Tokyo Chapel

2019年12月26日

第360日

お金を取り扱う方法

クリスマスの翌日、私たちの多くはポケットが寂しくなったように感じます。しかし、この問題はクリスマス時期だけではありません。私たちのほとんでは毎日の生活でいろいろとお金を取り扱わなければなりません。しかし、私たちの多くはその話題を教会で話すことを好みません。しかしながら、イエスはお金について沢山話しました。聖書はお金について多くを語ります。私たちにとって重要なことは神にとって重要です。あなたはお金をどう取り扱うべきなのでしょうか?


お金よりも関係を優先する

箴言31:10-20

関係はお金よりも大事です。例えば、世界中のお金をかき集めてみても不幸せな結婚生活の代償にはなりません。他方、幸せな結婚生活を送っている人であればだれでも、「『収益』に欠けることがない(11)」のです。「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は『収益』に欠けることがない。(10-11)」

箴言の作者は「妻の高貴な特徴」の徳を激賞する時、彼は彼女の生活の中での数ある領域の中でも直接的、間接的に財務に関わることから始めています。彼女はお金にたいする正しい態度を持つ者の大いなる模範です。ジョン・ウェスレーが「あなたは可能な限り稼ぎなさい。あなたは可能な限り蓄えなさい。あなたは可能な限り与えなさい。」と言った通りです。

  1. 「あなたは可能な限り稼ぎなさい
    彼女は勤勉に働き、生活のために稼ぐことを喜びます。「彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え(12-15a)」ます。彼女は良き管財人です。彼女は自分のお金を賢く開発します。彼女は利益が出るように取引します(16-18a)。
  2. 「あなたは可能な限り蓄えなさい
    彼女は自分の働きや人生の良きものを楽しみます(13)。彼女は自分が儲けたものを蓄えます。彼女はお金を取り置きました(16,MSG訳)
  3. 「あなたは可能な限り与えなさい
    彼女は寛大です。「彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。(20)」気前よく与えることは神の寛大さに対して、また他者の必要に対してふさわしい応答です。それは物質主義を砕く方法です。

祈り:主よ。私に委ねられたすべてのものを良く管理することが出来ますように。いつも寛大でありますように、特に貧しい者や困窮する者に対して気前よくありますように。


あなたの信頼をお金に置かない

黙示録18:1-17a

聖書の中で、お金を稼ぎ、それを貯めて、人生の良いことを楽しむことを禁止する法はありません。警告していることは、自分勝手な蓄財、不健康なお金にたいする執着、そして富に信頼を置くことです。これは永続する不安を煽り、あなたを神から引き離してしまいます。

お金は中立で、人格をもたない、交換のための道具とは言えません。イエスは神と「富(mammon)」の両方に使えることはできませんと言いました(マタイ6:24)。マモンとはカルタゴの繁栄の神でした。お金はどの時代でも神に成り代わるものです。お金は安全、自由、力、影響、地位、威信を供するもののように思えます。それは、身を捧げ、没頭するほど心を傾け頑張ればできると心を奮い立たせるものでしょう。しかし、デートリッヒ・ボンヘッファーの言葉を借りれば「私たちの心には、全てを包括してささげることが出来る場はただ一つしかありません。そして、それを私たちは『唯一の主』として突き進むのです。」

この箇所で、ヨハネは、彼の読者にとって想像も及ばないような出来事を幻として与えられました。それは「大バビロン(黙示18:2)の崩壊です。その当時の時代背景を考えれば、これはおよそ320年後に起こること、すなわちAD 410年のローマ帝国の転覆についての預言です。

ヨハネが黙示録を書いた当時は、ローマ帝国は不滅のように思われました。当時は権力の絶頂を誇っていたのです。そして、平和と安定に浴していました、しかし、ヨハネはその都市の特性は破綻の種であると見たのです。

「バビロン」はここではまた、神から離れて自らを置こうとするあらゆる権力を代表しています。ヨハネは社会の破綻の背後に横たわっている致命的な弱さの連続に光を当てます。

  1. 悪の蔓延
    「悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、…となった。(2)」
  2. 性的不道徳の拡散
    「すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行い(3a)」
  3. 過度な贅沢
    「地上の商人たちは、彼女の極度の好色によってを得たからである。(3b,7および9参照)」それは多分、傲慢へと導く彼女の大いなる富でしょう。
  4. 人身売買
    「そして、奴隷 ― 彼らの恐ろしい売買の品は人間の命である。(13,MSG訳)」ヨハネは奴隷は単にモノのように売り買いされる屠殺された肉と同じではなく、人間であることを指摘しています。売買されるモノのリストの最後に持ってくることによってこれを強調しています(11-13)。これは奴隷売買へのコメント以上のものがあります。それは商品のリスト全体に対するコメントです。それは、ローマ帝国の富と贅沢のすべてにある、人間生活を軽視する、非人道的な残虐行為を示唆しています。今日、奴隷は再び興っており(世界には今日、三千万人の奴隷がいると見積もられています。)そして、人身売買は、私たちの社会に何か深刻な間違いがあることを指し示しています。

富も栄華も贅沢も過ぎ去っていきます。それらは来て去るものです。ヨハネは神の民がバビロンの罪に染まらないようにと警告するのです。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。(4)」古代ローマの栄光は遠い昔に過ぎ去ったことですが、このチャレンジとメッセージは、彼らがそうであったように現代の私たちにも当てはまるものです。

祈り:主よ。私の心を、富に関することにしばしば向かわせる傲慢とすべての悪からお守りください。教会として私たちが人身売買や現代的な奴隷制に真っ向から闘うことが出来るように助けてください。大帝国が興っては滅んでいったのに対して、主のみことばは永遠に立つことを感謝します。


お金を取り扱う手本

ネヘミヤ5:1-7:3

ネヘミヤは卓越した手腕をもって金銭を取り扱ったリーダーでした。遅かれ早かれ、私たちのほとんどは、個人的な生活や私たちの教会において財務的な困難と資源の欠乏の時を通ることになるでしょう。そのような状況下であなたは何をすればいいのでしょうか?

ネヘミヤはそのような状況に直面しました。ある人々が生き続けるための十分な食料がありませんでした(5:2)。他の人々は畑や家を抵当に入れなけばなりませんでした(3).さらに他の人々は税を支払うためにお金を借りなければなりませんでした(4)。ネヘミヤの例から私たちは何を学ぶことが出来るでしょうか?

第一に、彼はそれをとても注意深く考えました。「私は十分考えたうえで、…(7a)」財務的な危機に面した時、軽率な解決に走ることは賢明とは言えません。それには注意深い考えが必要です。

第二に、彼は「大集会(7b)」を招集しました。ある集会は時間の無駄であり、何も建設的な事柄を生み出しません。しかしながら、ある集会は重要であり必要です。ネヘミヤはこれら二種類の集会には違いがあることを知っているという知恵がありました。彼は「害を加えようとたくらんでいた(6:2)」自分の敵対者との集会を、5回も要請してきたにもかかわらず、拒否しました。

しかしながら、ここでネヘミヤは集会を招集します。彼は人々がしている正しくないことを彼らに告げます。彼らは利子をかけるべきではありませんでした。「私たちはその負債を帳消しにしよう。(5:10)」彼は「畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家、それにまた、あなたがたが彼らに貸していた金や、穀物、新しいぶどう酒、油などの利子を彼らに返してやりなさい。」と命じたのです。

その集会は成功しました。「『私たちは返します。彼らから何も要求しません。私たちはあなたの言われるとおりにします』と言った。(12)」人々は約束したとおりにしました(13)。

第三に、最も大切なことですが、彼は自分自身の生活で手本を見せました

  1. 個人的な実直さ
    神に対する畏敬の念から、ネヘミヤは以前の為政者のように民衆に重い税を担わせる施策を取らず、仕える若い者たちが民衆に対して威張ることを許しませんでした(15)。
  2. 慎み深い生き方
    「私も私の親類も、総督としての手当を受けなかった。(14)」
  3. 個人の利得を求めない
    「また、私はこの城壁の工事に専念し、私たちは農地を買わなかった。…私は、この民に重い労役がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった。(16,18)」
  4. 他者に対する気前良さ
    「ユダヤ人の代表者たち百五十人と、私たちの回りの国々から来る者が、私の食卓についていた。…あらゆる種類のぶどう酒をたくさん用意した。(17-18)」
  5. 一意専心
    「私はこの城壁の工事に専念し(16a)」彼は、彼を脅かそうとする反対者たちの脅しにひるむことを拒みました。その代わりに、彼は「ああ、今、私を力づけてください。(6:9)」と祈りました。

ネヘミヤは彼が始めた事業をやり遂げました(15)。多くの人々はそれがどのように始まったのかを知っています。しかし、しばしば、ピッパの父がよく言っていた「やり通す」ということに欠けるのです。ネヘミヤは粘り強く、自分が始めたことを成し遂げたのです。

事業の成功は批判者に対する完全な答えとなりました。「こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。私たちの敵がみな、これを聞いたとき、私たちの回りの諸国民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が、私たちの神によってなされたことを知ったからである。(15-16)」

祈り:主よ。私にどのようにお金を取り扱えばよいかという知恵をお与えください。私自身の個人生活において良き模範となることができますように。実直に生き、個人の利得に没頭せず、謙虚な生活スタイルで勤勉に他者に対しておおらかでありますように。アーメン。

H.K

References

Dietrich Bonhoeffer, The Cost of Discipleship, (SMG, 1959; Pocket Books: 1st Touchstone Ed, 1995) p.176