Tokyo Chapel

2019年7月15日

第196日

やわらかい心と、強い足

21歳の音楽大学の学生が安い船に乗り、多くの国々を回りながら神の召しを探しつつ、どこで下船すればよいかを祈っていました。彼女は1966年に香港に到着し、九龍寨城と呼ばれていた場所にやって来ました。そこは狭く、人々が密集する無法地帯で、中国も香港もともに管理できていませんでした。麻薬中毒者、ギャング、売春婦がたむろするスラム街だったのです。彼女は記しています。

「私はこの闇の場所を愛しました。私はそこで起こる事柄については嫌悪しましたが、ほかのどこにも行きたくありませんでした。私はあたかもすでにそこが別の町になったように見えたのです。それは光り輝く町です。それが私の夢でした。そこには泣き叫ぶ声も死も痛みもありません。病人は癒され、中毒患者は解放され、飢える者は満たされるのです。孤児たちの家族があり、ホームレスのための家があり、恥じることなく生きる新しい尊厳があるのです。どのようにしてそれが起こるのか、私はわかりませんでした。しかし『熱いビジョン』を持って、九龍寨城の人々にそのイメージをもって、すべてを変えることがお出来になるただ一人のお方を紹介しました。それがイエスです。」

ジャッキー・ポリンジャーは半世紀以上にわたり売春婦、ヘロイン中毒者、ギャングの一員に働きかけ続けました。数年前にジャッキーが話してくれたことをしたことを私はよく覚えています。彼女はこう話し始めました。「神は私たちにやわらかい心と強い足を持つことを望んでおられます。問題は、私たちの多くが頑固な心と、軟弱な足しか持っていないことです。」

ジャッキーは、寝食を忘れて、他者に仕え続けた輝かしい見本です。神は私たちにやわらかい心を持って欲しいと願われます。愛とあわれみの心です。しかし、もし私たちが世界を変えようとするなら、この心は強い足へと導きます。私たちが険しい道と困難な試練に直面しながら旅を続けていくようにです。


やわらかい心を他者に向ける

箴言17:5-14

もしあなたが神によって心柔らかにされたなら、人に対して必然的に愛を表すようになります。私たちの目的は「愛を追い求める(9a)」生き方を生きることであるべきです。

  1. 貧しい者を愛する
    あなたの貧しい者への態度は、あなたの神への態度を反映するものです。「貧しい者をあざける者は自分の造り主をそしる。(5a)」神の民として、私たちは貧しい者の友となり、仕えるように私たちは召されているのです。
  2. 家族を愛する
    両親、祖父母、子どもたちとの近しい愛の関係を楽しむことは神があなたに願っておられることです。「孫たちは老人の冠、子らの光栄は彼らの父である。(6a)」
  3. 友を愛する
    親しい友との間の愛はとても貴重なものです。友情を大切にしましょう。友を大切にするのは簡単に反対者にならないということです。「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。 同じことをくり返して言う者は、 親しい友を離れさせる。(9)」
  4. 批判する者を愛する
    あなたの敵を愛せよ(マタイ5:44)とイエスは言いました。柔らかな心の持ち主は、友からの、そして「敵」からの批判でさえ恐れず大切に受け止めます。「悟りのある者を一度責めることは、愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。(10)」

    無意味な議論を避けましょう。「争いの初めは水が吹き出すようなものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。(14)」

祈り:主よ。愛することを助けてください。家族、友人、そして私を批判する人々との関係を守ってください。貧しい者を愛し、かれらの生活に本当の変化をもたらすことができますように。


神に対して心をやわらかくする

ローマ2:17-3:8

もし、私たちが「やわらかい心」を持っていなければ、外側で何が起こっていても無関心です。ここで、パウロは心の重要性に目を向けます。パウロは神に選ばれた民であるユダヤ人が神との関係に歩むべきであるということを意図して説明します。彼らに律法が与えられたのですから。彼らは神のみこころを知っていました(2:17-18)。パウロはユダヤ人たちが「知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任(19-20)」していることを指摘しいます。

割礼は本来、内面的な神との関わりを示す外面的な目に見えるしるしでした。しかし、パウロは悲しいことに彼らが(私たち皆と同じく)律法から逸脱してしまったことを指摘しています(21-27)。

パウロはですから、実際的な事柄に焦点を合わせます。「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。(29)」

神が関心をもっておられるのはです。旧約聖書においてユダヤ人がしたように、自分のに聖霊が住んでおられるすべての人は同じ相続財産を心に受け取ります。これは、すべての本物のクリスチャンを含みます。

これは、ユダヤ人がかつて与えられたものはもう何の価値もないということを意味するのでしょか?答えは「ノー」です。パウロはユダヤ人に大きな優位点があることを指し示します。たとえば、「彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。(3:2)」ということです。それは驚くべき特権です。しかしながら、あなたは今、彼らが持っていた聖書にある神のことばだけではなく、イエスの言葉や新約聖書の残りのすべての言葉をも持っています。あなたは、さらに大いなる優位性があるのです。

ローマ人への手紙では後の方で(ローマ9-11)紙面を大きく割いて、パウロはこれを詳しく述べることになります。それまで、彼は本題から逸れて、彼に反対して非難を浴びせる敵対者との議論を取り扱うために本論から逸れます(3:3-8)。パウロは神の誠実さを強調します。私たちが不信仰の時であっても、神は私たちに誠実であり続けます。悪を行うことによって、有利になることは不合理のように思えるかもしれません。むしろ、神の誠実さは、私たちに神に忠実であり続けることを励まします。

祈り:主よ。あなたの霊で今日、私の心を満たしてください。そして、私が出会うすべての人々にあわれみを持つことが出来ますように。神のことばそのものを委ねてくださったことを感謝します。今日、あなたに忠実であらせてください。


貧しく、必要のある人々を助ける強い足

アモス1:1-2:16

柔らかい心は強い足へと導くはずです。神の民は貧しい者や弱い者の声となるように整えられ、不正に反して闘い、圧迫されている者たちのために立ち上がるのです。

この当時(760-750BC)はイスラエルもユダもとても繁栄していました。しかし物質的繁栄が必ずしも神の祝福のしるしではありません。この当時、それは人々は現状に満足しきって、腐敗と不道徳と酷い不正がまかり通っていたのです。

アモスは預言者です。しかし、彼は任職された聖職者ではありませんでした。彼は自分の職場にとどまりました。彼は羊の群れを養う者で、富や権力や地位に心動かされない人でした。彼は虐げられた貧しい者たちを守り、神の名を用いて不正と抑圧を正当化するような裕福な特権階級を責め立てる者でした。

使徒パウロのように、アモスは神の裁きを宗教に縁遠い者にも、宗教家にも告げました。

アモスはまず、「律法から外れた罪」を犯した宗教から縁遠い人々に告げます。イエスラエルの隣国に住む人々は恐ろしい罪を犯していました。彼らは過度な残虐行為、むごい拷問(1:3)奴隷としての虐げ、奴隷売買(6)、骨肉の争い(11)、妊婦や胎児を殺したこと(13)、死者への冒涜(2:1)を糾弾します。アモスはそのような恐ろしい罪に対する神の怒りについて語ります(1:3,6,9,11,13)。

アモスもパウロ(ローマ1:18-20)もともに「自然法」について語ります。書物としての神の律法を持っていなくとも、「自然法」があるのです。それは心に書かれた律法です(2:15)。ある事柄は間違ったことであると彼らは知ってるのです。これは、第二次世界大戦後にニュールンベルク裁判でナチの指導者たちが実際上、糾弾された基礎となるものです。

アモスは、パウロのように(2:12)、書かれた律法を持っていた神の民が、より厳格な基準によって裁かれるであろうことを続けて言います。アモスの裁きの矛先は異邦人からユダとイスラエルへと向かいます。なぜなら「彼らが主のおしえを捨て、そのおきてを守らず、彼らの先祖たちが従ったまやかしものが彼らを惑わしたからだ。(アモス2:4)」

神は彼らに代わって働いてこられました。「わたしはいつもあなたの側にいた(9,MSG訳)」しかしながら、彼らは主の律法にとどまることをしなかったのです。特に、神にとって重要なことは、彼らの貧しい者や困窮している者への態度です。彼らの心は頑なでした。「彼らが金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げ、父と子が同じ女のところに通って、わたしの聖なる名を汚している。(6-7)」彼らは奴隷に対する罪や性的罪も犯しました。

これらすべてのことが行われている間、「彼らは、すべての祭壇のそばで、質に取った着物の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を彼らの神の宮で飲んでいる。(8)」

神の民の罪は、宗教に縁遠い者たちほど、ぞっとするものではありません。しかし、彼らに対する裁きは同じように厳格です(13,16)。なぜなら、神はそれまで彼らを豊かに祝福してこられたからです(10-11)。私たちは他人と比較して自分の罪の方が軽いと喜んではおれません。見た目において小さい罪のように思えても、神の目には大きいのです。イエスを通して、赦しと恵みを受け取ることができることを神に感謝しましょう。

祈り:主よ。私たちの世界の中で極度に貧しく、不当な仕打ちを受けている事柄に対してあわれみと愛を示すことができるやわらかい心を与えてください。そして、その事柄について何かを行動し打って出る強い足と勇気を与えてください。アーメン。

H.K

References

Jackie Pullinger, Crack in the Wall, (Hodder & Stoughton, 1993).

追龍伝愛 香港九龍城砦へ伝えた愛の記録、ジャッキー・ポリンジャー