Tokyo Chapel

2019年8月23日

第235日

神のやり方ですることを神に信頼する

私は時々、もっと日記に書きたいと思うことがあります。少なくとも、私の祈りのいくつかを記録することは私の楽しみです。今日の箇所の言葉「私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。(2歴代20:12)」の言葉の余白に、私は数年にわたって私たちが直面している、打ち勝ち難いと思える問題や状況のいくつかを書き出しました。どれほど神が私たちが記録したそれらの多くの問題や状況から、ご自身の時に、ご自身の方法で解決してくださったを見ることは驚くべき素晴らしいことです。

神の私たちを解き放つ能力を心に留めるということは、神は再びそのことをしてくだることができると信じる私たちの信仰を増し加えます。神は本当に力強いです。事実、神はなんでもできる「全能」のお方です。あなたは神を信頼できるのです。


祈りに答える神に信頼する

詩篇102:12-17

「祈りは全能の筋肉を動かすか細い神経である」とはチャールズ・スポルジョンが言った有名な言葉です。

あなたが、自分の生活や自分の国に問題を見る時、あなたが最初にどう反応しますか?詩篇の作者が、荒廃した神の都を神の民が滅茶苦茶にしてしまったのを見た時、彼の最初の反応は神に叫ぶことでした。

詩篇の作者は、神の力と神の愛の両方に心を留めました。そして神の偉大さを宣言しました。「主よ。あなたはとこしえに御座に着き(12a)」そして神のエルサレムへの「あわれみ(13)」を宣言しました。「まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。(14)」

私が私たちの国を今日見る時、私は多くの教会が荒廃しているのを見ます。神はこの国の中でご自身の民を立て直す力をお持ちです。

あなたは、あなたの祈りに神が答えてくださる力を信頼できます。あなたの祈りによって神の力を制御することは出来ません。しかし、神はご自身の民の生活、そしてご自身の世界にいつも積極的に働いてくださいます。「みじめな者の祈りに神はとりかかってくださる。神は彼らの祈りを散らされることはない(17,MSG訳)」

祈り:主よ。私はこの国の教会が再建されるように叫び求めます。どうか、あなたの聖霊を私たちの上に、私たちの国に再び注いでください。


復活の神を信頼する

1コリント15:35-49

私たちが愛する人を失うことはとても痛いことです。そして、私たち自身の死に直面することは、ある人にとって怯え慄くことです。この箇所は私たちの悲しみや私たちの恐れに新しい洞察を与えます。新約聖書が神の愛について語る時、普通、それはイエスの十字架を指し示します。それはイエスを死からよみがえらせた「神の比類なき偉大な力(エペソ1:19-20,NIV訳)」です。

ここで使徒パウロは、どのようにして同じ力があなたのからだもまたよみがえらせるかについて語っています。パウロは穀物の種粒の類比を用います。種が持つ潜在的な力は地に埋められて死ぬことがなければ発揮されることがありません。「あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。(1コリント15:36)」種と麦は全く異なるように見えますが、そこには連続性があります。

イエスが復活したので、あなたもまた神がよみがえらせてくださることを信頼できるのです。それは神の方法によるのです。それはあなたが想像できるものよりはるかに良いものとなるでしょう。

「この『復活のからだ』とはどんなものなのか?」という懐疑主義者の問いにパウロは答えます。「もし、あなたがこの質問を近くで見るなら、あなたはそれがいかに不合理であるか分かるでしょう…。私たちは同じような経験を菜園作りで経験します。あなたは「死ぬ」種を蒔くと、すぐに植物が生い茂ります…。地に葬られる死んだ身体と、そこから復活する新しい身体とは劇的に違うのです(35-38,MSG訳)」

パウロは神の創造の大いなる多様性を指し示します。そのことは、間接的に、あなたは他の誰かのようになろうとする必要がないことを示唆します。神はあなたを唯一無二の存在としてお創りになったのです。皆が違っていてよいのです。多様性は良いことです。

人間、動物、鳥、魚…からだの多様性には呆然とするほどであることが分かります。「復活の栄光の多様性はこの地上でのからだの多様性だけでなく、太陽、月、星など美しく輝くすべてのものの多様性からもヒントを得ることができるでしょう。そして、私たちは復活する前の「種」をただ見ているだけなのです。誰が復活した「植物」がどのようなものかを創造することが出来るでしょうか?(40-41,MSG訳)。」

パウロは続けます。「死ぬ種を植え、生きる植物がよみがえるというイメージはせいぜいスケッチにしかすぎません。しかし恐らく、復活のからだのおくぎ煮近づくための助けにはなるでしょう。しかしそれは、もしあなたが、私たちがよみがえるときのこと、すなわち、私たちは良いものによみがえり、永遠に生きることを心にとどめるならばです。」

「植えられた遺骸は美しくはありません。しかし、それがよみがえる時、それは栄光に満ちたものです。地において弱く置かれ、それは力強く引き上げられるのです。種を蒔くことは自然です。種が成長することは超自然です。同じ種、同じ身体ですが、それが肉体的な死に陥る時と、霊的な不死に引き上げられる時とは如何に違うことでしょうか!(42-44,MSG訳)」

復活のからだと霊的なからだとは同じ質をもっています。しかしながら、その質が造り変えられるのです。復活は「無から(ex nihilo)の創造」というより、「古きものから(ex vetere)の創造」です。植物は種から生まれます。私たちの現行の身体は新しい身体に置き換わるのではありません。それは私たちの復活の身体に造り変えられるのです。

イエスはなおもご自身に従う者たちに分かるようにされました。復活のからだにおいて、連続性と不連続性があります。イエスは壁を突き抜けることが出来ましたが、同時に魚を食べることが出来ました。イエスに起こったことはあなたに起こります。アダムのように自然な身体を持ち、やがてある日、第二のアダムであるイエスのように、あなたは霊的な身体を持つのです(44-48)。「私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。(49)」

祈り:主よ。イエスが死に、葬られ、いのちによみがえられたように、あなたの力によって、私たちがよみがえらされ、イエスとおなじように霊的な身体をもつようになることを感謝します。


あなたの闘いで神に信頼する

2歴代18:28-21:3

あなたは、あなたの生活の中でどんな闘いに直面していますか?ヨシャパテは戦うべき自分の闘いがありました。彼は様々な「人」と対面しました。…モアブ人、アモン人、メウニム人(NIV訳)。

しかし私たちにとって、ジョイス・マイヤーは次のように書いている通りです。「私たちが対向かう相手は、恐れ人、病気人、貧困人、うまくいかない結婚人、ストレス人、不機嫌な隣人、不安人、拒絶人などなどです。」

ヨシャパテがアラムの王と戦った時、「ヨシャパテは助けを叫び求めた。主は彼を助けられた。(18:31)」私たちはこの記事に神の摂理と主権を見ます。神はイスラエルの王を死に至らす無造作な矢をお許しになりました。しかし、神に叫び求めたヨシャパテを守られました(28-34)。

ヨシャパテは「彼らをその父祖の神、主に立ち返らせた。(19:4)」彼はさばきつかさを指名しました。彼らを呼び寄せ、「不正、えこひいき、わいろ(7)」を排除するようにしました。もし、世界中の裁判官が同じようにすれば、今日の世界は如何に違ったものなることでしょうか。

「彼はその父アサの道に歩み、その道からそれることなく、主の目にかなうことを行った。(20:32)」という、主に従ったヨシャパテの事実にもかかわらず、彼は闘いに面し続けました。同じように、あなたが人生の中で闘いに直面する時があったとしても、それはあなたが間違ったことをしたということを意味するのではありません。時には、あなたが間違ったことをしたからという理由ではなく、あなたが正しいことをしたという理由で闘いに直面することがあるのです。

大軍が彼に押し寄せました(2)。ヨシャパテは神の力を知っていました。「あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手にはがあり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。(6)」

ヨシャパテはまた「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。(12)」ということも分かっていました。

神は預言者の言葉で答えられました。彼らが神を待ち望んでいた時、主の霊が預言者に臨みました(14)。

預言者は言いました。「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。(15)」「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。…あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。(17)」

ヨシャパテは主を礼拝しました(18)。「彼らは声を限りに賛美した!(19,MSG訳)」彼は、歴代誌全体を実にまとめ上げるメッセージを持って民に告げました。「あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。(20)」

彼らが主を賛美し始めて「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。(21)」と歌いました。礼拝は力強い武器です。彼らが賛美した時、主は彼らを解放されたのです(22)。

祈り:主よ。今日、私が直面している闘いにおいてあなたを信頼します。それらがあなたの闘いであることを感謝します。私は何をどうしていいのか知りません。しかし私の目はあなたを見上げます。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2014) p.681.