Tokyo Chapel

2019年5月20日

第140日

逆境の中に平和を見出す方法

2000年間にわたって、イエスに従う者たちは逆境、抑圧、迫害に面してきました。ピッパと私は何年もの間、クリスチャンが肉体的な迫害に面している多くの場所を訪問しました。実際に、今日、世界中のクリスチャンへの迫害は歴史上最悪の状況であると言えます。

西洋社会では、現時点では肉体的な迫害はありません。しかしながら、「信仰撲滅」を宣告するような人々からのメッセージが送られてきているのを私たちは知っています。侵略や猛攻が増加していくのは明らかです。

抑圧も度を増してきています。彼らの願っているのは「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。(2テモテ3:12)」の言葉の通りです。抑圧は私たちから遠く離れたところから(今日の旧約聖書のペリシテのように)も、悲しいことに時には、身近なところから(新約聖書の箇所のパリサイ人のように)も受けるのです。あなたは逆境の中でどのようにして平和を見出しますか?


平和を図る

箴言12:18-27

抑圧や悪に対する解毒剤は、反対の精神で歩むことです。つまり「平和を図る」者となることです。箴言の作者は「悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。(20)」と両者を対照的に描いています。では、どのようにして平和を図るのでしょうか?

  1. 癒しをもたらす
    あなたの言葉で平和を図ります。「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。 しかし知恵のある人の舌は人をいやす。(18)」言葉には力があります。人を傷つけるのも癒すのも言葉です。
  2. 真実であること
    「真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。 偽りの舌はまばたきの間だけ。(19)」真実な言葉は一過性のものではなく、永続的です。「いつまでも堅く立つ(19)」のです。
  3. 自制すること
    「利口な者は知識を隠し、 愚かな者は自分の愚かさを言いふらす。(23)」知識とは下着のようなものです。身につける必要がありますが見せびらかすものではありません。あなたが答えを知っているというちっぽけな事実は、あなたがそれを与えるべきであるということを意味しないのです。私はいつもアルファのホストやヘルパーの自制心には頭が下がります。
  4. 親切であること
    「心に不安のある人は沈み…(25a)」他者を心配によって落ち込ませることではなく助けることで、神はあなたに人生を楽しんでほしいと願っておられます。「 親切なことばは人を喜ばす。(25b)」 親切なひとことで、 その人の一日をする、あるいは人生でさえ変革することが出来ることがあります。

祈り:主よ。わたしが平和を作りだす者となることが出来ますように。人をいやす言葉、真理、自制心の利いた、神聖なことばを語ることができますように。


平安を生きる

ヨハネ11:45-12:11

神こそ主権者です。神は最悪の出来事をさえ良きものに変えることが出来ます。極めつけに、私たちはそれを十字架に見出します。罪のない神の子が殺されるという最悪のシナリオが、神によって人類の救いの業として用いられたのです。

そういうわけで、神は私たちが経験する最悪の出来事をさえも益と変えてくださる(ローマ8:28)ということを信頼して、平安を生きることができるようになります。

イエスは悪い筋書きに当たりました。宗教的な罪にありがちな、妬みを引き起こしたのです。イエスがとてもたくさんの従者を引き連れ、宗教的指導者たちよりも、もっと「成功」しているように見えたので、イエスに対して人々は妬みを持ちました。妬みの結果、祭司長たちとパリサイ人達は議会を招集しました(ヨハネ11:47a)。

議会(サンヘドリン)とはユダヤの最高議会でした。それは大祭司を含む71人の議員で構成されていました。祭司長たちは大多数で、パリサイ人達は少数の影響力を持つ者たちでした。彼らは尋ねました。「われわれは何をしているのか。(47b)」これはとても良い質問です!彼らは、イエスの人気に嫉妬して、イエスを殺すための計画を立てていたのです(53)。

彼らは悪だくみをしたのですが、神はそれを良い計画にしたのです。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。(50)」という大祭司カヤパ(AD18-AD36大祭司を務める)の言葉を「イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。(51-52)」とヨハネはコメントしています。それはは期せずしてイエスの十字架の御業の預言となりました。嫉みと悪意から始まった計画をさえも神は用いて御自身の大いなる救い計画を成し遂げられたのです。

多分、イエスはご自身に反対する企てを知っておられたので、「イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、…弟子たちとともにそこに滞在された(54)」のです。しかし、それは、イエスが面する抑圧の終わりではありませんでした。

最も痛みを覚えたのはユダの裏切りであったことでしょう。マリヤがイエスの足に香油を注いだ時、ユダは咎めて「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。(12:5)」と言いました。これは表面的には妥当な非難のように見えますが、「彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく(6)」という理由を私たちは知ります。

イエスは友であり弟子であるユダが実は裕福な寄進者がイエスや弟子たちのために贈った金を盗んでいたということを苦悩しておられたに違いありません(ルカ8:2-3)。

イエスは単純にユダの反論に応答しました。「あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」(ヨハネ12:8)

イエスは、貧しい者たちの現状に満足しておられたのではありません。世界中の貧困を私たちが払拭することが出来ないという事実は、解決のために何もしなくてもよいという理由にはなりません。貧しい者へのあわれみは、結局、イエスの働きの中心でした。むしろ、イエスはマリヤがしたことの特筆性を弟子たちに分からせようとしたのです。

その間もずっと、イエスに反対する計画は着々と進められていました。(9-11)嫉妬は殺人へと向かいます。彼らはイエスのいのちを奪うことを企てた(11:53)だけでなく、人々をたくさん信仰に導いたので、同様にラザロを故老層としました(12:10-11)。

人知を超えたこととして、私たちはすべての事柄に神の御手が働いているのをみることになります。抑圧や悪行にもかかわらず、神の究極の計画はすでに成就したのです。イエスに対する反対という悪しきことを意味する事柄を神は良きことに変えて用いられたのです。

祈り:主よ。私が平和に、すべてがあなたを愛する者たちにとって良いこととして知って生きることができますことを感謝します。


平和を祈る

1サムエル5:1-7:17

神はあなたの祈りのどれ一つとしても忘れることはありません。たとえ祈ったあなたが忘れてもです。今日起こる何かの出来事は何年も前に祈り、忘れてしまった何かの祈りの結果であるのかも知れません。しかし、神は御自身のタイミングで主権を持って働かれます。その主の前に祈りを積み上げることは決して無駄ではないのです。

旧約のもとでは、神の箱は神が最もご臨在なさる場所に置かれました。そこに神はご自身の栄光を顕されたのです。昨日、私たちは「栄光はイスラエルを去りました。神の箱が奪われたから(4:22)」という箇所を読みました。

あなたは、あなたの祈りに神が答え、行動されるのに長い年月を待ち続けなければならないかもしれません。「長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。(7:2)」私たちが1週間祈り続けたら、私たちは長く祈ったと感じるかもしれません。しかし、彼らは神が動き始めるまで20年もかったのです。

解放への道が開かれるのは、私たちが心を尽くして主に立ち返った時にしばしば始まるものです。サムエルは言いました。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。(3)」 そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えたのです。(4)

神の臨在を取り返すためにまずすべき事は、私たちの内側から神に思いを向けるのを妨げるものを取り除くことです。

主に立ち返った後で、告白と悔い改めの期間が必要でした。「彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。(6)」

最後に、恐れや不信仰から守られるようにサムエルはとりなして祈りました。サムエルは「私はあなたがたのために主に祈りましょう。(5)」と言いました。彼らは「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。(8)」と言いました。「サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。(9)」
彼らはそれが驚くべき祈りの答えであることを認識しました。「ここまで主が私たちを助けてくださった(12)」と言いました。「こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。(13)」

祈り:主よ。私は自分自身をあなたにお委ねし、再びあなただけに仕えます。私の罪とあなたの民の罪を御赦しください。解放と平和を求めてあなたに叫び求めます。この国に、逆境にある平和を見出し、イエスにある信仰を持った人々がたくさん起こされますように。アーメン。

H.K