Tokyo Chapel

2019年10月20日

第293日

困難な時

スミス・ウィグルワースは1859年6月8日にヨークシャーの貧しい家庭に生まれました。小さな子どもの頃、彼は自分の母に寄り添ってカブの収穫を手伝いました。彼は23歳になるまで、文字の読み書きができませんでした。彼はポリーと結婚し、彼女が彼に読み方を教えました。彼はしばしば自分が今まで読んだことがある唯一の本が聖書だと言いました。

彼の職業は配管工でした。しかし、説教と癒しの驚くべきミニストリーのためにあまりにも忙しくなり仕事を辞めました。数多くの人々が彼のミニストリーを通して死からよみがえりました。しかし、彼はある時こう言いました。それは10,000人癒されるよりも自分の説教で一人の人が救われるのを見る方がいい。

スミス・ウィグルワースにとって人生は常に容易であったわけではありません。彼はあるとても困難な時を通りました。彼はこう書いています。「偉大な信仰は偉大な闘いを通して生み出される。偉大な証しは偉大な試練の結果である。偉大な大勝利は偉大な試みからのみ与えられるのだ。」

聖書はとても現実的です。私たちは堕落した世界に生きています。すべての人々が困難を通ります。そして、ある人々は人生を困難にする状況の中にいつも自分が置かれていることに気づきます。


神の訓練学校として困難な時を見る

詩篇119:65-72

苦難はそれそのものは決して良いものではありません。しかし、神はそれを良いものとして用いることができます(ローマ8:28)。時に、神は私たちの苦難を、私たちを訓練するために用います。丁度、農夫がぶどうを刈り込むようなものであり(ヨハネ15:2)、親が子供をしつけるようなものであり(ヘブル12:10)、精錬工が銀や金を火で鍛えるようなものです(1ペテロ1:6-7)。

詩篇の作者は書きます。「良い常識の内に私を訓練してください。…私があなたに答えることを学ぶ前に、私は取り散らかしてさまよっていました。しかし、今、私はあなたの言葉と共に歩んでいます。…あなたの善をもって私を訓練してください。(詩篇119:66-68,MSG訳)」彼が困難の中を通っているという事実によって彼は神の善を疑うことをしませんでした。むしろ、彼は神の訓練学校としてそれを見たのです。

公正ではない批判を受けることは辛いことです。詩篇の作者は「不信心が私の前に拡がっている。しかし、私はあなたがおっしゃることに私の注意を集中します。(69,MSG訳)」攻撃は「彼らの心」が「脂肪のように鈍感」な人々から来るかもしれません。しかし、その真っただ中で、あなたはまた、「みおしえ(神のことば,NIV訳)を喜んで」いることができるのです(70)。

彼は、神が本当に自分の問題、苦悩、苦難を用いるのを見ることが出来ています。「私の問題はすべて最高に変わってしまった。それらはあなたの教科書から学ぶように私を向けさせました。あなたの口から出る真理は金鉱の富を掘り当てるよりももっと意味あることです。(71-72,MSG訳)」

祈り:主よ。「よい分別…を私に教えてください。(66)」私が自分の人生を振り返る時、あなたが困難な時を用いてくださった方法をしばしば見出すことができることを感謝します。あなたの口のことばは幾千の金銀にまさるものであることを感謝します。


困難な時を通っている人々を世話する

1テモテ5:1-6:2

聖書はとても実践的な本です。困難な時を通っている会衆のお世話をどのようにすればよいかということにおいて、パウロはテモテに敏感さと実践的な指導を与えています。

  1. 高齢者と若者の世話をする
    私たちが自分より年長の人々を、自分の親に示すような尊敬を持って接することと、自分より年下の人々を、自分の弟や妹のように接するようにとパウロは言います(1-2)。多くの男性はこの節を自分のコンピューターのスクリーンセーバーとすべきだと、誰かがかつて意見を述べました。「若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。(2)」
  2. 困窮している人々を世話する
    たとえば、教会は、支える家族が誰もいない寡婦を養うべきです。「やもめの中でもほんとうの(現実に必要のある,NIV訳)やもめを敬いなさい。(3)」支える家族がいるのなら、可能な限り彼らに支えさせるべきです。(4)
  3. 親族の世話をする
    パウロは今日においても未だに大いに当てはまる事柄を指し示します。私たちは自分の伴侶や子どもたちの世話をする義務だけではなく、私たちはの「親族」、両親、祖父母をもまた養うべきです(7-8)。
  4. 指導者の世話をする
    教会はまた「よく指導の任に当たっている(17)」指導者を養うべきです。「働き手が報酬を受けることは当然である(18)」彼らの責任の立場は、私たちは簡単に彼らに反対して不平を心に抱くべきではないということを意味します。「長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。(19)」しかし、それと同時に、罪のもたらす結果は、彼らのリーダーシップの立場以上に大きなものです(20)。パウロは「あなた自身に監視の目を光らせなさい。(21,MSG訳)」と警告します。
  5. 自分自身の世話をする
    テモテ自身は明らかに胃の問題と「たびたび起こる病気(23)」の問題を抱えていました。パウロは彼の病気のことで彼を非難しては居ません。むしろ、パウロは幾つかの実践的な助言を与えています。それは現代人の耳に奇妙に聞こえるかもしれません。「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。(23)
  6. 職場で世話をする
    この手紙は、クリスチャンが、奴隷制度に反対して闘うことを指導する立場にない時代に書かれたものです。彼らは、ローマ帝国の中でとても弱く、そこでは国民のかなりの割合が奴隷でした。パウロは奴隷制度を是認してはいません。むしろ、彼は、理想から程遠い環境の中で私たちがどのように生きればよいのかという実践的な助言を与えたいと願っています。あなたを取り囲む環境がどのようなもので、あなたが生きることが困難であったとしても、あなたの関心は「神の御名と教えとがそしられないため(6:1)」であるべきです。

祈り:主よ。困難の中を通っている人々を教会がお世話することができるように助けてください。私たちが、困窮している人々、病人、圧迫されている人を、イエスの足跡に従ってお世話するコミュニティーの一部であることができますように。


困難な時に神の誠実さに留まる

エレミヤ43:1-45:5

マザー・テレサは言いました。「私はうまくいくように祈っていません。私は忠実さを願い求めているのです。」

エレミヤは、彼の働きのここまでの時点で、多分六十代半ばだったでしょう。彼はすでに47年間預言者として過ごしました。それまでの間、彼はエルサレムが廃墟と化しているのを見ました。彼は忠実に神の言葉を告げました。しかし、彼のメッセージは、彼が遣わされた人々にことごとく無視され、拒まれました。彼はまた、彼らの反対と不従順のために大きな苦難の取り扱いを受けました。このすべてはエレミヤにとって非常に失望と落胆を与えるものであったはずです。

結局のところ、そのことが起こり、彼が始めから預言してきたことが成就してもなお、人々は神に聞くことを拒みました。エレミヤは彼らに「主が、このすべてのことばをもって彼を遣わされた(43:1)」ことを告げました。エレミヤは真理を語ったのです。しかし、彼は、傲慢な民が彼に「あなたは偽りを語っている。(2)」という非常に傷つく中傷を受けなければなりませんでした。

エレミヤの警告にもかかわらず、彼らは「主の御声に聞き従わなかった(4)」のです。彼らは「主の御声に聞き従わ」ずに、「エジプトの国に行った(7)」のです。主が「たびたび(44:4)」彼らに警告したのですが、「彼らは聞かず、耳も傾けず(5)」エレミヤに言いました。「あなたが主の御名によって私たちに語ったことばに、私たちは従うわけにはいかない。(16)」エレミヤのメッセージは、聞く者たちに断固として反対されました。

エレミヤの働きは失敗したかのように見えて当然でした。再三の失意落胆がありました。それであっても、エレミヤは神が彼に与えた務めに忠実であり続け、神の言葉を民に忠実に届け続けたのです。

45章で、私たちは他の人々が失望し落胆することに遭遇します。エレミヤの助手のバラクです。バラクは高貴な生まれでしたが、エレミヤの筆記者として務めなければなりませんでした。彼の役割はエレミヤの預言を記録することでした。彼は自分の努力が実を結ばないことに絶望しました。彼は「ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない。(45:3)」と言いました。

しかし、主は「あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。(5)」と言いました。

自己中心になること、そして自分自身のために大きなことを求めることはいつも誘惑です。お金、成功、地位、名声、評判、尊敬されることなどどれもです。しかし、私たちはそれらのものを自分自身のために追い求めてはなりません。最後の日には、私たちの人生が失敗したように見え、失望の内に終わったかどうかは問題ではありません。大切なことは主に忠実であったかどうかです。神は彼らの忠実さに従って報いを与えるのであって、彼らの外見的な成功に従ってではありません(マタイ25:14-30)。

あなたが神に忠実である時、あなたは神に自分の人生を通して働くことを、そして神の計画を成し遂げることを許すのです。エレミヤとバラクは失敗したように感じたに違いありません。しかし、歴史の中で彼らよりも大きなインパクトを与えた者は実に僅かでしょう。彼らが記録した預言は、鍵となるこの世界への神の啓示の一部であり、旧約聖書の中でもイエスについての重要な預言の多くを含んでいるのです。そして、彼らが死んだ後、2,500年間以上にわたって何十億もの読者に訴えかけることが出来た著作家は果たしてどれほどいるのでしょうか?

祈り:主よ。苦悩、中傷、問題など、困難な時にかかわらず、あなたに従う忠実な者であらせてください。自分自身の為に大きなことを求めるのではなく、あなたの御名の栄光を見ることを追い求めることができますように。アーメン。

H.K

References

The writings of Mother Teresa of Calcutta © by the Mother Teresa Center, exclusive licensee throughout the world of the Missionaries of Charity for the works of Mother Teresa. Used with permission.