Tokyo Chapel

2018年12月27日

第361日

ハレルヤ

全世界で五千万人以上の人々が、ランチを楽しんでいた買い物客たちが思いがけず驚いているシーンをyoutubeの動画で見ています。一人の女性が自分のランチをフードコートで楽しんでいるように見えます。彼女は立ち上がり、携帯電話で話しているようですが、ハレルヤ・コーラスを歌い始めます。彼女の周りにいるオペラ歌手たちが(明らかに仕組まれているのですが)一人、また一人と立ち上がりコーラスに加わって行きます。

「メサイヤ」はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの最も有名な作品です。それは「メサイヤ」であるイエスの生涯の物語を告げます。第二部は十字架の死、主の復活と昇天です。その最終章に「ハレルヤ」が置かれています。1742年の春、イギリス王ジョージ二世は「ハレルヤ」の勝利に満ちた最初の旋律をコーラスが歌い始めた時、起立したのです。王家のしきたりでは、君主が立ち上がればどんな時であっても、いつも立ち上がることが求められます。そしてまた、全員が君主の存在を感じるのです。それゆえ、全聴衆とオーケストラ全員が立ち上がりました。ジョージ二世もまた、主の主、王の王なるお方の支配の元にあることを受け入れていたのです。

「ハレルヤ(Hallelujah)」という言葉は礼拝への招きです。字義的には「賛美(Hallal)」「主(Yahweh)」を意味します。旧約聖書では、主に詩篇を中心に、24回現れます。新約聖書では4回現れますが、それらは今日の私たちの箇所にあります。


ハレルヤ詩篇

詩篇148:1-6

ロック・コンサート、サッカーの試合や他の大きなスポーツイベントの時、私たちは熱狂に包まれた特別な光景を目にします。しかし、あふれんばかりの神への礼拝に比べれば、それらすべてはくすんでしまいます。

この詩篇の幕あけの言葉は「ハレルヤ!天から神を賛美せよ。(1,MSG訳)」です。残り5つの詩篇(詩篇146-150)はそれぞれ「ハレルヤ」という言葉で始まり、また終わっています。詩篇は、新約聖書そして聖書全体と同じように、あふれるばかりの賛美と祝福と喜びで締めくくられています。

「ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。(1-2)」

み使いでさえ主を賛美します。今日の新約聖書の箇所を見ると、ヨハネは一人の御使いを見た時、その足もとにひれ伏して彼(御使い)を礼拝しました。しかし、その御使いはヨハネに「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。」(黙示録19:10)と言いました。

すべての詩篇がそうであるように、それがあなた自身の祈りと賛美になるのは自然なことです。

祈り:「主をほめたたえよ。主の万軍よ。主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。(詩篇148:2b-5a)」


ハレルヤ・パーティー

黙示録18:17b-19:10

私の父はドイツに住んでいたユダヤ人でした。彼の家族の大半は第三帝国の悪しき皇帝のもとで強制収容所で苦難を受け殺されました。その帝国は興りそして滅びました。それから間もなく、もう一つの悪しき帝国が興りました。スターリンのロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は少なくとも二千万人の民衆を殺害しました。神の民は収監され、拷問を受け、殺されました。今日、それはISISで、北朝鮮で、世界中の他の悪しき体制の中で行われているのです。

今日の新約聖書の箇所は大きな都「バビロン」の完全な崩壊で始まります。私たちは、作者が思い描いていたローマ帝国の崩壊だけではなく、このような描写を、あらゆる繁栄を誇った「バビロン」の崩壊として歴史を通して見るのです。

「バビロン」はローマ帝国、第三帝国(ナチス・ドイツ)、スターリンのロシア、ISISそしてすべての他の悪しき帝国、全体主義者や思想体系を象徴しています。すべての国々は迷い出ました(18:23)そして、神の民は迫害されたのです。「預言者や聖徒たちの血、…が、この都の中に見いだされたからだ。(24a)」

これが彼らの権力が終わりを告げた時、そのような救出がなされた理由です。天のマス・クワイヤーが「ハレルヤ」と歌います。

「この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。『ハレルヤ!』(19:1)」彼らは、正義を成された神を賛美します。神の裁きは真実で正しいのです。「あぁ天よ。祝え!…神は彼女を裁いた。すべてあなたが彼女から被った間違いは裁かれた(20,MSG訳)」

ハレルヤ!」は繰り返されます(3)。すべての教会とすべての被造物が御座におられる神をひれ伏して礼拝します(4)。そして彼らは三度目の「アーメン。ハレルヤ」を叫びます(4)。

最後に、四度目に「それで私はマス・クワイヤーの声を聴いた。大瀑布の響き、大きな雷鳴の響きであった。ハレルヤ!」(6,MSG訳)

それから、パーティーが始まる。
「さあ祝いましょう。さあ楽しみましょう。
さあ主に栄光を帰しましょう!
子羊の婚宴がやって来た。
花嫁の準備は整った。
彼女にはウェディングドレスが与えられた。
明るく輝く真っ白なリネンの。
そのリネンは聖徒たちの義である。(7-8,MSG訳)」

人間同士の結婚は福音のささやきです。私たちの地上での結婚はもっと驚くべき永遠のものを指しています。それはあなたとキリスト・イエスとの関係です。

子羊の婚礼はキリストとご自身の教会との結婚です(エペソ5:32、黙示録21:2参照)。姦淫と乱交のバビロンのけばけばしい衣装(18:23b)とは対照的に、教会はシンプルな「光り輝く、きよい麻布の衣(19:8)」を着せられました。あなたはキリストの義を着ているのです。

これは「小羊の婚宴(9)」の大いなる永遠のパーティーです。「招かれた者(9)」は何にもまして大いなる祝福です。聖書の別の箇所にはあなたは招かれていますが、あなたは招待を受け入れることを選ばなければならないと告げています。

ヨハネが御使いの足元にひれ伏して礼拝したいと思ったのは無理もないことです。しかし、あなたはメッセンジャーを礼拝してはなりません。ただメッセージで語られているお方を礼拝すべきです。「神を拝みなさい。(10)」そして、あなたは行って、人々に告げるのです。「イエスのあかしは預言の霊です。(10)」と。

祈り:主よ。この宇宙の物語の最後が「ハレルヤ!」で締めくくられることになっていることを感謝します。それは賛美、感謝、礼拝です。私たちが子羊の婚礼を楽しみにして待つことが出来ますことを感謝します。「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。(7)」


ハレルヤ・ピープル

ネヘミヤ7:4-8:18

私たちは、神がネヘミヤとご自身の民をエルサレムの城壁の再建に召されたことを見てきましたが、それと同じように、神は私たちを教会を建て、また再建するように召しておられます。神があなたを導く一つの方法は、神ががあなたの心に考えを置かれるという方法です。ネヘミヤは言いました。「神は私の心に貴族や高官や一般人を集め、登録をするように思いを与えられた。(7:5,MSG訳)」ネヘミヤは捕囚から帰還した者たちのリストを作りました(6-73)。

エルサレムの城壁が再建が完成を見た時、人々は、エズラによる聖書の解き明かしを聞くために集りました。「そしてすべての民は聴いた。彼らは耳をそばだてて、啓示の書を聞いた。(8:3,MSG訳)」「彼が書を開いた時、全員が起立した(8:5,MSG訳)」彼らは神のことばに敬意を表して立ち上がったのです。

「それから、エズラが神を、偉大な神を賛美した。するとすべての民が応えた。「あぁ、そうだ!その通りだ!」彼らは高く手を挙げた。そして彼らはひれ伏して神を礼拝した。彼らは顔を地につけた。(6,MSG訳)」

私たちの身体は私たちの心を表現します。私は一人でいる時、聖書を読む時に神への畏敬と尊敬の念のしるしとして、ひざまずくのはそれが理由です。私は神に聴き、そして神を礼拝するのです。

神を礼拝する際に両手を挙げることはユダヤの人々にも初代教会の人々にも共に一般的な習わしでした(「民はみな、手を上げながら」,6)。「キリスト教界におけるもっとも古い祈りの姿勢は、両腕を伸ばすことである。」と教皇ベネディクトは記しています。この姿勢は「礼拝の過激な形式」です。それは私たち自身を神に開き、同時に自分自身を他者を愛するために開くことを表現しているのです。

神を賛美し礼拝するために集まる私たちは皆、天の偉大な礼拝、永遠のハレルヤ・コーラスを見越して、そして参加しているのです。ネヘミヤ記のこの箇所にその例を私たちは見ます。それは黙示録19章の偉大な礼拝と響き合い、予期します。

総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民を指導しました。彼らは律法の書のことばを聴いた時に泣きました(9)。

しかし、ネヘミヤは彼らに今は喜びと祝いの時だと告げました。「行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。…悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。(10)」お祝いと大いなる喜びの時があったのです。祝宴大いなる喜びの時がもたれたのです(12)。

ジョイス・マイヤーは記しました。「神が与えてくださる一日一日は、神からの聖なる、高価な贈り物なのです。私たちはそれをたっぷりと楽しむべきです。喜びは力強いものです。他の人々を祝福する者となること以上に、私たちの生活の中に超自然的な喜びを解き放つものはありません。」

祈り:主よ。私は初めのクリスマスの日にキリストがお越しになったことのゆえにあなたを賛美します。私たちは今、あなたが再び来られ、子羊の婚宴が開かれることを、そして永遠に天の大いなる賛美と礼拝が持たれることを予期することを感謝します。ハレルヤ!アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, Everyday Life Bible, (Faithwords, 2013) p.741