神を楽しむ方法
あなたも私も神を礼拝するために創造されました。しかし、なぜ、神は人間から礼拝を受けるために、人間を創造しようとなさったのでしょうか?それは、ある人々たちが言うように、神が人々からの賛美を受けたいという欲望からではないのでしょうか?
何年も前に、私は「詩篇を考える」というC.S.ルイスの著書を通して、礼拝の理解が深まりました。。
C.S.ルイスはこう記しました。「賛美について最も紛れもない事実は…奇妙なことに記憶から呼び起こすことができないのだ。私は今まで、すべての楽しみは自然に、賛美にあふれ出るものであるということに気がつかなかった。…この世には賛美が響き渡っている。…散策を好む者たちは田園風景をたたえ、スポーツを好む者たちは好きな競技をたたえる。天気、酒、食器、俳優、馬、大学、国、歴史上の偉人、子供、花、山、珍しい切手、珍しい本、時には政治家や学者だって、たたえるのだ。」
「私は、私たちは自分が楽しむものを賛美することを喜ぶのだと思う。なぜなら、賛美は表現というより、楽しみを完成させることだからである。それは、その約束された達成なのである。それは、恋人を引き留めるために、互いに美しいと言い合うという類のお世辞から出てくるものではない。喜びはそれが表現されるまで完成されてはいないのだ。」
言い換えれば、礼拝は喜びの完成です。私たちの喜びは、礼拝において表現されるまでは完成していないのです。それは、神が私たちを礼拝のために創造されたことは、神の私たちへの愛から発したことなのです。ウエストミンスター小教理問答によれば、人間の主たる目的は神の栄光をあらわし、永遠に神を楽しむことです。
歌と音楽
詩篇98:1-9
詩篇の作者は人々を歌と音楽を持って神を礼拝することに招きます。「新しい歌を主に歌え。…音楽に合わせて嬉々として歌声を放て。主に向かって音楽を奏でよ。(1,4-5,NIV訳)」
この詩篇は騒がしさに満ちています。それは、人々が異なるたくさんの方法で神の良いお方であることを祝うことを願ったからです。私たちの神を祝うために歌うこと、喜び叫ぶこと、楽器を奏でること、そして手を打ち鳴らすことまであります。
「叫べ。あなたの神を賛美せよ!すべての者よ!
解き放たれて歌え!バンドよ演奏を始めよ。
オーケストラよ神の為に演奏するために集まれ!
聖歌隊よ、百人の声を合わせよ!
トランペットと大きなトロンボーンを配置せよ。
王なる神への賛美で周りを満たせ。
海と魚たちも手を打ち鳴らして賛美させよ。
地にあるすべての生きるものと共に!(4-7,MSG訳)」
これは皆、神が私たちのために為されたことへ応答です。私たちは救い主なる(1-3)、王なる(4-6)、裁き主なる(7-9)神を礼拝することに召されています。
私たちは、これをイエスのレンズごしに読むとき、これは預言的な詩篇であることが理解できます。イエスは神の「右の御手」なるお方であり、「救いを為された(1,NIV訳)」お方です。イエスは神の救いを知らしめ、「その義を国々の前に現された(2)」のです。(ローマ3:21参照)
救い主がこの地に裁きのために来られる時、すべてのものが普遍的に回復するという喜びの予感があります。(詩篇98:9)
それで、すべての被造物が回復されるのです。(7-8)聖パウロが「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。…被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。(ローマ8:19-21)」
神の民の共同体の礼拝(98:1-3)から、すべての民(4-6)、そしてついにすべての被造物へと、この詩篇は音楽のクレシェンドのように段々と大きな音になって行きます。
祈り:主よ、私はあなたを礼拝します。あなたが救ってくださったことを感謝します。あなたの愛と誠実を感謝します。私が喜びと、歓喜に溢れる歌と音楽と叫びをもってあなたを礼拝できますことを感謝します。私があなたの裁きの公平さを信頼することが出来ますことを感謝します。あなたは、やがて世界を義を持って裁き、人々を等しくなさいます。
畏怖と感謝
1コリント 11:2-34
パウロは礼拝における栄誉と妥当性の問題について解説します。そしてとくに、礼拝での女性の役割と位置を見ます。この箇所の意味を巡る議論のために今まで莫大なインクが費やされました。これらのほとんどは文化的なものであるというのが一般的な見方です。しかし、少ないながらも、今日もいくつかの教会は、たとえば、女性はかぶり物を被るべきと考えています。
明らかなことは男も女も礼拝で祈りそして預言することが期待されているということです(4-5)。また、性別は平等であり、相互に依存するものであるということもまた明らかです(11-12)。「男であろうが、女であろうが、独りよがりや優先権の主張はすることができません。…「どっちが先か」というようなお決まりの作業はやめてしまいましょう。」(11-12,MSG訳)
次に、パウロは「主の晩餐(20)」あるいは「ユーカリスト(Eucharist)」と彼が別の箇所で読んでいることについて議論を進ませます。(「ユーカリステイン(Eucharistein)というギリシャ語の動詞は「感謝する」という意味があります。)
これは、恐らく最も初期の礼拝での私たちの務めに関する説明です。二千年にわたって、クリスチャンの礼拝の生き生きとした部分として、全世界の教会によって、ほとんど普遍的に祝われ為されてきました。再びここでもパウロが意味した正確な事柄について山のような議論がなされてきました。しかしながら、この箇所からいくつかの事柄は明らかであると思えます。
- それは何度も
彼らが「いっしょに」「集まり」(17,20)を持って「主の晩餐」が為されることが期待されました。 - それは大切です
イエスは「これをしなさい(24)」と私たちに告げました。それを適切にしないことの結果は非常に深刻です(27以降)。「あなたの動機を調べ、あなたの心をテストしなさい。聖なる畏れをもってこの食事を頂きなさい。(28,MSG訳)」 - それは宣言です
それは福音をあなたが宣べ伝える方法の一つです。「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。(26)」 - それはイエスを覚える(24-25)ことと主のからだであることを認める(29)ことです。パンとぶどう酒にあずかる時、イエスと出会うことを期待しましょう。
- それはキリストのからだと血にあずかることです(10:14以降)。ここで用いられているギリシャ語は「コイノニア(koinonia)」で、それは「分かち合い」「交わり」を意味します。それはイエスの死の恩恵を受けそして分かつための方法です。
- それは感謝の形式です。私たちは「感謝の杯(10:16)」を仰ぐのです。
- それは一致の表現です。「パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。(17)」教会の歴史の大いなる悲劇の一つは、大いなるこの一致の表現が分裂の原因になってしまったことです。
- 主の再臨を期待する。あなたは「主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。(11:26)」
パンとぶどう酒はイエスのからだと血です(24-25)。これは私たちが主の臨在を今日体験する方法の一つです。正確にこれが意味することは、もちろん、大いなる思索、討論、議論のテーマになって来ました。それを受け入れるための多分一つのアプローチは奥義として受け入れ、みことばの背後に回り込まないことです。そして、正確にそれがどう作用するのかについて過度に議論しすぎないことです。
祈り:主よ。あなたを正しく適切な方法で礼拝しあなたを喜ぶことができますように。イエスに焦点を当てることができますように。あなたを礼拝し、あなたを永遠に楽しむことの本当の目的を見出すことを助けてください。
正直さと情熱
2歴代7:11-9:31
「こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。(7:11)」
歴代誌の作者はダビデとソロモンの治世に神を礼拝する場所としてエルサレムに神殿が建てられたことの説明に焦点を当てます。彼にとって、他の事柄はまるですべて色を失って重要ではなくなってしまったようでした。彼らは礼拝の場所を建て、神は彼らを豊かに祝福しました。
ソロモンの名声は広がりました(私たちはそれを8章と9章に読みます)。シェバ(多分、今日のイエメン)の女王が来訪し、目の当たりにした光景に圧倒されました(9:1-7)。そして彼女自身が主を賛美したのです(8)。(興味深いことに、新約聖書の光でこの女性照らすなら、女性が国家に君臨することについての疑問は起こらないはずです。)
ソロモンの輝きは偉大です。ソロモンが神殿を建設した後、主は彼に現れ、言いました。「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。(7:14)」
この節は有名で、しばしば礼拝と祈りのひな形として用いられます。その中に、私たちは私たちの礼拝の中にある正直さのための条件を見るのです。それらはまた、リバイバルのための必要条件です。私たちはこの節に、私たちが必要とする4つの事柄を見ます。
- 自分自身に謙遜となる
- 祈り
- 神の御顔を慕う
- 悪者の道から向きを変える
そして、神が為される3つのことを約束します。
- 天から聴く
- 私たちの罪を赦す
- 地を癒す
祈り:主よ。今日、私は謙遜になりたいです。祈り、あなたの御顔を慕い求め、私の罪を悔い改めます。あなたは天から聴いて下さり、私たちの罪を赦し、私たちの地を癒してくださいます。あなたに栄光がありますように、そして永久まであなたを楽しませてください。アーメン。
H.K
References
C. S. Lewis, C. S. Lewis Selected Books: The Pilgrim’s Regress / Prayer: Letter to Malcolm / Reflections on the Psalms / Till We Have Faces / The Abolition of Man, (HarperCollins, 2011), p.360