Tokyo Chapel

2019年11月14日

第318日

あなたの前に置かれている競走

私は生活の中で多くの失敗をして少し後悔することあります。その中の一つは私が19歳の時のこと、ふと思いついて十分な練習もせずに、ケンブリッジのマラソン大会に私は参加していました。それは多くの耕地を含むケンブリッジの外縁に沿って走る競争です。

最初の20kmは快調だったのですが、その後、身体のあちこちがきしみ始めました。なんとかそこそこのタイムでゴールすることが出来たのですが、普通の生活に戻るには一週間かかりました。十分な練習もせずにマラソンに参加するのは賢明なこととは言えません。

ヘブル人の手紙の作者はクリスチャン生活はレースを走るようだと記しています。それは短距離走よりもマラソンのようです。私たちは「長距離ランナー(ヘブル12:13,MSG訳)」です。それは練習、忍耐、訓練を要求します。「それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(3)」今日の各々の箇所で、あなたは「私たちの前に置かれている競走(1)」を走り抜くためにあなたが必要なこと、それと同時にそうすることの結果を見るでしょう。


コースから外れずに走り続ける

詩篇125:1-5

「忍耐なしに偉業を成すことはあり得ない。」とシエナの聖カタリナは言いました。

忍耐の鍵は神を信頼することにあります。「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。(1)」これは願望的思考に基づくものではありません。私たちが信頼する神のご性格と守りに基づくのです。

神はあなたと共におられます。神はあなたのためを思っておられます。神はあなたのにおられます。神はあなたのにおられます。神はあなたを取り囲んでおられます。「主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。(2)」この守りは「今よりとこしえまで(2)」あなたにあるのです。

信仰(「主に信頼すること」,1)は義に導きます。(ローマ3:22)そして、この詩篇の残りの部分は義人と悪者の長い期間にわたる展望に焦点を当てます。その時の状況がどう見えたとしても、「悪の杖が正しい者の地所の上にとどまること(詩篇125:3a)」はありません。

詩篇の作者はコースから外れてしまうことを警告します。「しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを 不法を行う者どもとともに、連れ去られよう。 (5)」私たちは道から外れようとする時、平安を失ってしまいます。詩篇の作者の祈りは、「イスラエルの上に平和があるように。(5b)」です。

祈り:主よ。感謝します。あなたは、あなたを信頼する者の周りを取り囲んでくださいます。今日、再び私は自分の人生をもってあなたを信頼します。どうか私をお守りください。そして平安を与えてください。


忍耐をもってレースを走る

ヘブル12:1-13

「忍耐をもって」走り続けることが勧められている、あなたの「前に置かれている競走」があります(1)。このレースにおいて、あなたは大きな励ましを受けています。あなたには「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている(1)」のです。それらの人々は信仰の人たちです。ヘブル11章に挙げられたリストの人々は皆、死にました。しかし、私たちを取り巻いている証人たちは、信仰の手本として今も生きており、生きながらえているのです。「道を切り開いたすべての開拓者たち、私たちを勇気づけるすべての熟練者たち。(1,MSG訳)」

あなたのレースを走ることは障害物なしに、また困難や、反対、試練なしに進んでいけるものではありません。その道を進む中で「いっさいの重荷とまつわりつく罪(1)」という、あなたをつまずかせるものがあるのです。

古代の世界では、競技者たちは腰巻を脱いで競技に出場しました。観客になってはなりません。競技者としてレースに出るのです。

厚着をしていては競技の邪魔になります。これは、罪だけでなく、その他の邪魔になるものや気を散らすものを取り除けるというたとえです。今日、たとえば、ソーシャル・メディアなどは良いものではありますが、気を散らすものの一例といえるでしょう。

うまくレースで走るための鍵は「イエスから目を離さない(2)」ことです。競技者がどこを見ているかは、彼らの成功の鍵です。優れた競技者は自分の眼をゴールに定めます。

イエスは「自分が目指すところを決して見失いませんでした。神の内に、そして神と共に、爽快なフィニッシュを目指して。(2,MSG訳)」「あなたがたの足のためにまっすぐな道(13、KJV訳)」を作ることだけが、あなたの足元を見ずに、ゴールだけを見つめて走る方法です。あなたの眼をイエスに定めましょう。自分の内側を1分見るには、主を10分間見つめなさい。

キリストに従う者として、あなたはたくさんの反対、批判、否定的な評判を受けることになるでしょう。しかし、それはあなたのためにイエスが耐え忍ばれたものに比べると全くないに等しいものです。

「信仰の創始者[指導者、元祖、開拓者]であり、完成者[達成者、完了者]であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(2,AMP訳)」あなたの忍耐の鍵は「罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のこと(3)」を考えることです。「それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(3)」

あなたの眼をイエスから離さないことは、問題をはっきりさせるためにあなたの助けとなるでしょう。私たちのほとんどにとって、罪に対する葛藤において、(この手紙の読者と同様に)私たちは血を流すほどに抵抗したことがありません(4)。

うまくレースを走るにはトレーニングが要求されます。トレーニングはきついものです。それは自制心を養うことが要求され、実に痛みを伴うものです。

ここで、作者は親が子をしつけるイメージを用います。それは愛から為されるものです。「主はその愛する者を懲らしめ(6a)」ます。訓練は「神があなたをご自身の子とみなしておられること(6,MSG訳)」の証拠です。

彼は続けて「神はあなたを教育します。あなたが落伍者にならないためにです。神はあなたがたを愛する子どもとして取り扱ってくださるのです。あなたの中にあるこの問題は罰ではありません。それは訓練であり、子どもたちにとって通常の経験なのです。(7-8,MSG訳)」

「私たちは訓練を与え、私たちを台無しにしないようにする自分たち自身の親たちを尊敬します。そうであるなら、私たちが本当に生きることが出来るための神の訓練を受け止めることができないのでしょうか?(9,MSG訳)」あなたが「聖さ(10)」にあずかるようにあなたの益となるために神はあなたを訓練しています。それは、その時は痛みを伴うかもしれません。しかし「後になって、もちろん、自分と神との関係において熟練を得たよく訓練された者たちにとって、それは十分に期待された成果をあげるのです。(11,MSG訳)」

レースを走り続けなさい。「やる気をなくして座り込んではなりません!足をひきずってのろのろしていてはなりません!長距離ランナーのための道を空けなさい。だれもつまづいたり、倒れたりすることのないためです。そうすれば、だれも足を取られたり、足首をくじいたりすることはありません。お互いに助け合いましょう。そして走りきるのです!(12-13,MSG訳)」

祈り:主よ。訓練の時、あなたが私をあなたの子として扱ってくださることを知って、困難を耐え忍ぶことが出来ますように(7)。私があなたのきよさにあずかり、義と平和の実を収穫することができますように。


あなたの足を引っ張るものを振り払う

エゼキエル26:1-27:36

西洋社会はツロが向かった同じ方向に向かう危険性があります。そこには繁栄と力がありました。それはビジネスに成功し、国際貿易の国でした。これは現代も同じ感覚です。ケン・コスタは著書「ゴッド@ワーク(God at Work)」の中で、「ツロはその地域で経済と商業の要所でした。ツロはロンドンのシティ、ウォールストリート、東京に比べることが出来ます。」

ツロは神なしに自己達成するために組織された社会の例です。それは「全く美しい(27:3)」とともに、誘惑的です。金儲け、高層ビル、贅沢さは魅力的です。

私たちは人々を愛し物事を使うことを考えます。わたしたちが物事を愛し人々を使うことを始める時に間違った方向に行ってしまいます。消費主義は現代社会の大きな危険です。しかし、それは今に始まったことではありません。ツロはモノを愛し、人を使うようになってしまった国です。彼らは奴隷貿易さえ行っていました(14)。

レースをうまく走るためには、私たちは「いっさいの重荷まつわりつく罪とを捨て(ヘブル12:1)」なければなりません。

ツロの罪は高慢、反逆、自己満足でした(イザヤ23、エゼキエル27:3)。そこに裏切りと奴隷売買がありました(アモス1:9、エゼキエル27:13)。エゼキエルはこの国の上に神の裁きが下ることを警告しました(エゼキエル26:1-6)。そのプライドは引き落とされるでしょう。ツロは傲慢にも「私は全く美しい(27:3)」と言いました。

しかし、神は警告します。「すべてのものは沈む。あなたの豊かな物品も、産物も、水夫も船員も、造船業者も兵士も、海の底に沈んでしまう。国中が沈没するのだ。(27,MSG訳)」

金銭や消費物を売り買いすることに焦点を当てることは、薄気味が悪いほどに現代の消費主義に似ています。(これからクリスマスにかけての、特にこの季節は!)しかしながら、心をそそるように思えるこれらのものは、一過性のものであり、はかないものであることを私たちは覚える必要があります。

それらに絡み取られないようにしなさい。信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい(ヘブル12:1-2)。いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨て去りなさい。私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

祈り:主よ。私の前に置かれたレースを忍耐をもって走り続けることが出来ますように。私の眼をイエスから離さず、心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにしてください。アーメン。

H.K

References

Ken Costa, God at Work, (Alpha International, 2013), p.174

Henri Nouwen, If I were to let my life be taken over by what is urgent, I might very well never get around to what is essential in @HenriNouwen Twitter 31 July 2012, https://twitter.com/henrinouwen/status/230384864438919168 [Last accessed November 2015]