Tokyo Chapel

2018年11月7日

第311日

孤独に対する答え

私は「大きな課題(Big issue )」という、購入代金がホームレスの支援となる雑誌の「独りの生活」と題する記事を読んだことを思い出します。多くの人々は、孤独とはアパートに片隅でひっそりと暮らす痩せたお年寄りの婦人というイメージを持っているでしょう。しかし、現実は若い、ファッショナブルな服装をして、混んだバーのカウンターで横にいる女の子に会話をしたいと思っている若い男性にも同じようにあるのです。多くの人々に取り囲まれていたとしても孤独を感じる材料になり得るのです。

マザー・テレサは言いました。「孤独や誰からも構ってもらえていないという感覚や誰からも必要とされていない感覚は、もっとも大きな貧困です。」孤独は、今日の人間が直面している一番大きな課題の一つです。「孤独を愛する人間という言い回しは、矛盾を含む命題です。」とデズモンド・ツツは書きました。彼は続けてこう記します。「私たちは相互に補完し合う関係を持つように創られたのです。私たちは共に生きる人々との相互依存する人間関係の繊細なネットワークのために創造されたのです。…私たちは一つの家族の一員です。それは神の家族、人間の家族です。最も良いことは共同社会の調和です。神はあなたが孤独になったり孤立することを意図しておられません。孤独は「神へのホームシック」と表現されてきました。神はあなたをコミュニティーのために創造なさったのです。神はあなたを神との、そして人々との愛の関係に招いておられるのです。


平和に満ちたコミュニティー

詩篇120:1-7

私たちは、分裂や関係が崩壊した攻撃性に満ちた世界に生きています。一つの中心的な孤独の理由は、人間関係を壊してしまう「言い争い(6,MSG訳)」です。私たちは至る所でそれを見ます。結婚関係の破綻、家庭崩壊、友人や同僚や隣人との断絶…。

アダムとエバの神との友情関係は破れました。そしてその結果、アダムとエバとの関係も分断されました。カインとアベルは仲違いし、その結果は歴史の記す通りです。

詩篇の作者は、まるで外国にいるように孤独を覚えました(5)。あなたは彼と同じ感覚を持ったことがありますか?かれは「偽りのくちびる、欺きの舌(2)」に取り囲まれていました。彼の周りにいた人々は「平和を憎む者と(6)」であり「戦いを望む(7)」のでした。あなたは今まで「喧嘩好きな隣人(6,MSG訳)」に囲まれて生きなければならない宿命を感じたことがありますか?

あなたの悩みの種を、神に叫び求める時、神はあなたに答えてくださいます(1)。あなたの周りの人々とは対照的に、平和の人になるのです(7)。これは神の人の性質です。イエスは言われました。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイ5:9)」

祈り:主よ。不必要な口論から私をお護りください。そして、私の家族、職場、地域社会の中で平和を作り出す者となることが出来ますように。


「新しい」コミュニティー

ヘブル8:1-13

「地域教会は世界の希望です。」新約聖書の中で教会は「神の民」として記述されています。神の民は世界中の地域教会に集います。ヘブル人の手紙の作者はエレミヤの言葉を引用します。「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(10)」もはや孤独や独りぼっちはありません。あなたは最も驚くべきコミュニティーの一員なのです。

旧約聖書の中で、神はご自身の民と契約を結びました。しかしながら、民は「自分たちの分の取り決めを果たすことが出来なかった。(9,MSG訳)」のです。神はやがてある日、新しい契約を交わすことを約束されました。それによって、神はご自身の民と新しい関係を築こうとされたのです。「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(10)」

あなたは、彼らが古い約束の元にあったことと比べるとはるかに良いのです。作者はさらに続けて言います。「しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。(6)」

古い約束には問題がありました。「もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。(7)」古い契約の問題は彼らが律法を守ることが出来なかったということです。彼らは「契約を守り通さない(9)」者たちだったのです。

神は、古い契約よりも優れたものとなるように、そしてより良い関係を築けるるように新しい契約を約束しました。作者はエレミヤ書からその約束を引用して記したのです(ヘブル31:31-34)。

その約束とはどのようなものでしょうか?それは四つの特徴を持っています。

  1. 新しい考え
    神はあなたの心にご自身の律法を埋め込むと約束されました。これはただ単に律法に従うことを記憶させる(申命記6:6-9のように)という意味ではありません。それは新しい心を持つようになるという意味です。「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。(10b)」
  2. 直接的な知識
    神の知識は個人的な経験の事柄となるであろうと神は約束します。「また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない。  小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。(11)」あなたが神を知ることが出来るようになるのはエレミヤが知った方法によるのです。「彼らは直にわたしのことを知るようになるだろう(11,MSG訳)」
  3. 普遍的視野
    「小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。(11b)」これは、約束はもはやイスラエルやユダだけに限定されるものではなく、全ての国に拡大されるという旧約聖書の約束の成就です。(イザヤ42:6; 49:6; 19:24)
  4. 完全な赦し
    「なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、 もはや、彼らの罪を思い出さないからである。(ヘブル8:12)」ヘブル人にとって「思い出す」という言葉は精神的努力以上の意味があります。それには、覚えている人の有利になる何かをしたことや、不利になる何かをしたという感覚を伴います。もしあなたの罪が覚えられていないというのであれば、それは、神が赦すと決めたこと、そしてあなたの罪の「しみ」は「永遠にぬぐい去られた (12,MSG訳)ということを意味するのです。これは全ての人に当てはまります。なぜなら、イエスはご自身のいのちをあなたのためにささげたからです(13)。

この新しい契約は遥かに優っています。「神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。(13)」

新しい契約は、神があなたを召した新しいコミュニティーの土台となっています。この新しい契約は孤独の答えです。契約は神の民とともにあり、信じる個人に個別に与えられてはいないのです。約束という言葉は全て複数形が用いられています。あなたは、神の民の新しいコミュニティーに属するという莫大な特権にあずかっているのです。あなたは神を個人的に知ります。あなたの罪は赦されました。聖霊はあなたの内に来られ住み、あなたに新しい心を与えました。あなたは決して独りぼっちではありません。

祈り:父よ。私が決して独りぼっちではないことを感謝します。私があなたと個人的な関係を持つことが出来ますことを感謝します。そして神の民の最も素晴らしいコミュニティーの一員となれますことを感謝します。


忠実なコミュニティー

エゼキエル13:1-15:8

今の時代の強力な偶像は、金銭、セックス、権力です。しかし、私たちの生活の中で、神よりも大切なものとして取り扱って私たちが礼拝するものがあれば、なんでも偶像になり得ます。あなたの家や車や所有物も、またあなたの仕事や奉仕も偶像になり得るのです。私たちがそれらのものの中から偶像を作る時、それは私たちを神から遠ざけます(14:14)。

神はご自身に対して忠実な者を探しておられます。古い契約のもとでの問題は、「彼らは忠実に残ることがなかった(ヘブル8:9,NIV訳)」ことでした。神がエゼキエルを通して国について語ったのは「人の子よ。国が、不信に不信を重ねてわたしに罪を犯し、… 彼らがわたしに不信に不信を重ねた…。―神である主の御告げ―(14:13、15:8)」ということでした。

預言者エゼキエルは、私たちが今日の新約聖書の箇所で読んだ通りのことを予見したのです。エゼキエルは、人々が「二度とわたしから迷い出ず、重ねて自分たちのそむきの罪によって自分自身を汚さないためであり、彼らがわたしの民となり、わたしも彼らの神となるためである。―神である主の御告げ―(14:11)」

神の民は偽りによって困難な状況に追い込まれました。私たちは詩篇で「偽りの唇(詩篇120:2)について読みましたが、ここでは「自分の心のままに預言する(13:2)」偽りの預言者について読みます。「彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、『主の御告げ』と言っている。(6)」彼らは「呪法のひも(18)」を用いて「人々をわなにかけて(18)」いるのです。彼らは「まやかしに聞き従うわたしの民にまやかしを行い(19)」「正しい人の心を偽りで悲しませ(22)」ているのです。

彼らに不忠実はどのようなものだったのでしょうか?
彼らが「自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いて」いたと主は言われています(14:3)。旧約聖書の中でさえ、主は物理的な偶像だけではなく、民の心の偶像についても目を向けておられるのです。神の私たちへの願いは、良い実を結ぶ忠実なぶどうの木になることです。(15章; イザヤ5:1–7)

あなたは神を知り神を愛する忠実なコミュニティーの一部となることに召されています。「小さい者から大きい者に至るまで(ヘブル8:11)」皆が歓迎されているのです。多くの孤独な孤立した人々が、愛と赦しを見出す ー神の民のコミュニティー ー 主を知り、主を愛する、そしていつも忠実な平和の人々がいるコミュニティー。そのようなコミュニティーになるように私たちは召されているのです。これが、孤独に対する答えなのです。

祈り:主よ。あなたに対して忠実な者であれますように。私たちが、愛し、平和に満ち、忠実なコミュニティーとなることが出来ますように。そこに孤独で独りぼっちの人々がやって来て、あなたを知る、あなたを見出すことが出来ますように。神の民のコミュニティーの中で、孤独の答えを見出すことが出来ますように。アーメン。

H.K

References

Desmond Tutu, God is Not a Christian, (Ridder, 2013) pp.21–24.

Edythe Draper, Draper’s Book of Quotations, (Tyndale House Pub, 1992) pp.7130, 7132, 7146.