Tokyo Chapel

2018年10月28日

第301日

良いことをする

私たちの教会のコミュニティーの中に良いことを絶えずしているように見える人々がいます。そのような人々は、洗い物をしたり、誰かのために祈ったり、誰かを励ましたり、病人を見舞ったり、何か他の人々に親切なことをしています。彼らは教会の働きに率先して気前よく仕えています。彼らはそれらすべてのことを恵みと熱心さを持ってしています。私は彼らの姿からいつも励ましを受け、発奮させられます。彼らは良いことをするのに飽いてはいません。

社会では、「慈善家(do-gooder)」は「口先だけの」、「偉ぶった」などのニュアンスで軽蔑的に用いられます。それは侮辱として用いられます。しかし、良いことをすることは、そのように見られるべきではありません。イエスは「巡り歩いて良いわざをなし(使徒10:38)」ました。

聖パウロはテトスに「あなたは彼らに注意を与えて、…すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。(テトス3:1)」と書きます。パウロの願いは神に信頼を置く者たちが「良いわざに励むことを心がけるようになる(8,14)」ことでした。

ジョン・ウェスレーの言葉を引用すると「できる全ての良いことをしなさい。何が何でも。あらゆる手段を持って。あらゆる場所で。あらゆる時に。あらゆる人に。あなたが可能な限り。」です。


良いことをして、悪いことをしない

詩篇119:113-120

良いことをするの反対は悪いことをするです。詩篇の作者は良いことをすると決心しました。それが「悪を行う者どもよ。私から離れて行け。(115a)」と言う理由です。悪を行う者は「二心の者(113)」です。彼らはおきてから迷い出る者であり欺きます(118)。

悪を避け、良いことをすることを選びましょう。神のみことばを愛しましょう(113,119)。神はあなたの隠れ場であり盾です(114a)。あなたの希望を神の言葉に置きましょう(114b)。「私は、あなたの人生の定義に全き忠誠を尽くしましょう(117,MSG訳)」

詩篇の作者は「みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください。(116)」と書きます。私たちの希望が先送りされることは良くないことです。箴言は「期待が長びくと心は病む。(箴言13:12)」と言います。今日、詩篇の作者のように、あなたの希望を神の前に持ち運び、あなたの希望が砕かれることのないように祈りましょう。

祈り:主よ。私はあなたのみことばを愛します。それらによって生きることができますように。悪を行うことから遠ざけ、良いことを行わせてください。今日、私の希望を再びあなたに置きます…。どうか私の希望が砕かれることがありませんように。


いつも良いことをするために備える

テトス3:1-15

パウロの人生がイエス・キリストとの関係を経験する前と、その後とでは劇的な違いがあります。(それは私自身の経験にも言えることです。)パウロは記します。「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。(3)」

しかしながら、イエスは全く私たちを変革します。「私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、…私たちを救ってくださいました。(4-5)」良いことをするのはあなたへの神の優しさと愛に対する応答です。私たちはしばしば家族や友人の優しさについて思いますが、神はそれらを凌いで無限の優しさがあります。もし神がそれほどあなたに優しいお方であったなら、あなたが他の人々に優しくするのは自然な応答です。

神の優しさと愛から、神はあなたをただ赦したのではありません。神はまた、あなたに聖霊を与えました。「神はあなたに良いお風呂を与えました。私たちはそこから上がると新しい人になるのです。私たちの内面も外面も聖霊によって洗われるのです。私たちの救い主イエスはとても気前よく新しい命を注いでくださいました。神の贈り物は私たちと神との関係を立て直し、私たちにいのちを取り戻させるのです。(5-7,MSG訳)」あなたの内に良いことをするのを可能にし力をあたえてくださるのは聖霊です。

それゆえ、パウロは私たちが今導かれている人生についてパウロはこのように書くことが出来たのです。「人々に政府を尊び、法を守ることを心に留めさせなさい。(1,MSG訳)」 ― 国の法律に従うこと ― 神の法に矛盾することがなければ、これは私たちの市民としての責任です。

しかし、支配者や権威者への従順と服従だけでは不十分です。私たちは「すべての良いわざを進んでする者」となり、「だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者(1-2)」となるように備えなければなりません。パウロは二度にわたって、自分自身を良いことをするように委ねるよう勧めています(8,14)。

パウロがここで、他の人々との彼らの関係に焦点を当てているように思えることは目を引きます。パウロは、謙遜、真実さ、他者への思いやりの基づく「他者に焦点を当てる」考え方を薦めています。あなたが愛に動機づけられたものであるのなら、あなたが人々を愛することを学ぶのは実際に彼らに仕えることによるのです。

聖霊によってあなたが新しく生まれ、刷新された後でさえ、脇道に逸れたり、無益な者になってしまう誘惑はあるのです。無駄な議論に巻き込まれないようにしましょう。パウロは書きました。「愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避けなさい。それらは無益で、むだなものです。(9)」

パウロはクレテのクリスチャンたちが彼らの住んでいる地域の文化からより分けられ違った者となることを気にかけています。パウロは書きます。「私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。(3:14)」

あなたはこの世の目前であなたが信じる通りに生きるのです。もし私たちが怠惰で無駄な者であるなら、人にはそう映ります。あなたは良いことを行うことで「私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛(4)」を反映させるべきです。

良いことをすることと生産的な生き方をするには、必ずしもあなたの経歴を変える必要があるというのではありません。私が弁護士として働いていた時、私は神が英国国教会の聖職者として召されているかどうかについて考えたことを覚えています。私は「律法学者ゼナス(13)」に言及されていることにとても心打たれました。もし私が弁護士として活動することをやめてしまったとしても、クリスチャンの法律家であり続けることになんら問題はないことを、それは私に想起させたのです。あなたの人生でどんなところにいても、あなたの仕事や働きがどのようなものであっても、良いことをすることに精を出すことは可能なのです。

祈り:主よ。あなたが私の人生を変革する方法のゆえに感謝します。私が生産的な生活に導かれますように。そしてイエスのように、良いことをすることに精を出すことをお助けください。


良いことをするのに精を出すその人に寄り添う

哀歌1:1-2:6

「人間であるということは苦難があるということである。それを免れる者は誰一人いない。哀歌は、神が私たちの苦難に入ってこられ、私たちの苦難を共に担うという主張によって、苦難に尊厳を与える広い意味での聖書的な証しの友となるのである。」ユージン・ピーターソンは哀歌の緒論にそう記しています。

この書の巻名は、悲しみ、寂しさ、嘆き、痛み、喪失、悲劇に焦点が当てられていることを示唆します。それは神の民が捕囚の間に経験したことです。私たちの環境は違うかもしれませんが、私たちの苦難は同じように現実的です。

哀歌の作者は、かつてイスラエルという偉大な国が、その国の多くの罪のゆえに、どのように国が破れ捕囚されて行ったかを嘆きます。「彼女は岩と困難な場所の間に抜け出せなくなった(1:3,MSG訳)」、「…すべてを失い(7,MSG訳)」、「…通りには大虐殺があり、家には飢餓がある(20,MSG訳)」

私たちが今日の箇所を読むと、希望はほとんどないように思えます。そこにあるのは裁きと苦難だけです。作者は言います。「私の苦難ほどの苦難があるだろうか…?(12,NIV訳)」それは私たちが困難や試練を通るときにしばしば感じることです。

彼は書きます。「私のそむきの罪のくびきは重く、主の御手で、私の首に結びつけられた。主は、私の力をくじき、私を、彼らの手にゆだね、もう立ち上がれないようにされた。(14)

彼の罪の描きは、彼を押しつぶすように彼の肩にかけられた重いくびきのようです。彼はそれによって弱り、苦しめられてます。

これが捕囚の体験です。裁きと莫大な苦難。歴史的には約七十年で捕囚は終わりました。しかし、霊的な意味では捕囚は続いています。

イエスが、捕囚はすっかりと本当に終わったと告げに来て下さり、もはやあなたが罪に弱り苦しめられる必要がなくなったことを神に感謝します。イエスは言いました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28-30)」

これが、良いことをする秘訣です。良いことをすることに精を出すそのお方のそばにいましょう。あなたの重荷をイエスに委ね、イエスの安息を受け取りましょう。あなたのくびきを負ってイエスに学びましょう。彼のやさしさ、へりくだった心をです。なぜなら、彼こそ良いことをするための原動力だからです。

祈り;私の主そして私の救い主。あなたに感謝します。私から罪のくびきを取り去り、重い負担を取り除けてくださったことを感謝します。あなたにくびきを委ねたことで、私のくびきは負いやすく、軽くなりました。今日、あなたのそばに留まらせてください。あなたの聖霊の力によって仕えることができますように。あなたのように、良いことをすることに励むことができますように。アーメン。

H.K

References

Eugene Peterson, The Message, ‘Introduction to Lamentations’, (NavPress, 1993) p.1110.