Tokyo Chapel

2019年10月9日

第282日

人生を変えることば

アールはとても金持ちでした。彼は仕事をする必要がありませんでした。彼はヘロインなど、ありとあらゆる麻薬に手を出しました。とうとう30歳の時に彼は病院に担ぎ込まれました。

ある時、誰かが彼を見舞い、その時、一冊の新約聖書を手渡しました。彼の目は輝きました。その本は、薄紙でできており、葉っぱを包むのに丁度都合が良かったからです。こうして、マタイ、マルコ、ルカと煙になって行きました。そしてヨハネの福音書に来た時、彼は何気に読み始めました。ヨハネの福音書の言葉を読んだ結果、彼はイエスに出会い、彼は喜びに満たされました。

彼の担当医の心理学者は以前はモデルをしていたという才色兼備の女医でした。ある日彼女はアールに言いました。「見て!私は何でも持っているわ。成功、美貌、尽きせぬ資格…。それでも満たされてはいない。あなたの人生は滅茶苦茶だったのに、何かを持っているように思える。平和と喜び、一体何だっていうの?」

こうして、彼は彼女をイエス・キリストにある信仰に導きました。後に彼らは結婚しました。アールと彼の妻トミーはオックスフォード大学の神学部で私の同級生で、親友となりました。彼の人生は劇的に変わりました。それは聖書の中の神のことばによってです。


祝福の言葉

詩篇119:1-8

もしあなたが悔いの残らない「祝福」の人生を望んでいるなら、あなたには神の言葉が必要です。この、すべての詩篇の中で最も長い詩篇は、あなたを神の言葉の指導と会話にあなたを添わせる祝福そのものについてです。

「あなたがコースに沿って行く時に、あなたは祝福されます。神によって啓示された道にたゆまずに歩き続けることです。主の指針に従う時に、あなたは祝福されます。主を見出すための最善を為すことです。(1-2,MSG訳)」

神はあなたを愛しています。そしてあなたを祝福したいと願っておられます。聖書の神の言葉を通して、神との関係にある人生の祝福を見出しましょう。あなたの心を尽くして(2)。主の道に歩み(3)、主の言葉を学ぶ(7)ことを主を求めましょう。そしてあなたは恥を見ることがありません(6)。

祈り:主よ。あなたの言葉が私の人生にこんなにも祝福を持ち運んでくださったことを感謝します。どうかみことばを「読み、心に留め、学び、内面に消化することができるように」助けてください。


力のことば

1テサロニケ1:1-2:16

完全な教会はありません。もしあなたが完全な教会を見つけたなら、あなたはそこに加わってはなりません。あなたや私がその教会に加わったその瞬間、その教会は不完全になってしまいます。実際にあるのは「モデルとなる教会」です。それは良い手本となり、人を元気づける教会です。人々は世界中を巡ってそういう教会から学ぼうとします。

テサロニケの教会はモデルとなる教会です(1:7)。「信じる者たちはあなたを尊敬しています。…あらゆる場所で(7-8,MSG訳)」それは信仰と愛と、特に希望に満ちた教会でした。「彼らは驚嘆しています。それは、逃れられない破滅から私たちを救ってくださったイエス…の到来を、あなたがたがどれほど心待ちににしているかにおいてです。(10,MSG訳)」教会は神に愛されています(4)。それは、大胆に神の言葉を告げ知らせる迫害されている教会です。主のメッセージは彼らから出てマケドニヤとアカヤだけでなく、あらゆるところに響き渡っていました(8)。

福音が私たちの周囲の地域だけではなく、あらゆるところに響き渡らせる、見習う価値のある教会となるということは、私たちの目標と私たちの祈りとなるべきです。その目標は権力拡張ではありません。福音の拡張です。パウロはテサロニケの人々について彼らの教会のサイズについて称賛していません。(私たちはそれがどのくらいの大きさであったかを知りません。)そうではなく、彼は「あなたがたがメッセージだ!(8,MSG訳)」と彼らを誉めたのです。

そのメッセージは「ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。(5)」

  1. ことば
    話すべき時があります。クリスチャン生活をただ単に生きているだけではなく、人々にイエスとイエスが何を為してくださったのかを告げましょう。

  2. 言葉だけでは十分ではありません。あなたはまた力が必要です。神の力はあなたが語る時に働きます。聖霊が聴く者の心に深い確信をもたらしてくださるのです。
  3. 生活
    パウロは「私たちが…あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。(5)」と続けて記しています。どれほど力強い言葉を語ったとしても、あなたの生活がメッセージと一致するまでは効果がありません。「生活唇」ではなくて、「生活唇」なのです。

あなたは、使徒パウロのように、「神に認められて福音をゆだねられた者(2:4)」とされたのです。それは絶大な特権です。神のことばを忠実に告げ知らせましょう。「群衆の称賛を追いかけず、ただ神に褒められるために(4,MSG訳)」ことばを誤用してはなりません。「おべっかを使うような言葉を用いてはなりません。…自分が有利になるように煙幕を張るようなことばを私たちが決して用いないことを神は知っておられます。(4-5,MSG訳)」

福音を宣べ伝えるという勤めは大きな責任を伴うと同様に、素晴らしい特権です。神はその働きを私たちに任せてくださったのです。究極的にはあなたは主に説明責任があります。そしてそれは主にだけです。きっとそんなことはないでしょうけれども、福音を語ることで他の人々が喜ぶかどうかが第一の関心事になってはなりません。それは神を喜ばせることが肝心です(6)。

パウロはテサロニケの人々に単に言葉を投げかけてはいませんでした。パウロは「恩着せがましくなく、見下すことなく(7,MSG訳)」接しました。彼は親のように彼らを愛したのです。彼らの世話をし、彼らと共に全生活を分かち合いました(7-8)。そして、神のために生きることを彼らの手本となり、励ますことで整えたのです(12)。「子どもと共にいる父親のように、あなたの手をつなぎ、励ましたのことばをささやき、神の前に良く生きる方法を一歩一歩あなたに示しました。(12,MSG訳)」

神のことばを語ることはいつも簡単というわけではありません。パウロは書きました。「あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。(9)」

  1. 労苦
    福音を告げ知らせることは大変な仕事です。「身を粉にして働いた(9,MSG訳)」ある働きは外見上退屈かもしれません。私はアルファでの「A」チームの驚くべき働きを想います。彼らは午後5時から11時まで働きます。― 料理を作り、掃除をし、配膳をし、鍋磨きをします。
  2. 苦闘
    「リバイバル」のための支払いは相当高くつきます。侮辱、強い反対、迫害(2)と敵対心(15)があります。しかし、これに代わる大きな喜びがあるのです。「聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ(1:6)」新約聖書の中で、迫害と喜びは車の両輪です。片方だけを期待することはできません。世界中の多くの場所で、福音を告げ知らせるために迫害や大きな困難に遭っている人々がたくさんいます。
  3. 昼も夜も働き
    集中した働きにだけではなく、為さねばならないことは山のようにあります。パウロの場合、今日のほとんどのクリスチャンと同じように、彼はフルタイムの伝道者ではありませんでした。彼は二つの仕事を持っていました。彼は日中はみことばを宣べ伝え、夜は家計のために働きました。

パウロによって語られた福音のことばは人間の言葉ではなく。まさに神の言葉であるということをテサロニケの教会の人々は認識していました(2:13)。彼らは人生が一変する衝撃を受けたのです。そして、彼らが迫害や敵対心に直面したとしても、テサロニケの人々はメッセージを伝えることを決心したのです。

祈り:主よ。人生を変える福音の力のゆえに感謝します。イエスについての良い知らせを人々に告げ知らせ続けるための力、エネルギー、熱心さを私に与えてください。


炎のことば

エレミヤ18:1-20:18

侮辱、反対、敵対、嘲りなど、西欧社会に住む人々にとってはメディア、オンライン、あるいは個人からの攻撃です。それはパウロ、テサロニケの人々、エレミヤ、そして今日でも世界中の多く人々が受けた迫害に比べると小さなものです。

エレミヤは真の預言者でした。彼は神のことばを聴きました。「主からエレミヤにあったみことばは、こうである。(18:1)」「それから、私に次のような主のことばがあった。(5)」神はエレミヤに陶器師と器という視覚教材を通して語られました。この強烈なイメージはパウロが取り上げて用いました(ローマ9:21)。あなたは神の手の中にある霊的な器です。神はあなたの人生の為の目的もって、あなたを形作られたお方です。

主のことばを聴くと、エレミヤはそれを告げました。「主はこう仰せられる。(エレミヤ19:1)」彼は神が彼に告げた言葉を宣言したのです。エレミヤは言いました。「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。(3,15a)」

しかしながら、彼らは聴こうとしませんでした(15b)。エレミヤは打たれ、足かせにつながれました(20:2)。彼は嘲られ、からかわれました(7)。それは彼にとって容易いことではありませんでした。痛みに耐えかねて神のことばを語るのをあきらめる誘惑に駆られることが時々あります。しかし、エレミヤはこう結論します。

「私の腹の底には炎の言葉がある。
私の骨の中で燃えている。
それを握って私は警告を発する。
私はもはやそれをどうすることも出来ない!(9,MSG訳)」

神のことばの炎は、彼が語り続けなければならないほどに、彼の内側で力強く燃えていたのです。エレミヤの勇敢な例にあなたが倣う時、あなたは彼のように言うことが出来ます。「しかし、主は私とともにあって、横暴な[力強い,NIV訳]勇士のようです。(11a)」

祈り:主よ。あなたに注意深く聴くことが出来るように助けてください。そして、圧迫、侮辱、敵対、嘲りに屈服することが無いように助けてください。私の心の中にあるあなたのことばは炎のようであることを感謝します。それは握って内にとどめておくことが出来ません。あなたの愛と力をもってそのメッセージを語ることができますように。アーメン。

H.K