Tokyo Chapel

2018年5月2日

第122日

対立に対処する方法

対立というものは一筋縄ではいきません。その扱いは慎重さが必要です。うまくいくための適切な言葉や接触の仕方を見つけるのは微妙です。ゴルフの例を用いれば、どのクラブを選ぶかと言う熟練さが必要です。

対立に熟練した人は、様々な言葉や接触方法を持っています。そして人によっていつ、どのように用いるべきかを知っているのです。

対立することはどんな時でも正しいわけではありません。すべての批判にいつも対立する必要はありません。すべての間違った論説を論駁しなければならないわけでもありません。

いつ直面すべきかを知っており、その時には愛すべき仕方で向き合うことができる腕前を持っている人はとても尊敬に値します。そのような人は愛をもって真理を語る方法を学んだひとです(エペソ4:15)。

対立はどんなとき必要なのでしょうか?それはどのようにすべきなのでしょうか?


祈りをもって悪に立ち向かう

詩篇55:1-11

現代も悪の力は私たちの「町」に働いています。テロリストはバグダッドからブリュッセル、そしてロンドンまで、世界中の都市を攻撃しています。

ダビデは都の中で暴力や破壊的な悪に力に面していました(9b、11a)。

ダビデは敵と面していました。敵は罵りの叫びと怒りをもってダビデに向かいました(3)。ダビデは「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。(6-8)」と恐れおののきました。

敵に面するとき、人は逃げ出したくなるものです。対立することを敬遠するのです。しかし、悪には立ち向かわなくてはなりません。逃げることなく、圧倒されずにです。むしろ、出来る限りのことをしなさい。あなたは状況を変えることができます。聖パウロが「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:21)」と語っている通りです。

ダビデは悪の力による暴力や怒りに対して神に介入して頂くことで応じました(9)。ダビデは「主よ。どうか、彼らのことばを混乱させ、分裂させてください。私はこの町の中に暴虐と争いを見ています。(詩篇55:9)」破壊的な力(11)に対して祈りは応答の大切な部分です。

祈りと行動はどちらも大事です。直接助けることが出来ない時、あなたはいつも祈るべきです。神はあなたの祈りに応えてくださいます。

祈り:「神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。(1)」悪に打ち負かされることなく、善をもって悪に打ち勝つことができますように。


愛をもって人に向かう

ヨハネ3:1-21

自分よりも地位の低い人に対して面と向かうことは比較的容易であり、時には卑怯になることもあります。肩書きや役職で自分に勝る相手に接することは、勇気を必要とするものです。

イエスは人に向かいあうことの達人です。イエスは決して対立から逃げませんでした。一方で、イエスは愛という動機以外で行動を起こすことは決してありませんでした。

ニコデモは非常に力を持っていた人物です。道徳的にも優れた実直なパリサイ人であり、当時の議会の議員でもありました(1)。イエスはニコデモの肩書きにひるむことはありませんでした。そして愛をもって「新しく生まれる(3)」必要を説きました。それは過去の傷、習慣、古い方法を後ろに置き去って新しく始めることです。

ニコデモは、「水と御霊(5)」によって新しく生まれる必要がありました。外面的な洗いは聖霊の内住を伴うものであらねばなりません。

私たちは今は神をこの目で見ることは出来ません。しかし、神の証拠を見るのです。風のように、それそのものを私たちは見ることはできませんが、木や木の葉が揺れるようにその働きを見ることはできるのです。「見えない動きが見える(5,MSG訳)」のです。

同じように、イエスは、あなたは聖霊を見ることはできませんが、人々の人生にもたらされる衝撃を見ることができると言われたのです。「内に形を創り出すその方は、あなたが見たり触れたりできないもの、すなわち「聖霊」によって形作るのです。そして、それは生きた霊となるのです(6,MSG訳)」

イエスはニコデモに彼の信仰を愛を持って試みました。荒野の蛇のイメージ(民数記21章)を用いて、イエスはご自身が十字架に上げられ「信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つ(15)」ることを預言的に示しました。

「信じる」とは「信頼する」ことを意味します。私たちが誰かと人間関係を持つ時はいつでもリスクが伴います。すべての人間関係には信頼が求められます。信頼は躍動的な関係を成長させ永らえさせます。

イエスは神の愛について教えました。16節での「愛」はギリシャ語では「アガペー」が用いられています。この言葉はヨハネの福音書だけで44回現れます。この節はヨハネの福音書の、そして実に新約聖書全体の要約であるといえます。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(16)」

神はおられます。そしてこのお方の愛はすべての人類を区別したり除外することなく抱き留めるのに十分な広さがあります。それは漠然とした感傷的な愛ではありません。神の愛は測り知れない激しさをもって、あなたや私のためにひとり子を犠牲にすることをご自身の御旨として表された愛です。

この世は混乱してしまって、人々は度々こう尋ねるのです。「なぜ神は何もしてくれないのか?」その答えは神ご自身がお持ちです。神は、子なる神イエスが人となって来られ、あなたのために十字架の上で死に、よみがえってくださったのです。イエスは苦難を知っていました。イエスは私たちのために苦難を負われました。そして、イエスは私たちと共に苦難に遭っておられるのです。

多くの人々は死後の命を信じることをやめてしまいます。しかし、イエスは私たちが「永遠の命そして(実際的に)永遠に生きる」であろうことを約束してくださいました。この命には、終わりがありません。墓の向こう側に希望があります。イエスはあなたに永遠の命を提供してくださるのです。

面と向かい合うこと(confrontation)と非難すること(condemnation)とは大きな違いがあります。イエスは人々に面と向かいました。しかし、人々を非難しませんでした。イエスはあなたを非難しようとはなさいませんでした。あなたを非難から救おうとされたのです(17-18)。イエスのように、あなたと私はメッセージを取り運ぶ必要があります。非難ではなく、良き救いの知らせをです。救うという意味は人々を危険から引き揚げること、解放すること、囚われ人の戸を開き、癒し、その人を完全にすることです。

次に、イエスはいかに光が闇に対して物事を明らかにするかについて語りました(19-21)。イエスは、ある人たちがご自身を拒んだ理由を「その行いが悪かった(19)」と示唆しておられるようです。私たちが光のもとに来たくないのは、私たちが間違ってしている事柄をやめたくないからです。

私たちは人々に自分の影の部分を見られたくはないのです。私たちは自分の現れている良い事柄の背後にすべての闇を隠すのです。罪は光を憎みます。私たちが罪を犯す時、私たちはイエスの光を避けたいと思うのです。私たちは自分の悪い行いが人目にさらされたくはないのです。しかし、イエスは闇に立ち向かうために来られました。私たちは心配したり、恥じたりするかもしれません。私たちには非常に困難なことかもしれません。しかし、私たちは、自分の生活において闇に立ち向かわなければなりません。そして、あなたをありのままに愛してくださるキリストの光の内に生きるのです。

マーチン・ルーサー・キング牧師は言いました。「闇は闇を追い出すことはできません。ただ光だけがそう出来るのです。憎しみは憎しみを追い出すことができません。ただ愛だけがそう出来るのです。」

祈り:主よ。イエスというお手本のゆえに感謝します。光のうちに生きることができますように。そして、愛をもって真理を語る勇気を与えてください。


反対者に知恵深く向き合う

ヨシュア21:20-22:34

人間関係における対立は、お互いのことに「ついて」話し合うのではなく、互いに話し合うことで衝突を避けることが出来るのです。

全くの誤解によってルベン族、ガド族、およびマナセの半部族を、残りの部族は見て、彼らは間違ったことをしており、神に従っていないと思われました(22:12)。

しかし、一触即発の状態にも関わらず、彼らは言葉を交えて互いに賢く対面しました。彼らが交渉すると、彼らが恐れていたことは根も葉もないことであることが明らかになりました。

彼らは無視することよりも干渉することを正しく願いました。なぜなら、体の一部は体全体に影響を及ぼすからです。彼らは単に「彼らがやりたいようにすればいい。」などと言えなかったのです。

二部族と半部族が面と向かって自分たちの説明をした時、彼らが立てた祭壇が異教の神々のためではなく、子孫に信仰を継承するためのものであったと誤解が解けました(24)。

説明することは大切です。一緒に集い話し合いことはとても効果的です(32-33)。「そこで、イスラエル人は、これに満足した。それでイスラエル人は、神をほめたたえ、ルベン族とガド族の住んでいる地に攻め上って、これを滅ぼそうとは、もはや言わなかった。(33)」

他のクリスチャンや他の教会について早まった敵対的な結論に一足飛びに向かわないように気をつけましょう。彼らに悪口を言うのはやめましょう。もし必要なら、一緒に集まる機会を作り、面と向かって説明を聞きましょう。もし、私たち皆がこうするなら、不必要な分裂や反感を避けることができます。

この場合、彼らが説明を聞いたとき、疑い深いあるいは皮肉っぽい反応であっても、彼らはそれを受け入れ、「神をほめたたえ(33)」ました。あなたが人々について間違いを犯す時、あなたの間違いを赦すことに寛大でありましょう。彼らの間違いを赦すなら、あなたは「大物」です。

祈り:面と向かって説明を聞くような重要な会合の時知るための知恵を与えてください。不必要な分裂や不一致を生み出すことを避けることができますように。愛をもって向き合える手腕を、学ばせてください。アーメン。

H.K

References

James Washington (Ed), A Testament of Hope: The Essential Writings and Speeches of Martin Luther King, Jr., (Harper One, 2003).