Tokyo Chapel

2018年9月13日

第256日

イエス・キリストはあなたの内に生きる

私はボクシングのグローブを視覚教材に持ってきました。私はグローブをブラブラとぶら下げて手を入れなかったら何も役に立たないことを見せました。それから、私はグローブに手を入れて拳を握って打ちました。それによって、グローブの力が違うことを皆がよく理解できるようにしたのです。

私はオックスフォードの町の少年刑務所で話していました。その頃、私は神学生でチャペルの礼拝で話す機会が与えられました。

私のトレーニングの担当の留置場の刑務チャプレンは、それは刑務所では不適切な描きであることを指摘しました。なぜなら、それはイエスと暴力が近接した関係にあるように思わせるからです!それを除けば、彼はそれは良いたとえであると同意してくれました。

イエス・キリストがご自身の霊によってあなたの内に住まわれるようになる時、変化がもたらされるということを、私は描きたかったのです。主がいなければ私たちは弱いのです(2コリント13:4)。それは手を入れていないグローブのようなものです。しかし、イエス・キリストがあなたの内に住まわれる時、あなたは、自分の人生に神の力が与えられるのです(4-5)。

もし、あなたがこれを「解き放つ(5)」なら、それはあなたの人生をあなたが生きる方法を造り変えるでしょう。


あなたの心を神の知恵で満たす

箴言22:17-27

あなたの心はどれくらい健康ですか?あなたは神の知恵で満たされましたか?ただ、それを唇に上らせることでからだの健康を得ると同時に、あなたの心にそれを置くことが現実に大事なことです。

箴言の作者はあなたの心に神の言葉の知恵を保つことをあなたに勧めています。「深みにまで魅了する宝」であり、あなたの唇に備えとして持つことで、「神への信頼の泉」となるのです(17-19a,MSG訳)。みことばの知恵をあなたが学ぶ時、(たとえば、聖句を暗唱するとか)、あなたの主への信頼は深まるのです(19)。

作者は30の「生きるためのガイドラインを確かめた原則」をリストに挙げています(20,MSG訳)それらは30の「役立つ真理(21,MSG訳)」なのです。その最初の幾つかが今日の箇所にあります。

  1. 貧しい者や困窮した人をどのように取り扱うか。親切でありなさい。彼らを利用してはならない。彼らを押しつぶしてはならない(22-23)
  2. 怒りや不機嫌によって罠にかかることをどのように避けるか。「不機嫌は伝染する。―それを人にうつすな」(24-25,MSG訳)
  3. ギャンブルに対する警告と、負債を抱えることをどのように避けるかという実践的な助言。他の人々の負債のためにあなたの安全を担保にしてはならない(26-27)。

これらの格言はよりよい人生をあなたが生きる助けとなる知恵ある原則です。知恵の中心は良き助言だけではありません。それは「あなたの信頼を…主に(19)」置くことです。

新約聖書の中で、私たちはイエスが神の「知恵」であることを学びます(1コリント1:30)。イエスがあなたの内に住んでおられるので、あなたは心に神の知恵を得ているのです。」

祈り:主よ。あなたの霊で私の心に住んでくださり感謝です。神のことばの力のゆえに感謝します。それを読み、学び、黙想し、あなたの言葉を唇に上らせるための準備をし、私の信頼が主イエス・キリストであるあなたの内にありますように。


キリスト・イエスがあなたの内におられることを認識する

2コリント13:1-14

あなたはイエス・キリストがあなたの内に生きておられることを認識していますか?使徒パウロはイエス・キリストが自分の中に生きておられることを疑いませんでした。パウロはコリントの人々へ語った言葉にその認識を示しています。「キリストが私によって語っておられる(3)」

パウロは復活のイエスと出会ったという強みがあります。彼は大きな確信をもって「確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。(4)」と書くことが出来ました。

自省することは重要です。自省は自責とは異なります。パウロは「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。(5a)」と彼らに勧めました。自省の目的はあなたが自分の生活で何が間違っているかを知ることができ、それを認めて、それから離れ、イエスによって自由にされるためです。

パウロはコリントの人々に、イエス・キリストが彼の内に住んでおられることをただ知ってくださいと懇願しているのです。そしてまた、「あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを(5)」知ってほしかったのです。パウロは私たちの内におられるキリストよりもはるかにキリストのうちにある私たちについてもっとたくさん話しています。そのにもかかわらず、彼はそれをあべこべに置いたこの箇所に注目しています。コロサイ1:27で、パウロは「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのこと」を書いています。そして、ここでもまた、パウロはあなたの内におられるキリストについて書きました。そして「あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか(2コリント13:5)」とその違いについて書きました。

これが弱さを強さに転じるものです(9)。これがパウロが彼らのための完全を祈る理由です(9)。そして、「完全な者になりなさい。(11)」と彼らに懇願することが出来たのです。

もちろん、誰一人としてこの世界で完全に到達する者はありません。完全主義者であることは健全ではありません。しかし、私たちは神との、また他の人との完全な関係に生きることをすべての目標にすることが出来るのです。パウロは彼らに訴えました。「一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます(11)。」

どのようにしてこれは可能でしょうか?パウロは締めくくりにあたって「恵み」という言葉を用います。「イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(13)」

三位一体のすべてが含まれています。それはイエスの「驚くばかりの恵み(14a,MSG訳)」です。それはあなたを常に赦しときよめにあずかる者とする力です。それは「(父なる)神の贅沢な愛(14b,MSG訳)」であり、あなたが完全な愛を目標とすることができるようにあなたの心を満たすのです。それはあなたの内に住んでおられるイエスの「聖霊の親密な友情関係(14c,MSG訳)」です。それが不完全な人々を成熟した者へと成長させ、来るべき日に顔と顔を合わせるようになるのです。その時に至ってあなたは完全なものに達するのです。

祈り:主よ。あなたが私と共に生きてくださることを感謝します。あなたの驚くべき恵みが私が為すすべてのことから溢れ流れますように。今日、私をあなたの贅沢な愛の知識とあなたの御霊の親密な友情関係をもって満たしてくださいますように。


聖霊によってあなたの心に注がれる神の愛を知る

イザヤ 30:19-32:20

キリストの御霊があなたの内に住まわれるために来られたのはペンテコステの結果です。あなたのための神の愛はイエスの聖霊によってあなたの心の内を満たします(ローマ5:5)。あなたが神の子であり、キリストがあなたの内に生きておられるという認識をあなたにに与える主の御霊です。

この箇所で、イザヤは神の6つの描きを見せています。

  1. 教師
    主はあなたの教師です。「たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、(イザヤ30:20)」神はあなたを教えます。私たちの人生で困難な時を通る時がしばしばあります。そのとき、私たちは多くを学ぶのです。イエスはあなたの「主」であり「教師」(ヨハネ13:14)として描かれています。
  2. 導き手
    「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く。(イザヤ30:21)」聖霊はあなたを導いて、狭い道に沿って命へと導かれるのです。
  3. 癒し主
    「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる(26)」人々がイエスと初めて出会ったときはしばしば、過去の傷や痛みの癒しを経験します。この癒しは生涯にわたる過程です。

  4. イエスは「正しい方法で統治し、彼の指導者たちは正義を行うだろう(32:1,MSG訳)。」神は私たちの内におられる聖霊を通して私たちの人生を統治されます。
  5. 知恵
    神は私たちの知恵の源泉です(31:1-3)。イザヤは、イスラエルの聖なるお方に目を向け、主からの助けを乞い求めるよりも自分たち自身の力に頼ろうとすることを警告します(1)。聖霊は私たちの人生に知恵をもたらす源泉です。

  6. 神はまるでめんどりのようです。神はエルサレムを守り、解放するでしょう(31:5,ルカ13:34参照)。神は私たちにとって父であり母でもあります。聖霊はしばしば神のご性質の女性的な部分に関わっておられます。

聖霊は「イエスの御霊(使徒16:7)」です。聖霊を通して、イエスはあなたの内に住まわれるために来られます。

預言者イザヤは「上から私たちに御霊が注がれる」時であるペンテコステの日を垣間見たようです(イザヤ32:15a,MSG訳)。」

「上から霊が私たちに注がれ、…公正…義…平和…とこしえの平穏と信頼…安全…安らかないこいの場…ああ、幸いなことよ。
…あなたがたは。(15-20)」

霊が注がれることは大きな収穫、義と平和(平穏、信頼、安らかないこいの場)を導きます。それは惜しみなく蒔くことと自由を導きます。もしあなたが聖霊によって歩むなら、あなたはこの地上においても永遠においても、大いなる祝福を楽しむだろう神はあなたに約束します。

祈り:主よ。御霊の時代に生きる特権を与えてくださったことを感謝します。それは預言者イザヤがただ垣間見た時代です。今は、イエス・キリストがご自身の御霊によって私たちに住まわれる時、私がそのすべてを体験することができますことを感謝します。アーメン。

H.K