Tokyo Chapel

2019年11月29日

第333日

神の完全なタイミング

神はご自身のタイミングの感覚を持ってられます。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(2ペテロ3:8)」神は完全なタイミングをお持ちです。早くもなく、遅くもありません。神は急ぐこともなく、いつも時にかなっているのです。

私たちは今日、主が将来にわたって統べ治めるお方であることを見ます(ダニエル4:32)。「私たちは新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(2ペテロ3:13)」神はご自身の民の汚名をそそがれます(詩篇135:14,NIV訳)

しかし、神があなたになさることを約束されたことをあなたはどのように待つのでしょうか?


主に信頼する

詩篇135:13-21

あなたの祈りが答えられないように思える時、あなたは神に信頼するのをやめ、他の「神々」を探し始めるように誘惑されているのかも知れません。

主に信頼することは、少し時代遅れに思えるかもしれません。しかし詩篇の作者は言います。「神、あなたの名は永遠です。神、あなたは決して時代遅れではありません(13,MSG訳)」

あなたが自分が信頼を置くもののようにあなたはなるということは偉大な聖書の真理です。もしあなたがあなたの信頼を金や銀の「神々」に置くなら、あなたはそれらのようになります。すなわち、霊的に命のない、目のみえない、耳の聞こえないものようになるのです(16-18)。もし、あなたが神に信頼するなら、あなたは神のように、命と喜びに満たされるものとなるのです。

神を信頼し続けなさい。「まことに、主はご自分の民をさばき、そのしもべらをあわれまれます。(14)」「神はご自身の民のために立ち上がります。神はご自身の民の手を握られます。(14,MSG訳)」それゆえに、あなたは主を賛美し、栄光を帰するように召されているのです(19-21)。

完全に神に依存するようにしていなさい。そしてあなたの汚名を晴らしてくださる主を見出しなさい。物事があなたの願っているように進んでいない時、忍耐しなさい。神よりも先に進むことをやめてなさい。神のタイミングは完全です。神に信頼しなさい。

祈り:主よ。私はあなただけを信頼します。愛と喜びと平和に満ちた、あなたのようになれるように助けてください。


主に立ち返る

2ペテロ3:1-18

あなたが世界の中にあるすべての悪、すなわち、すべての戦争、暴力、組織的な拷問、おぞましい犯罪、山のような迫害を見る時、あなたはなぜイエスが今すぐ再臨なさり、それらすべてを解決なさらないのかと思うかもしれません。

なぜ、神は遅れておられるのでしょうか?なぜ主はすぐに戻って来られないのでしょうか?

ペテロは、人々は私たちを嘲って「それでは、主が来るという約束はどうなっているのか?(4,MSG訳)」と言うと警告しています。ペテロは遅れているにはきちんとした理由があると言います。主がまだ来られないのは人々が悔い改めるための時間をさらに与えておられるということが理由です。

神は慌てません。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(8)」

神はご自身の約束を守るにあたってのんびりしているのではありません。むしろ、到来の遅れは神の忍耐からもたらされているのです。「主は、…あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(9)」「神はある人達が遅延を測ったりするように主の約束が遅れているのではありません。神はあなたのためにこらえておられるのです。なぜなら神は誰一人として滅ぶことを願ってはおられないので、最後の最後までこらえているのです。神はすべての人々に変わるための空間と時間を与えておられます。(9,MSG訳)」

悔い改めとは、あなたの人生の方向を変えることに尽きます。それはすべての良くないものから離れ去り、イエスに向かうことです。人々に悔い改めのための時間を与えることによって、神は愛をもって彼らの救いのための扉を開け続けてくださっているのです。「私たちの主のこらえておられる忍耐が何のためであると説明すれば…それは救いです。(15,MSG訳)」

この救いというテーマはパウロ書簡の大きなテーマの一つです。そしてここでペテロはそのことに言及しています。ペテロが「その手紙の中には理解しにくいところもあります。(16)」と記しているのを見て私は励ましを受けます。もし、あなたがパウロ書簡を理解しよう奮闘しているなら、あなたはペテロの仲間です!

大切なことは、ペテロはそれで旧約聖書(「聖書の他の個所」,16)とそれらを比較し続けます。そうすることで、彼は初代教会と使徒たちが新約聖書を旧約聖書が持っているのと同じように神の権威を持っている書物であると理解していることを示すのです。

主は、私たちが予期せぬ時に(「盗人のように」,10)帰って来られます。この世は、私たちが知っているように、「露わにされます(10,NIV訳)」そして「新しい天と新しい地(13)」がもたらされるのです。将来に対する新約聖書の展望はさほどでもない人々が「天国に昇っていく」というよりも、むしろ、「新しい天と新しい地(13)」がもたらされるというものなのです。

何度も何度も、ペテロは神がご自身の言葉とご自身の約束に忠実なお方であることを指摘します(2,5,7,9,13)。真理は神が言われたことは間違いなく起こるということです。

遅れてはいますが、将来確かに起こるこのことに備える方法は、「きよい生活をいきること」と「神の日を、その到来を熱心に日々期待すること」(11,MSG訳)です。そして、「あなたの最善を生きることに、純潔と平和を見出し(14,MSG訳)」そして「恵みの内に成長し、私たちの主であり救い主、イエス・キリストを理解すること(18,MSG訳)」です。

恵みとは、受けるに値しない者が受ける愛です。あなたが主に立ち返る時、あなたが直面するすべての状況の中で主に拠り頼み、日々主にあなたの必要を取り運び、あなたが熱心に主の再臨を期待する時、あなたは恵みの内に成長します。

祈り:主よ。私があなたの再臨を待つとき、きよい、敬虔な生活を生きることが出来るように助けてください。「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように…。(2ペテロ3:14)」


主に感謝する

ダニエル4:19-5:16

高ぶりは崩れる前にやって来ます。私自身の人生の中で何度もそれを見てきました。私たちが持っているすべてのものは神からもたらされたものです。私たちは瞬間瞬間を神に拠り頼んでいるのです。神は過去を、現在を、未来を支配しておられます。感謝は謙遜へと導きます。

「人生の事といえば、決定的な事は、君がそれを当然と解釈するか、感謝を持って受け止めるか、ということである。」とG.K.チェスタートンは記しました。

主からの励ましのメッセージを伝えることは比較的容易いことです。しかし、非難のメッセージを取り運ぶのはそう簡単ではありません。ダニエルは理解しがたく、憂慮すべきことを覚えましたが、彼は主に従ったのです(4:19以降)。

ネブカデネザルが犯した間違いは、そしてどんな時代でも私たちが皆犯す可能性がある間違いは、主が成し遂げたことをすべて自分がしたことだと思うことです。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。(30)」このような「私が」「私の」という使い方には注意しなければなりません!

神がネブカデネザルに教えなければならなかった、そして時に、私たちに教えなければならないレッスンは、あなたが持っているものはすべて神からの賜物だということです。「あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。(32)」

私たちの霊的な賜物、身体、家族、家、知性、容貌、お金、スポーツの能力、それらはすべて神からの賜物です。どんなことでも成功を収めた時のあなたの為すべき反応は、高ぶり、尊大、自己満悦であるべきではありません。そうではなく、神に賛美と感謝をささげることです。神をほめたたえ、神があなたに与えたもののゆえに神を崇めることです(34-37)。

ネブカデネザルは手に入れたものを当たり前のことと思い、主が彼のためにしてくださったことのゆえに主に感謝をささげ、栄光を帰することを怠りました。むしろ、彼はそのすべてを自分の手の業によるものとして理解していました。

ネブカデネザルが回復した時、彼はすべてのものが神がもたらしてくださったことを認識しました。自分が栄光を取ることに代えて、彼は神に感謝と栄光をささげました。「天の王に歌を歌い、賛美した(34-37,MSG訳)」

謙遜とは自分が持っているものを、持っていないかのようなフリをすることを意味しません。むしろ、それはあなたが持っているものの源を認識することを、そしてそのもととなったところに賛美をささげることを意味します。「 今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。その[彼の,NIV訳]みわざはことごとく真実であり、その[彼,NIV訳]道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。(37)」

ネブカデネザルの証しはこれらの言葉で締めくくられています。「神はどうのようにして高慢な人間を謙遜な男や女に変えるのかを知っておられます。(37b,MSG訳)」

ダニエルはネブカデネザルに言います。「ですから王よ。私の助言を取り入れてください。『あなたの罪を捨てて、きよめてください。そして他者のために生き始めてください。あなたのよこしまな生活をやめて、隅に追いやられている人々の必要のために心を配ってください。そうすれば、あなたは良い生活を維持することができるでしょう。(27,MSG訳)」

次の世代は、過去のレッスンに学ぶことをしませんでした。ベルシャツァル王は神だけを礼拝するという命令を破りました。そして「彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。(5:4)」

ネブカデネザルと同じように、神と共にある平和を持たなかったベルシャツァルの生活には深く根差した恐れが表面下にありました。二人とも、神によって警告を受け、何をすればよいのかを語られました。違いはネブカデネザルは悔い改め、自らへりくだり、神を知り感謝しましたが、ベルシャツァルはそうしなかったことです。

ダニエル自身は「彼の知性の輝きと霊的な知恵のゆえによく知られていました。(11,MSG訳)」彼は聖霊に満たされていました。高慢になる誘惑はとても大きなものです。しかし、ダニエルは謙遜に神に拠り頼むことに留まり、神に栄光と誉れと感謝をささげました。

祈り:主よ。あなたはこの宇宙を支えておられ、私が持つすべてのものはあなたから来たものであることを感謝します。私はあなたにすべての賛美と誉れと栄光をおささげしたいのです。

H.K

References

G.K. Chesterton, Irish Impressions, (London: Collins, 1919), p.24.