Tokyo Chapel

2018年11月30日

11月30日

親密な結びつき

交わり ― それは素晴らしいことばです。そのためにあなたは創られました。それはあなたの心の深い願いを満足させます。それは孤独の答えです。この人生の中で他に比べ得るものはありません。それは今始まり、永遠に続くのです。

交わり以上に大いなる喜びはありません。ヨハネは読者に彼が持ったのと同じ交わりを楽しんで欲しかったのです。「私たちはあなたがたにもこれを楽しんで欲しいのです。あなたの喜びは私たちの喜びを二倍にします!(1ヨハネ1:3,MSG訳)」

コイノニアというギリシャ語は「交わり」に用いられる語ですが、翻訳するのが難しい言葉です。それはとても親密で深い関係を表現しています。それは人間同士の最も親密な結婚関係の表現に適した表現とさえなりました。すべてのものを分かち合うような共に過ごす人生を描写する豊かな言葉です。これが、ヨハネが、私たちと神との親密な関係に用いた語です(3)。

それはまた、私たちと他の人との関係をも描写します。あなたは深く純粋な友情と正直なコミュニケーションを持つことができます。仮面をつけることも、偏った解釈も、虚像も必要ありません。あなたは神の前にも他者の前にもリアルであることができるのです。その結果は一定の信憑性、ありのままであること、親密な他者との結びつきであり、それがまとめ上げられてこの美しい言葉「交わり」になるのです。


神に感謝

詩篇136:1-12

神はあなたを愛しています。私たちは常に私たちへの神の愛を心に留める必要があります。この詩篇の中で作者は26回にわたって「その恵みはとこしえまで。」と繰り返します。あなたの主との親密な結びつきはあなたへのとこしえまでの神の愛に基づいています。

神に「感謝」をささげるための応答は…

  1. そのお方はどなたか
    そのお方は「神々の神」であり「主の主」(2-3)です。そのお方は良いお方です(1)。
  2. そのお方が創ったものは何か
    そのお方は大いなる不思議を行われます。そのお方は天を創り、地に拡げました。そのお方は太陽を、月を、星をお創りになりました(4-9)。
  3. そのお方はあなたのために何を成したか
    そのお方の御手は力強く、その腕はあなたの上に差し伸ばされています(12)。

祈り:主よ。あなたの私への愛はとこしえまであることを感謝します。


神に話す

1ヨハネ1:1-2:11

ヨハネは自分が話しているお方について知っていました。ヨハネはイエス・キリストを個人的に知ってたのです。彼は特別にイエスが愛した弟子でした(ヨハネ13:23)。そして、彼はそのお方とかなり多くの時間を過ごしました。

今や、ヨハネは老人となり、彼がかつて「聞き」「見」「見つめ」「触れた」イエスについて書きます(1ヨハネ1:1)。ヨハネはかつて「見た」時に「証し」したいと願い、「告げ知らせ」たいと願いました、それは彼の読者もまた御父との、そして子なるイエス・キリストとの親密な結びつきを持つことができればという思いのためでした(2-3)。

圧倒されるようなことですが、あなたもまた、この親密な結びつきを経験することができるのです。「私たちはそれを見、私たちはそれを聞いた。そして今、私たちはあなたがたに、あなたがたが私たちと一緒にそれを経験できることを告げている。父とその子、イエス・キリストとの親交のこの経験を。(3,MSG訳)」

どのようにしてあなたは、父と御子とのこの親密な結びつきを得ることができるのでしょうか?

あなたは「光の中」を歩むことができます。なぜなら、「御子イエスの血はすべての罪から」私たちをきよめるからです(7)。私たちは、私たちの罪の赦しを継続的に与えられています。あなたが自分の犯した罪を主に話すことが出来、赦しを確かなものにする場所で、あなたは主とのこの親密な関係に招かれているのです。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(9)」

イエスの血はあなたを継続的にきよめます。それは、あなたの肝臓や血液があなたの肉体を継続的に解毒し、きよめるのと同様です。

求められる一つのことは、あなたが罪を犯してしまった時に、その罪を告白することです。

神に短く説明することを続けなさい。あなたが罪を犯したなら、すぐに告白し、悔い改め、神のきよめを受け取りなさい。立ち上がり前進しなさい。

ここに見事なバランスがあります。私たちは罪を犯さないで、むしろ光の中を歩むのです。しかしながら、私たちは皆罪を犯しました。「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。(10)」

これは素晴らしい組み合わせに導きます。ヨハネは読者に罪を犯さないように励ましつつ、それと同時に、もし彼らが罪を犯してしまったら、神の恵みとあわれみを確証しているのです(2:1)。このきよめと共にある恵みに招かれているバランスこそクリスチャン生活の中心にある正しさなのです。

驚くべきことに、私たちがしくじる時、イエスは私たちの「弁護者(KJV訳)」、私たちの神聖な法的防御となってくださるのです。「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。(1)」

あなたのために十字架にかかってくださったイエスの犠牲こそ、あなたが父と御子に親密な関係を持つ「交わり」の内に話すことが出来るようにしてくださったものです(1:3)。あなたは神を知るように召されています(2:4)。そしてあなたへの神の愛を経験するように召されているのです(5)。「神との親密になるべきだと主張する者は誰でも、イエスが生きたのと同じような生活を生きるべきです。(6,MSG訳)」

その一部はクリスチャンのコミュニティーの中で、私たちの人とのお互いの結びつきの中に見られます。「もし…私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち(1:7)」澄んだ良心、愛、従順、神との親密さ、そしてお互いの親密さは皆、連携して進むのです。

祈り:主よ。あなたが十字架の上で私たちのために流してくださったご自身の血を通して、あなたと交わりを持ち、そして私たちが互いに交わりを持つことが出来るという驚くべき特権とを感謝します。


神を信頼する

ダニエル5:17-6:28

ダニエルは神との近しい親密な結びつきを楽しみました。ダニエルは主への完全な全き信頼を持った者として、素晴らしい手本です。彼はベルシャツァルの贈り物を受け取るのを拒みました(5:17)。誰かから贈り物を単純に受け取ることには気を付けなければなりません。ダニエルは自分の立場のために妥協することを望みませんでした。

ベルシャツァルの罪は、第一に「高ぶり(20)」― 彼は自分自身に謙遜ではありませんでした(22)。第二に、「高慢(20)」― 彼は天の主に対抗する位置に自分自身を起きました(23)。そして第三に、「偶像礼拝」― 銀や金の神々をたたえました(23)。

ダニエルはクリスチャンの政治家として秀でた手本です。それは彼の知性が他と比べて完璧にずば抜けているということだけではありません。彼が現実に抜きん出た存在であるのは彼の誠実さです。彼らが過去のスキャンダルや内輪の恥を見つけようと躍起になっても、彼らは何一つ見つけることが出来なかったのです。「彼は完璧に模範的であり、信頼できました。彼らは手抜きや職権乱用の証拠を何一つ見出すことが出来ませんでした。(6:4,MSG訳)」

私たちは皆、誰一人、ダニエルがしたことほどずば抜けた者はいませんが、私たちは皆、「すぐれた霊(3)」を得ています。あなたの仕事において「何の怠慢も欠点も(4)」ない信頼される者、正直な者、注意深い者となることを目指しなさい。あなたの仕事に忠実でありなさい。そして、最も重要なことはあなたの神との関係に忠実でありなさい。

ダニエルは国の第三の権力を持つ者でした。そして彼には大きな責任が科せられました。彼は仕事に多くの時間を費やし、極度に多忙でした。しかし、彼は一日に三度祈りのための時間を見つけるように自己管理していました。

ダニエルはバビロンで何年もの間、この地位で暮らしました。彼の国に対する態度は非常に興味深いものがあります。彼は自分の全役職をこなしました。彼はすべての法律に従いました。彼を訴える者たちはこれを知っていたのです。彼らはダニエルを攻撃する唯一の方法は神の反することをさせる法律を作ることだと思ったのです。それで、かれらは祈ることを違法とする法律を作りました(5-7)。ダニエルは公に法が施行されても躊躇なく従いませんでした(10)。

神に語ることは、神に信頼することと表裏一体です。神との交わりはダニエルの人生に第一の優先事項でした。彼はいつもしていた通りに祈りを続けました。彼は妥協することを拒んだのです。彼は自分が祈っているという事実を隠そうとさえしませんでした。彼は今まで通り、すべての人々が見ることが出来るように、窓を開けたままにしていたのです。

ダニエルはライオンの穴に投げ込まれました。物語の全体像はイエスの生涯の最後の時期の予型のようです。

  • 妬みが彼に対して偽りの訴えを導きました
  • 彼の敵たちは告発するための何の足掛かりも見出すことが出来ませんでした
  • 最終的に彼らは宗教的告発に訴えました
  • 嫌々ながら弱い王は本当はしたくない行動を取るように求められます。
  • ダニエルの大いなる勇気はイエスの比類なき勇気の予型です
  • 神による救出は復活の予型です。
  • 「一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、…王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。(17,19)」という描写は「からっぽの墓」の予型となっているようです。

物語の全体となる鍵はダニエルの神への完全なる信頼です。それが彼が恐れなかった理由です。ダニエルをライオンが食べなかったのは「気骨と根性をもって!」彼が神に続けて仕えたからであると言えます(16,20)。そして、彼は自分自身を生ける神のしもべであるとして認識し考えていました(20)。彼は一日のすべての瞬間を、神が自由にお使いになるようにしていました。

妥協させようとする圧迫に立ち向かいましょう。すべての物事が間違った方向に向かっているように思える時でさえ神に信頼し続けましょう。異なる者であることに勇気を持ちなさい。

祈り:主よ。あなた感謝し、あなたと語らい、あなたを信頼する…あなたとの親密な結びつきをもって歩むことが出来るように助けてください。アーメン。

H.K

References

William F. Arndt & F. Wilbur Gingrich (Eds) A Greek-English Lexicon of the New Testament and Other Early Christian Literature, (University of Chicago Press, 1957) p.439.