Tokyo Chapel

2019年6月29日

第180日

あなたの人生を計画する方法

ほとんどの人は計画を立てます。私たちは今晩どう過ごすか、また週末や休日の過ごし方について計画するのです。ある人々は何人子どもをもうけるかを計画します。また、子どもの教育について計画します。私たちの経済生活や献金についても計画が必要です。個人生活の計画、ビジネスでの計画、そして教会も計画を持つべきでしょう。

私は、「日々の糧」(Bible in One Year)の今日の箇所が大好きです。1992年6月、私は「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(箴言16:3)」というみことば沿って、92年、93年のための計画を書き留めました。神は、彼が求め、また想像した以上にこれらの計画を祝福しました。それ以来、毎年、彼は年頭に、その時の計画を書き留めることにしているのです。そうすることによって、励ましを受け、その年にわたって、主が彼らのためにどれほど成し遂げてくださったかを振り返ることができ、信仰が立て上げられるのです。主が優しいお方であること、そして誠実なお方であることを私たちは簡単に忘れてしまいやすいものなのです。


私たちの計画

箴言15:31-16:7

常に計画通りにいくというわけではありません。私の経験からもそうです。だからと言って計画を立てることが間違っているのではありません。ノアが箱舟を作っていた時にはまだ雨は降っていませんでした。箴言の作者は言います。「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えをくださる。(1)」「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(3)」

ここで、私たちは、うまく行くための鍵を見ます。あなたの計画は、主と無関係に立てるべきではありません。あなたは主との関係に召されているのです。主のみこころにあなたの計画を寄り添わせることです。あなたのビジョンや計画は聖霊に導かれる必要があるのです。あなたが神の導きを感じるとき、あなたの計画を主に委ねましょう。主のもとに差し出すのです。それらを主の前に明け渡すのです。そうすれば、神は約束しています。「あなたの計画はゆるがない。(3)」では、計画を主にゆだねるとはどういう意味なのでしょうか?

  1. 協力する
    ヘブル語のゆだねるという言葉の一つには「転がす」という意味があります。人生には二つの進め方があります。一つの方法は完全に自分の力量で、つまり神抜きで、決めて進む方法です。神から独立して自分を喜ばせることを考えて計画を立てることです。これは「心おごる者(5)」の方法です。誇る者には、彼らはすでに知っていると思っているので、誰も何も言えないのです。

    もう一つの方法は自分の願望を横に置いて意思する方法です。これは信仰と謙遜の道です。「謙遜は栄誉に先立つ。(15:33)」とあります。

    神はあなたのために良い計画をお持ちです。(エレミヤ29:11、ローマ12:2、エペソ2:10)あなたのための神の目的とぶつかるものを取り下げることを意思して、へりくだって神に協力しましょう。
  2. 信任する
    あなたの計画を主にゆだねるというのは、神の計画について神に話しかけることです。神とともにあなたの計画を立てるのです。一日の初めに、あなたは自分の計画を主にゆだねるのです。休みの日はその月、あるいはその年の計画を神に委ねるのに良い時です。

    私は俳優のデイビッド・スーシェから聞いたことを覚えています。彼は最近クリスチャンになったのですが、ラジオの番組で、配役を降りようとしたことがあったかどうかを尋ねられました。その時彼はこう答えました。「それはとても難しい質問です。私が言えることは、今は、何かの役を頼まれたら、席を外して、そのことを祈り、引き受けることが間違っていると感じたらお断りします。以前は『ギャラはいくら?』ということで決めてたかも知れませんが。」
  3. 相談する
    主は言われます。「ああ。反逆の子ら。彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず…エジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。(イザヤ30:1-2)」あなたの計画を主にゆだねるというのは、神に相談することです。そして主の知恵と助言を求めるのです(箴言15:33a)。知恵ある人は、人に助言を求めて、主から確かに聞いたものかどうかをチェックします(31-32)。

あなたの計画を主に委ねることで、あなたは主の成功の約束を確信することができます。神はあなたの計画の上に主権を持っておられるのです。「人間は儚い計画を立てる。しかし、神は決定的な言葉をもっている。(16:1,MSG訳)」「人は心に自分の道を思い巡らす。
しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(9)」

神はあなたに計画を立てる自由と責任を与えておられます。そうすることはあなたのための積極的な権利です。と同時に、神はあなたの行く末をその計画と関連づけておられます。それは受け身になったり、運命論的になるのとは違います。あなたの人生を究極的に神がご支配くださっているという前提にあなたは安らぐことができ、励ましを受けるということなのです。あなたは自分で何も決められないというような状態に凍り付く必要はありません。

あなたは、愛する者にすべてを働かせて、すべての良いことをしてくださる神を信頼することができるのです(6b,7、ローマ8:28)。

祈り:主よ。私があなたに委ねた計画をあなたが祝福してくださるという驚くべき方法のゆえに、私は賛美し感謝します。この年の計画も、そして私の将来のすべての計画もあなたに委ねます。


パウロの計画

使徒19:14-41

パウロは戦略的に物事を考えた人です。彼は注意深く計画しました。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニアとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った。そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身はなおしばらくアジヤにどどまっていた。(19:21-22)」

パウロのビジョンは当時知られていた世界中に福音を宣べ伝えることでした。彼の戦略はエルサレム、ローマ、コリント、エペソ…と都市に焦点を当てることでした。

彼はそれらの都市で多くの時間を割いて、それらの都市で、できるだけ多くの人々に講堂であろうと会堂であろうと福音を語りました。

興味深いことに、パウロには反対者が現れないことがありませんでした。エペソでも反対者がいましたが、それは教理や倫理などへの反対ではありませんでした。経済的問題だったのです。デメテリオはパウロの説教の結果として経済的な損失があるだろうと思いました。それで、彼は反対者となったのです。(24-29)

しかし、神の計画もまたありました。今日の箴言の箇所に「主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた(箴言16:4)」と告げられています。この箇所の例では、神は町の書記役を通して働かれました(使徒19:35)。彼はクリスチャンではなさそうですが(35-36)、彼の言葉によって暴動は抑止されました。主はご自身の計画を成し遂げるために、信じてはいない人さえも用いることがおできになるのです。

祈り:主よ。パウロの計画、戦略、そして大きな反対に直面した時の勇気の例を感謝します。あなたは最終的にご自身のみこころを成し遂げてくださいます。どうぞ、私の計画のすべてを導いてください。私が戦略的にまた勇気をもつことができるよう助けてください。


神の計画

1列王22:1-53

神を試し、裏をかこうとするのは良い考えではありません。これはアハブの問題でした。彼は民を操ろうとしました。そして神の計画をなきものにしようとしました。

ヨシャパテは知恵深く、アラムとの戦いの前に「まず、主のことばを伺ってみてください。(5)」と主の助言を求めようとしました。これはもう一つの生ける原則です。もし、あなたが自分の計画を成功に導こうとするなら、あなたが立てた計画に神のガイダンスを求める必要があります。

400人の「お雇い」預言者たちが集められましたが、彼らはアハブの喜ぶ預言しかしませんでした。

しかしながら、ヨシャパテはこれは純粋な預言ではないと分かっていました。それで「ここには、私たちがみこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないのですか。(7)」と尋ねると王は、「いや、ほかにもうひとり、私たちが主のみこころを求めることのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。それは、イムラの子ミカヤです。(8)」と返答しました。

純粋な預言者であるミカヤは、彼らに主の言葉を告げました。先の400人が受けのよいことを言ったのとは違って、ミカヤは主が彼の心に知らされた事実だけをそのまま解き明かしました。私たちはたとえ人気のある意見であっても、もしそれが主からのものでないなら、それによって振り回されてはなりません。たとえ、「多勢に無勢」であってもそれは決定的ではないのです。

ミカヤは真実を語るのに十分な勇気がありました。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。(14)」彼は神の計画に逆らう危険を警告しました。骨折った甲斐もなく、彼はわずかなパンと、わずかな水をあてがわれて獄舎につながれました。(27)

アハブは神の声を聴くことを拒みました。彼は続けて操作しようとします。彼は返送することで神を出し抜くことができると思いました(30)。しかし、私たちが読んだ通りです。「主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り…(箴言16:4)」

私たちはこの原則が働くのを見ます。「何気なく放たれた弓(34)」が彼の心臓をひとつきで射抜き、彼は死にました。それは「主が語られたことばのとおり(38)」だったのです。

祈り:主よ。あなたが主権者なる主であること、そしてあなたが歴史の出来事を支配しておられることを感謝します。

主よ。私をお赦しください。間違った道を進んでいると知りながら、物事を操ろうとしたことを。いつもあなたの計画に沿った道を歩ませてください。私の計画があなたの計画でありますように。そして、計画を成し遂げてくださいますように。アーメン。

H.K