスを裏切ったユダの金を払って「陶器師の畑」買ったことは、エレミヤの預言としての行動の成就なのです(マタイ27:5-10)

祈り:主よ。状況に左右されず正しいことをすることが出来るように助けてください。あなたが過去を赦してくださり、忘れてくださったことを感謝します。私があなたを知ることができることを感謝します。あなたが私の心にご自身の霊を与えてくださったことを感謝します。今日も、これからも正しいことをすることができるように私を導いてください。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2014) p.1199

Ken Costa, God at Work, (Alpha International, 2013) pp.69–70, 85.

Martin Luther King, 6 February 1968, Washington DC, cited in Gordon Brown, Courage – Eight Portraits, (Bloomsbury, 2008) p.113.