2019年5月14日
第134日
神と共にあれば可能です
私がイエスと初めて出会ったのは彼が18歳の時でした。その頃に、一人のクリスチャンリーダーとの短い会話がとても印象に残りました。
私は、神無しの生活と神と共にある生活の違いを経験することが出来たので、もっと早くからクリスチャンにならなくてどれほど良かったことだろうと話しました。すると、そのクリスチャンリーダーは、その考え方の間違いを指摘し、より早くから神との生活を経験した方がもっとよいということを示唆しました。
私は今、自分の人生を今振り返って、彼の言葉が知恵深いものだと分かります。自分の子どもたちが彼らの人生を振り返って「人生の歩みの中で『神無しの生活』という時はなかった」ということができることはとても幸いなことだと思います。
何年にもわたって、私はアルファでイエスと出会った何百人もの人々にインタビューしてきました。彼らは神無しの生活と神と共にある生活の違いを対照的に表します。大いなる喜びと解放、そして、しばしば、彼らがもっと早くから神と共に歩めばよかったと後悔します。
あなたは神との関係に生きるように創造されたのです。それなしに生きることは考えられないことなのです。神と共に生きることは、神のために何かをすること以上に大切なことです。神と共にあって、すべては可能になるのです。
勝利を得る
詩篇60:5-12
神の助けは人の助けの比ではありません。「神によって」ダビデは言います。「私たちは勝利を得るでしょう。(12,NIV訳)」ダビデは目に見える戦闘について語っていますが、パウロは私たちの闘いの中心は目に見える領域ではないと記しています。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12)」
ダビデは祈りました。「あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。…どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。(詩篇60:5,11-12a)」
祈り:主よ。あなたと共にあって、私は確信を得ることができますことを感謝します。どのような闘いに面しても、今日、私はあなたに信頼します。
神を喜ばせる
ヨハネ8:12-30
あなたは神を喜ばせることができると思いますか?イエスは言いました。「わたしがいつも、そのみこころにかなうこと(神を喜ばせること,NIV訳)を行うからです。(29)」神を喜ばせること…それがあなたの人生の目的です。
イエスは神と共に歩む人生のモデルを私たちに見せてくれます。イエスは「わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。(16)」また「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。(29a)」と言われました。これらの節を通じて、私たちはイエスの父なる神との関係について見出すものがあります。
イエスは「わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っている(14)」と言われました。多くの人がどこから来てどこに行くのか知らずに悩んでいます。彼らは、自分たちの人生に目的と方向性を見出せず葛藤するのです。神との親しい関係の中で、あなたはどこから来たのか、そして最終的にどこに向かっているのかを知ることができます。
イエスの父なる神との関係はまた、イエスにとって、日々の目的と方向の源でもありました。イエスは言いました。「わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話している…(28)」また「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。(29a)」
これは私たちのためのモデルです。神はイエスと共におられました。イエスは自分が独りぼっちではないことを知っていました。それは、単に神無しに為したということだけではありません。すべての瞬間においてイエスは神を喜ばせることを願ったのです。「わたしがいつも、神を喜ばせることを行うからです。(29b,NIV訳)」これこそが、あれほどの力と効力をもって与えた命なのです。「イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。(30)」
イエスは神とともにおられただけではなく、彼は神であったのです。
今日の箇所で「I am he(私が彼です)」という言い回しが2回出てきます(8:24、28)。それは「わたしはある(出3:14-16)」とモーセに語られた言葉をギリシャ語に翻訳したのと同じです。神はモーセに「わたしはあってある者(I AM WHO I AM)」とご自身を顕しました。この名は神のアイデンティティーと神とご自身の民との親密性の両方を表現しています。
イエスはその名をご自身に用いました。私たちは存在を「所有」してはいません。私たちは生まれ、やがて死んでいきます。私たちは存在を「受け取った」のです。イエスは存在そのものなのです。イエスは人々に、ご自身によってもう一度神が彼らのそばに来られることを告げたのです。イエスはインマヌエル、神ともにいますお方です。
あなたが十字架を見上げる時、イエスが語られたように、あなたは主のアイデンティティーの最も明確な証拠を得ることになるのです。イエスは言われました。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、…を、知るようになります。(8:28)」
イエスはご自身の完全なアイデンティティを持っていました。イエスの確信とアイデンティティーの鍵は父なる神との関係にあります。それはあなたにも同じことが言えます。祈りを通して、礼拝を通して、あるいは、みことばを読むことを通して、父なる神との時間を費やすとき、神のうちにあるあなたのアイデンティティーと確信は感覚的にも成長していくでしょう。あなたはどこから来て、どこに向かっているのかを知ることができるのです。
人があなたのことをどう言おうとも、あなたは顔を上げて、まっすぐに確信をもって歩くことができるのです。あなたのアイデンティティーはキリストにあります。それはあなたについてイエスが語ったことに基づくものです。そしてイエスの臨在はあなたとともにあるのです。
祈り:父よ。あなたが私とともにいてくださることを感謝します。あなたは私を去って独りぼっちにはなさいません。イエスのように、いつもあなたを喜ばせることをすることができますように。いつもあなたが私に教えてくださることだけを語ることが出来ますように。
神の光を輝かす
士師記18:1-19:30
無実の人々を斬首したり十字架に架けたたり、ISISの非道な行為にはショックを受けます。広くは、児童虐待や現代においても人身売買が行われているという恐ろしい現実に、私たちはこの世界の闇を見ます。しかし、私たちに希望が無くなったわけではありません。神とともにある光は闇を締め出すことができるのです。
士師記の時代はイスラエルの歴史の中で暗黒の時代とも言えます。彼らの王なる神の直接的な支配と統治のもとで、人々は神との親しい関係に歩むように召されていました。このように生きている間は、彼らには人間の王は必要ありませんでした。
しかしながら、彼らは今、最悪のシナリオに沿って生きていたのです。彼らはもはや神の統治ではなく、さらには、良識ある王の統治でさえない、混沌としたいわば無政府状態に陥っていたのです。
「そのころ、イスラエルには王がなかった。(18:1、19:1)」18章には、彼らが偶像礼拝に陥っていた様子が描かれています。私たちはもはや神の戒めのかけらもない状態がどのようなものかを読むことになります。女性が乱暴された挙句切り刻まれるという凄惨なありさまは「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない。(19:30)」というほどでした。神なき生活の闇が描かれているのです。
このような残虐行為は、今日まで歴史の中で繰り返されてきました。残虐非道な行為は社会が神や法を拒んだときに起こります。そして、混沌へと向かうのです。
ルワンダで国連平和維持軍の司令官であったロメオ・ダレールは大量虐殺を目の当たりにし、どのようにして神を信じ続けているのかと問われた時、こう答えました。「私は神がいることを知っています。なぜなら、私はルワンダで悪魔と握手し、悪魔を見、悪魔のにおいを嗅ぎ、悪魔に触れたからです。私は悪魔が存在することを知っています。そして、それゆえ、私は神がいることを知っているのです。」
聖書で用いられる「闇」という言葉は単に夜のような「暗さ」を指すだけでなく、いのちの光に向かって正しい方向に向かって歩むことから逸らせて間違った方向に歩ませ、誘惑する悪魔の力を意味します。…イエスは闇を打ち破った光です(ヨハネ8:12)。
イエスを信じ立ち返った時、あなたは神のいない闇から神とともにあるいのちの光へと移し出されたのです。神は、闇、対立、死の外へと私たちを移し、いのちと愛の光の中へと入れてくださいました。神はあなたの人生に意味と方向を与えてくださいました。それだけでなく、あなたが神とともに生きる時、神が喜ばれることを求め、他のクリスチャンたちとともに一つとなって「いのちの光」を闇の中に輝かせることが出来るのです。
あなたは実際、あなたの周りの世界に変化を与えていくことが出来るのです。キリストにあって、あなたの人生は、あなたの周りにある霊的な闇の中で輝きわたるのです。マーチン・ルーサー・キングが言った通りです。「闇は闇を追い出すことはできない。ただ光だけができるのだ。憎しみは憎しみを追い出せない。ただ愛だけができるのだ。」
祈り:主よ。私たちの社会に、闇から光をもたらす者とならせてください。個人においても、教会としても、あなたを喜ばせるため、いのちの光を輝かせるため、あなたと共に生きることができますように。今日、私の周りに愛と喜びをもたらしてください。アーメン。
H.K
References
Martin Luther King Jr, Strength to Love, (Fortress Press, 2010 gift edition), p.47
Romeo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda, (Random House 2003), Preface xviii 日本語訳『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』 金田耕一訳、風行社、2012年。