Tokyo Chapel

2018年6月8日

第159日

「灰色の影」ではなく

1960年代、モンキーズというグループサウンズのバンドがありました。絶対的な道徳観などもはや誰も信じることなどできないことを唄った「灰色の影」という曲がありました。歌詞は…

世界と私が若かった頃、ほんの昨日のこと
人生は子供が遊べるような単純なゲームだった

悪から正しいことを語るのは簡単なことだった
強さから弱さを語るのは簡単なことだった
男が立って戦わなければならないとき
あるいはただ進んで行くときでさえ

でも今日は昼も夜もない
今日は、暗さも明るさもない
今日は、黒も白もない
灰色の翳りがあるだけ

今は「灰色の影(shades of grey)」は映画化された官能小説のタイトルとして知られるようになりました。

現代の多くの人々にとって、もはや絶対的に正しいことも絶対的に間違っていることも信じることができません。白か黒かくっきりとしたコントラストをもった区別は、相対主義の風潮がある社会では簡単に鵜呑みにはできません。…すべては相対的で、問題は程度だと。

イエスに従う者として、私たちはこのような相対的な考えに屈するわけにはいきません。私たちはみことばの預言的な声を開かなければなりません。それはしばしば白黒がはっきりした道を辿ること、複雑な問題や状況の中で、倫理的な選択の分かれ道を判断しに辿ることです。

善悪の現実は、今日の箇所に非常に明確に記されています。そして、善と悪ははっきりと区別されるのです。


良い最期 vs 恥辱の死

詩篇71:9-18

聖書の中に容認されている「灰色」は「グレイ・ヘアー」だけでしょう。「しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。(箴言16:31)とありますが、個人的に私はこれに年ごとに励まされています!

詩篇の作者は良い最期を迎えようと決心しています。「年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。…年老いて、しらが(グレイ,NIV訳)になっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。(詩篇71:9,18)」

これは、彼が「私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。(13)」と願った、彼の敵の運命とはっきりと明暗を分けています。新約聖書の洞察からすれば、敵に対する態度としては正しい祈りとは言えないかもしれません。しかしながら、人をなじったり、痛めつけようとする者の末路を描いているという点においては真実です。

詩篇の作者は自分と恥の内に消え去る者とを対照的に描いています。彼は「しかし、私自身は…(14)」と記し、あくまでも一生を主と共に歩み続けたいと願っているのです。実際、彼は生涯の最期に始めよりも、もっと実を結んでいたいと願っています。「いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。(14)」と彼は言うのです。

すべての世代には「次の世代に(18)」バトンを渡す責任を負っています。継承している計画を立てることは良い最期の鍵となる部分です。パウロを追い求め、テモテを訓練し、マリヤによって助言し、フィベを備えることは重要であると言われています。

祈り:主よ。人生の良い最期を迎えることができますように。そして、次世代にあなたの力を告げることができますように。私の口が、あなたの義を告げ、あなたの全能の業を宣べ伝えることができますように。


聖霊の満たし vs サタンによる囚われ

使徒4:23-5:11

教会は退屈ではありません。初代教会で退屈な人は誰もいませんでした。何が起こるか誰もわからなかったのです。それほどに神の臨在の力強い感覚があったのです。ある人はそれを好み、ある人はそれに怯えました。

この箇所にも対照的な描きがあります。

第一に私たちは聖霊に満たされた結果を見ます。

  1. 大胆さ
    ペテロとヨハネは脅かしに屈することはありませんでした(4:17,21)。むしろ、「心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った(24)」のです。彼らは祈りました。「 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。(29)」「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(31)」
  2. 一致
    「信じた者の群れは、心と思いを一つにして(32a)」彼らは皆、同じ聖霊に満たされました。聖霊に満たされた共同体のしるしは一致です。
  3. 寛大さ
    彼らは自分たちの持ち物を分かち合いました。「信じた者の群れは、…すべてを共有にしていた。…彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。(32,34)」彼らは困窮している人々を助け支えることが出来た人々でした。

  4. 彼らは祈りました。「御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。(30)」彼らの祈りは答えられました。「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし(33a)…」
  5. 恵み
    「…大きな恵みがそのすべての者の上にあった。(33b)」神の恵みの体験は、恵みの優しさの共同体へと導くべきです。

明暗をはっきりわけて、今日の箇所の残り半分は、サタンに囚われた結果を見ます。ペテロは「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ(5:3)」と大変強い口調で言いました。

アナニヤとサッピラは彼らの財産や金銭を売り払う必要はありませんでした。「それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。(4)」彼らは狭量さを責められたのではありません。

むしろ、彼らが嘘をついたこと(それは一時的なことです)だけなく、一緒に嘘をつくことという陰謀を企てるようにサタンに心が囚われてしまったということが明らかになったのです。ペテロはアナニヤに言いました。「あなたは…聖霊を欺いて(3)」そしてサッピラに言いました。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。(9)」この陰謀は事前に計画され準備されていたのです。

神はペテロに「知識のことば(3-4)」を与えました。これは彼らの罪を暴露しました。神の恐れが人々に臨みました(5,11)。この種の恐れは人間的な恐れや奴隷のような恐れではありません。むしろ聖なる恐れです。彼らは「神への健全な尊敬を持ちました。彼らは神が侮れない方なのだと知ったのです。(11,MSG訳)」

この箇所の読み方は簡単ではありません。私たちの多くは神の裁きがこれほどに厳格なのかという戸惑いを感じるかもしれません。最終的に言えることは、神は私たちの心の内に隠し通したことも全てご存知であり、私たちは神の裁きが公明正大であることを信頼する必要があるということです。それは、私たちの真ん中にある神の臨在の威厳を思い起こさせます。神の臨在の感覚はあまりに偉大です。人々が自分の罪があらわにされるのではと恐れるほどのものです。しかし、この神の臨在と聖霊はまた格別な悔い改め、癒し、しるしと不思議をもたらすのです。

祈り:主よ。あなたの聖霊で私たちを満たしてください。教会が、大胆な宣言、一致、寛大さ、力と恵みによって知られるようになりますように。


愛 vs 憎しみ

2サムエル13:1-39

この箇所で、私たちは非常に対照的な感情を見まっす。アムノンは妹のタマルに恋心を持ちました(1)。「私は、兄弟アブシャロムの妹タマルを愛している。(4)」とアムノンは言いました。ダビデは多くの妻を持ち、多くの子を持ちました。男の子と女の子はたぶん5~6歳になると別々に分けられたことでしょう。それは今日の一般的な家庭の感覚とはかなり異なるものです。

アムノンはタマルを寝取ろうと策をめぐらせました。「兄上。乱暴してはいけません。(12)」とタマルはいさめました。彼女は結婚についてさえ申し出ています(13)。律法では異母兄妹の結婚は禁じられていました。多分、それは当時は律法通りには為されていなかったのでしょう。それどころか、タマルはわらにもすがる思いでした。「しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうとはせず、力ずくで、彼女をはずかしめて、これと寝た(14)」のです。

聖書は性的虐待という問題を無視してはいません。レイプは常に繰り返されてきた恐るべき犯罪です。タマルが言ったとおり「愚かなこと(12)」で「愚か者(13)」の行為です。それは人に「わびしさ(20)」と「怒り(21)」をもたらすのです。

私たちは性的虐待の被害にあった人がどれほどダメージを受けるのかを垣間見ます。「タマルは頭に灰をかぶり、着ていたそでつきの長服を裂き、手を頭に置いて、歩きながら声をあげて泣いていた。(19)」そして「ひとりわびしく暮らす(20)」ようになったのです。

「ところがアムノンは、ひどい憎しみにかられて、彼女をきらった。その憎しみは、彼がいだいた恋よりもひどかった。(15)」これはダビデとその家族にとってさらなる悲劇をもたらしました。暴力は泥沼化しました。アムノンは殺され、アブシャロムは逃走し、ダビデのもとから家出しました。(23-39)

多分、アムノンはタマルに対して「夢中になった」と言った方が正確でしょう。彼は彼女を「愛した」ように思ったかもしれませんが、決して愛してはいませんでした。罪によって堕落してしまった人類の性質であり体験なのですが、惚れた相手がすぐ憎悪に代わってしまうことがあるのです。アムノンの愛は決して本当の愛ではありません。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(1コリ13:4-7)」

祈り:主よ。私たちを憎しみから解放してください。表面的な愛ではなく、御霊の実としての愛によって満たしてください。アーメン。

H.K

References

The Monkees, ‘Shades of Gray’ (1965), from Headquarters. Songwriters: Mann, Barry / Weil, Cynthia. Lyrics © EMI Music Publishing