2019年5月19日
第139日
問題の時にあるあなたの希望
あなたは多分困難の中にあるかもしれません。あるいは、あなたの生活の中でたくさんの「問題」に直面しているかもしれませんが、あなたは希望を持つことができます。希望とは地上での命とやがて来る命にある究極の神の祝福への期待を確信することです。それは神が良いお方であることと神の約束に基礎を置いています。イエスが共におられるなら、いつも希望があるのです。
今日の新約聖書の箇所にあるラザロのように、ある一部の教会は、はやばやと死を迎えたように言われてしまいました。「英国キリスト教の死(The Death of Chirstian Britain)」という書でカルム・ブラウンはこう記しています。「この本は国家の中心となる宗教的モラルのアイデンティティーが死に去ったことについての書である。歴史的変化が進むとき、これが永続し、事柄を長引かせることはなかった。イギリスがキリスト教に改宗して(歴史家たちが暗黒の時代と呼ぶところの)数世紀が経ったが、それを見放す国になるのに40年もかからなかったのである。」私たちはしばしば「教会の危機」、「礼拝出席者の急激な減少」、「深刻な教会出席率」などの見出しを目にするのです。
同時に、神を締め出そうとした社会の結果を見ています。毎日、イギリスでは304組の夫婦が離婚しています(訳者註:日本では581組)。6秒に1回の割でサマリタンズ(訳者註:英国の「いのちの電話」)に電話がかかってきます。ポルノ産業の稼ぎは何十億ポンドにもなります。英国全土の教会教職者が3万人なのに対して、占い師や魔術師の数は8万人以上と言われています。
イギリスだけが問題の中にある国というわけではありません。他の多くの国々も問題の時を通ってします。国家の問題と同様に、私たちは皆、個人生活においても問題の時に多かれ少なかれ直面するのです。「問題」には色々な形があります。問題の時、あなたの希望は何でしょうか?
悪に対し善が最終的に打ち勝つという希望
詩篇64:1-10
あなたは今まであなたの人生で直面した何かによって恐ろしい思いをしたことがありますか?ダビデは「恐るべき敵(1a)」に面していました。
ダビデは現実的な問題の時を通ってしました。ダビデは「陰謀者が私をやっつけようと躍起になっている(2,MSG訳)」、敵の「わな(5)」や「たくらみ(6)」の中に置かれていました。しかし、彼は神が悪に打ち勝つお方であると確信していました。同じような状況に置かれたらあなたはどうしますか?いくつかの対処の方法を今日の詩篇は教えてくれます。
- 神に叫ぶ
ダビデは「神よ。私の嘆くとき、その声を聞いてください。(1a)」と祈りました。ダビデは神に「恐るべき敵から、私のいのちを守ってください。(1b)」と求めました。 - 神を喜ぶ
「正しい者は主にあって喜び…(10a)」使徒パウロも「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4)」と記しています。 - 主にとどまる
「主に身を避けます。(10b)」「神のもとに逃げ込め!(10b,MSG訳)」 - 主を賛美し続ける
「心の直ぐな人はみな、誇ることができましょう。(10c)」「あなたの習慣として賛美せよ!(10c,MSG訳)」
祈り:主よ。悪に対して善の最終的な大勝利を確信することができますことを感謝します。私は独りではありません。私はあなたを賛美します。
イエスの復活にある希望
ヨハネ11:1-44
あなたは死を恐れますか?多くの人々は死におののきます。しかし、もしあなたがイエスに信仰を置くなら、あなたは死を恐れる必要はありません。イエスは死の力を打ち破られたからです。
イギリスのコメディアン、ラッセル・ブラッドが言いました。「人は死を避けることができないので笑いに夢中になるのです。死が不可避であるという恐れを一瞬でも和らげようとして、一時的な逃避するのです。」すべての人類は死という「問題」に直面します。あなたの希望はどこにありますか?
今日の箇所に、私たちは死に面する際におけるイエスの「人間性」を見ることができます。ラザロはイエスと親しい友でした(11)。イエスは彼とその家族を愛していました(3,5,36)。イエスはラザロの死に「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて(33)」イエスは涙を流されました(35,この節は英語では最も短い節です。)
しかし、イエスはまた、死に対する答えであり、それは独特です。イエスはマルタに「あなたの兄弟はよみがえります。」と言われました。マルタは答えて「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」と答えました。イエスの答えは「あなたは終わりの日まで待つ必要はないのです。まさに今、わたしがよみがえりでありいのちなのです。わたしを信じる者は、たとえその人が死んでいたとしても、生きるのです。そして、私を信じて生きる者は究極的に決して死ぬことはないのです。」と応じました。(24-26,MSG訳)
墓の向こうにいのちがあるのです。イエスは死にそして再びよみがえられました。イエスを信じるすべての者も死から再びよみがえるのです。未来の前味として、イエスはラザロを死からよみがえらされたのです。
ラザロの物語は、私たち一人ひとりの物語です。イエスはあなたを復活へと招かれました。そして、いのちを与えるために、すなわち、あなたの家族、友人、同僚、そしてこの世界に希望をもたらすために、全きいのちを生きるものとされたのです。
この復活の力はあなたの中にあるのです。パウロはローマの教会の人々に言いました。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。(ローマ8:11)」イエスの復活はあなたの将来の希望の土台です。
キリストを信じることはいつも最大のムーブメントなのです。それは、死によって決してメンバーを失うことがないたった一つのものだからです。私はあるとき、息子の一人がこう言ったことを記憶しています。「もし、お父さんが死んだら、僕は寂しい。でもお父さんと天国で会えるんだよね。それなら、きっともう寂しくなんかない!」
マザー・テレサは死の直前に「あなたは死を恐れますか?」と尋ねられました。彼女は「どうして?死ぬということは神様の家に帰るのですよ。恐れることなんてあるものですか。それどころか…私は本当に楽しみにしているのよ!」と応えたのです。
この箇所はまた、間接的に教会のための希望を見せてくれます。一部の教会は病にかかり、多くは死を宣告されています。ある教会は「眠っています。(ヨハネ11:11)」そして、ある場合は「もう臭くなって(39)」いるように思えます。
この箇所は死でさえ命へと変えてくださるイエスの力を私たちに思い起こさせます。この復活の力は今日も教会の中に息づいています。同じく、イエスはラザロに言いました。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。(4)」この約束の言葉は今日の教会にも響きます。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16:18)」
ある教会は、早々と葬られたように見えます。イエスはラザロについてこう言われました。「ほどいてやって、帰らせなさい。(ヨハネ11:44c)」たぶん、イエスは今日のある教会にも同じように言われるのではないでしょうか。イギリスのブライトンにあるセント・ピーター教会は私たちの教会の助けによって、息を吹き返しました。その教会は「ラザロのように、町の『非公式な大聖堂』としてよみがえった」という記事になりました。彼らはその教会形成プログラムを「プロジェクト・ラザロ」と呼んでいるのです。
祈り:主よ。あなたの教会のために祈ります。眠りにつき、悪臭を放っていたことを御赦しください。あなたがどれほど心を痛めておられたことでしょう。あなたは涙を流され、愛のアクションを起こされました。
どうか、新しいいのちをもたらしてください。国中の教会がよみがえりますように。
主のことばの希望
1サムエル2:27-4:22
神はあなたに語りたいことがあると信じますか?もしそうならサムエルのように言うことができます。「主よ。お話しください。しもべは聞いております。(3:9)」
問題の時は、神の民だけにではなく、すべての人々に訪れるものです(4:7)。そのような時には神が沈黙しておられるように思えるものです。「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。(3:1)」
エリの息子達の悪行は目も当てられない状態で、エリは心痛めたことでしょう。彼らは会見の天幕の入口で仕えている女たちと寝ているという始末でした(2:22)。彼らは「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。(30)」と語られる神をさげすんだのです。
神をさげすんだ結果はイスラエルの敗退でした(4:1b-11)。エリは失意にうちに死にました(12-18)。エリの義理の娘はイ・カボデという名の子を産みました。「栄光がイスラエルから去った」という意味です(19-22)。
神の民にとってそのような嘆かわしい状態の中に希望がありました。神はサムエルを召し(3:4)、神はご自身をサムエルに顕され、彼は主に聞きました(9-10)。サムエルは言いました。「神よ。語って下さい。私はあなたのしもべです。聞く準備はできています(9,MSG訳)」神は「見よ。わたしは、イスラエルに一つの事をしようとしている。(11)」と告げました。
サムエルは、それが言うことがはばかられるような難しいことであっても、その言葉すべてを語り告げる準備ができていました(18)。彼は何一つ隠すことはありませんでした。その結果、神は彼を偉大な働きに就かせることが出来たのです。「サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。」(19)
祈り:「主よ。お話しください。しもべは聞いております(9)。」どうか神の言葉を注意深く聞き、そして、他の人々にも語り告げることができますように。そして主のことばにある希望を持つことができますように。アーメン。
H.K
References
Callum G. Brown, The Death of Christian Britain: Understanding Secularisation 1800–2000, (Routledge, 2009).
Divorce Statistics from Office of National Statistics, accessed via: https://www.ons.gov.uk/peoplepopulationandcommunity/birthsdeathsandmarriages/divorce/bulletins/divorcesinenglandandwales/2014
Samaritans statistic from Samaritans.org, accessed via: http://www.samaritans.org/news/samaritans-volunt-heroes-give-more-5-million-hours-year-save-lives