Tokyo Chapel

2019年9月22日

第265日

あなた価値を理解する

あなたは今まで、自分が出来が悪く、神の用いられないと感じたことがありますか?あるいは神はあなたの祈りに答えたくないのではないだろうかと考えたことがありますか?

私が初めてコリン・アークハーツの「キリスト・イエスにあるIn Christ Jesus)」を読むまで、私は新約聖書の中の「ある(in)」という小さな単語がいかに重要であるかを認識していませんでした。クリスチャンとして、それを理解すると、あなたは、キリスト・イエスに「あって(in)」自分自身をどのようにみるか、あなたの自己意識、あなたの自己同一性、そして、神にとってのあなたの価値をあなたがどのように理解するかということが変革されます。

神の上にあなたの名前を書きましょう。そしてキリストに見立ててあなたの聖書を開いてみましょう。そしてその神を挟んで聖書を閉じます。あなたはキリストに「ある」のです。その本が行く所にその紙(あなた)は一緒に行きます。その紙があるところとはその本(神)がいるのです。あなたは本の一部ではありません。しかし、あなたは今完全にその本と一体化しているのです。

パウロは「キリスト・イエスにあって」というこの表現を何度も何度も用いています。神はあなたを取り上げて、キリストのうちに置かれたのです。キリストにあって、あなたは「すべての霊的祝福」を受けるのです(エペソ1:3)。旧約聖書が語っているものも含めてすべての祝福は、キリストにあってあなたのものなのです。


神の愛といやしの祝福

詩篇109:21-31

あなたは祝福してくださいます。」とダビデは書きました(28)。すべての神の祝福はあなたへの神の愛からあふれ流れます。「あなたの愛から流れる良きもの。(21,NIV訳、エペソ1:4,5,11、イザヤ54:10)」たとえ、誰かがあなたを「そしり」そして「のろって」も神の愛はあなたを支え、あなたが立つことを助けます(詩篇109:25-26)。神はあなたの右に立たれます(31a)。

神は私たちのいのちを救います(31b、イザヤイザヤ52:10)。神は私たちの傷ついた心を癒されます、ダビデは言います。「私の心は、私のうちで傷ついています。(詩篇109:22)」神は傷ついた人々で癒された人々を用いることを好まれます。なぜならば、同じ傷を負い、そして神によって癒された人ほど、同じ境遇にある人のために働くのに適した人はいないからです(2コリント1:3-4)。

祈り:主よ。あなたのわたしへの素晴らしい愛を感謝します。私の傷をいやし、人々にその癒しを届ける者と為してください。


キリスト・イエスにある者としての祝福

エペソ1:1-23

低い自己イメージと多くの人々が葛藤しています。この問題に対する新約聖書の答えはあなたがキリスト・イエスにある者であることを知ることです。「私たちが自分が何者なのか、そして私たちが何のために生きているのかを見出すことは、キリストにあってできるのです。(11,MSG訳)」あなたのアイデンティティー(自己同一性)を理解するにはキリストにあることです。あなたが欲する物質的なすべての祝福をあなたが持てない間も(パウロはこの手紙を書いた時、獄中にいました。)神はあなたを「すべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(3)」この箇所はそれらの祝福を数多く列挙しています。

  1. 恵みと平安
    パウロは「恵みと平安(2)」を伴う挨拶をもって書き始めます。後で彼は「これは神の豊かな恵みによることです。…この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ(7-8)」と言います。恵みは愛です。それはかがんで、お世話し、救います。あなたは神との平和を持っているのです。
  2. 選ばれ、定められ、子とされる
    「すなわち、[ご自身の愛に内に]神は私たちを世界の基の置かれる前から[神ご自身として、ご自身のために私たちを取り上げて]キリストにあって選び、…神はご自身の子どもとして、私たちを養子にとすること(啓示すること)を[私たちを定め、私たちへの愛の内に計画して]。あらかじめ定めておられました(4-5,AMP訳、同様に11参照)」
  3. 贖われ、赦され、自由にされる
    あなたはイエスの血によって贖われました(7a、イザヤ52:3,9)。「贖われる」という言葉は奴隷を買い戻すときに用いられた言葉です。つまり、囚われたものを代価を払って自由にすることです。あなたの罪は赦されました(エペソ1:7b)。良く知られている無神論者であるマーガニタ・ラスキはテレビ番組で驚くべき告白をしていました。彼女は言いました。「あなたがたクリスチャンについて最もうらやましいことはあなたがたは赦されているということよ。」悲しいことに「私を赦してくれる人は誰もいないわ」と彼女は付け加えました。私たちは自由の民です。私たちのすべての間違った行いによって積み上げられた罰則と刑罰からの自由です。そしてただかろうじて自由になったのではなく、「豊かな自由!(7,MSG訳)」を得たのです。
  4. 聖霊が内に住まわれる
    「またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。(13)」聖霊はあなたの内に生きるために来られました。古代の世界では、小包は、それがどこから来たのか、そして誰に属するものなのかを表示するために証印が押されました。あなたは聖霊によって証印を押されました。
  5. 将来の希望
    あなたの相続財産は保証されています。あなたは「御国を受け継ぐこと[初穂、担保であり前味、私たちの相続財産の頭金]の保証であり、完全な贖いを予期し、そして、その[完全な]所有を私たちは要求するのです。(14,AMP訳)」あなたは栄光に富んだ聖徒の受け継ぐものを持っています。(18b)
  6. 力と立場
    「私たち信じる者に働く神のすぐれた力(19a)」があなたにあります。力は神に属します。しかし、神はあなたの内に生きるために来られ、あなたに「終わりのないエネルギー、無制限の力!(19,MSG訳)」を与えます。あなたはキリストとともに天のところに座しました(20)。神が私たちを置いたところとは「銀河から政府までのすべてのもの、宇宙を司る(20-21,MSG訳)」ところです。
  7. 権威と責任
    キリストにあって、神は教会のためにすべてのものをあなたの下に置かれました。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(22-23)」戴冠式にあたって、オーブ(十字架の下に置かれた地球を象徴する球形)が女王の手に置かれた時、彼女はこのように言い聞かされます。「あなたが十字架の下に置かれたこのオーブを見るとき、全世界は私たちの贖い主キリストの権威と国の対象であることを思い出しなさい。」神はあなたに大きな責任を与えました。神の宇宙のための計画は今は、この地上でのイエスの「からだ」である教会の手にあります(23)。「あなたが見ている、教会は世界にとって外縁を構成するものではありません。世界が教会の外縁なのです。(22-23,MSG訳)」

祈り:主よ。キリストにあって私に与えてくださったすべての霊的祝福のゆえに賛美します。あなたが私を召してくださった、あなたの栄光ある遺産の豊かさと、私の内に生きている比類なきあなたの偉大な力への希望を知ることができるために、私の心の目が、明るく照らされますように。


イエスのよき知らせの祝福

イザヤ51:17-54:17

イザヤは書きました。「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。…救いを告げ知らせ、『あなたの神が王となる』とシオンに言う者の足は。(52:7)」告げ知らせる者の臭い足でさえ美しい!と思えるのですから、神の救いはそれほどに良い知らせなのです。この良い知らせはイザヤ書の次の章にわたってそのメッセージが記されています(52:13-53:12)。これは、神の救いの計画を記した4つのしもべの歌の最後にしてもっとも多いなるものです。5つの「連:(一定の韻律をもった 4 行以上からなる詩の単位)」で構成されており、思いもよらない対照的な光景を啓示しています。

  1. 失敗のように見えて、実は成功している(52:13-15)
    十字かは人間的な期待を閉ざします、ここに、イザヤはイエスの遭われた災難と死を予言しています。「その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた(14)」しかし、十字架が最後ではありません。世界がきよめと赦しに覆われるイメージをもって、連は成功と大勝利の内に締めくくられます。「彼は多くの国々を驚かす。(15)」
  2. 私たちの見方と神の見方(53:1-3)
    「神の救いの力がこんな風だなんて、いったい誰が考えることができるか?(1,MSG訳)」ここで、私たちは神の見方と人の見方が対照的であることを知ります。イザヤはイエスが民を救うために来られたのに、民がイエスを拒むことを予見していました。
  3. 私たちの罪と主の苦難(4-6)
    イエスはあなたの代わりに死んでくださるほどにあなたを愛してくださいました。これがこの箇所の、いや、実に聖書全体のメッセージの中心です。「彼は罰を受けられた。そしてそれが私たちを欠けのない者にした。
    彼の傷跡によって私たちは癒された。
    私たちは羊のようにさまよい、失われていた。
    私たちは皆自分のことばかりして、自分の行く道を失っていた。
    そして、神は私たちの罪、私たちが犯した間違ったすべてのことを全部、彼の上に積み上げた。彼の上に…。(5-6,MSG訳)」
  4. 有罪と無罪(7-9)
    この連は誤審について告げています。しかし、無実のお方であるイエスがみずから進んで救いをもたらすために自分自身を捧げます。「自分自身の幸せなど考えず、わたしの民の罪のために打たれ、血を流し、彼は死なれた。(8,MSG訳)」それはまた、驚くべき正確さをもってイエスの死を予見しています。試練の中で彼の沈黙(7)、彼は無実の罪で死にますが、彼は裕福な者の墓に葬られます。(9)
  5. 悲劇と大勝利(10-13)
    敗北のように見えることが実は勝利でした。「主のみこころは彼によって成し遂げられる。(10)」どのようにしてイエスの死が大勝利になるのでしょうか?第一に「彼は末長く、子孫を見ることができ(10)」「多くの人を義(11)」とします。何百万もの人々が彼の死によって実を結ぶ命へ変えられます。第二に「彼は命の光を見るでしょう(11,NIV訳)」イエスは再びよみがえりました。ついに神はイエスを高く上げ、「多くの人々を彼に分け与え(12)」ます。なぜなら、イエスが私たちのためにすべてを為してくださったからです。

イエスが私たちの為にしてくださった御業の結果、私たちは拡大と成長を約束されました(54:2)。あなたは恐れる必要はありません(4)。なぜなら、あなたの想像主があなたの夫だからです(5)。神の愛とあわれみは決してあなたを去ることがありません(10)。「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。(17)」

祈り:主よ。福音の良き知らせのゆえに感謝します。あなたの苦難を通して、私は義とされました。あなたから大いなることを期待し、あなたの為に大いなることに挑戦することができるようにお守りください。アーメン。

H.K

References

Colin Urquhart, In Christ Jesus, (Hodder & Stoughton, 1981)