Tokyo Chapel

2019年3月16日

第75日

神があなたに備えているもの

サム(23歳)は過激な無神論者でした。彼は信仰や宗教に対して燃え盛るような反対の教えを信奉していました。ある晩、彼の家から通い易い所でアルファが開催されることをインターネットで発見しました。彼は「ここにいる分からず屋のクリスチャンたちをこきおろしてやろう」と思ってその教会にやってきました。

しかし、彼が出会ったイエス・キリストの教えと人格は彼が考えていたものとは違っていたのです。

コースの最終日にアンケートを取るのですが、彼はこのように書いています。「私は抑えきれない気持でイエスに引き寄せられたことに気づきました。今まで信仰を持たない人と一緒にいましたが、今は大きな希望を持っている人と一緒にいます。真理のない人生から、真理の内に生きる人生に変えられました。私にとって、完全な自由への境界線を超えたのです。」

3ヶ月後、彼は洗礼を受けました。彼は言いました。「私は以前の生活から自由になりました。私は多くのことの奴隷でした。社会の奴隷、仲間の奴隷でした。…しかし、、私は自由な人生を生きています。私は神が私のために用意して下さったものを見ることに興奮しています。」救いとは自由を意味します。サムはイエス・キリストがどれほど自由にしてくださったかを体験したのです。


自由な人生を生きる

詩篇34:11-22

あなたは、たとえば、経済や人間関係、健康や家族問題など難しい問題に直面したことがありませんか?この詩篇はこのような「悩みは多い(19)」という問題に直面している人に素晴らしい約束と指針を与えます。

私たちは神の子としての新しい自由を反映する人生を導くべきでしょう。使徒ペテロは、彼の手紙の一つに、私たちが導くべき類の人生の証拠としてこの詩篇を引用しています。

ペテロは義なる生活へのダビデの召しを、「あなたがたは…召されたのだからです(1ペテロ3:9)。」と説明をもって紹介しています。「いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。(詩篇34:12-16、1ペテロ3:10-12)」

「主は…救われる(詩篇34:18)」のです。あなたは自分で自分を救うことはできません。あなたを自由にしてくださるのは主です。

私たちの神は私たちを救い出します。神はあなたを見守ります。そして、主はあなたの祈りを待っておられます「その耳は彼らの叫びに傾けられ(15b)」、私たちが叫ぶ時、「主は聞いてくださる(17a)」のです。ニッキー・ガンベルは自分の聖書に「問題」を毎年、その都度書き込むことが好きです。何年か経って、神がどのように解放してくださったかを驚きをもって振り返ることができるからです。その時、ニッキーは喜びをもって再び叫ぶのでした。

神は、私たちの生活に問題が起こらないとは言いません(19a)。しかし、そのすべてからあなたを解放することを約束しているのです(19b)。神は特に耐えがたい時に近くにいてくださいます。「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。(18)」あなたが困難な時を過ぎる時、あなたが神が近くにいることを感じる必要はありません。しかし、「神はそこにいつもいるのです(19,MSG訳)」

「神は、それぞれの奴隷の自由のために支払われる(22a,MSG訳)」神は「主に身を避ける者(22b)」を非難することはないと約束しておられます。(ローマ8:1)。あなたはキリストを通して、神から義を受けたのです。ですから、あなたは「正しい者(詩篇37:17,19,21)」という範疇に入る者となることができるのです。

祈り:主よ。私があなたに叫びをあげる多くの時、あなたは聴き入れてくださり、私を自由にしてくださることを感謝します。今日、私の舌に悪口を言わせず、善を行い、平和を求めさせてください。人々との間に調和をもって生きることができますように。人の悪をもって悪に報いず、復讐することよりも祝福することができますように。それがキリストが私に与えた自由であり、自由な人生を生きることであることを感謝します。


あなたの自由の大きさを考える

ルカ1:57-80

この当時、神の民はローマ帝国の圧政に屈していました。彼らは暗闇と死に取り囲まれていると感じていました。苦痛と嘆きから自由にしてくれる解放者を待望していたのです。やって来て、物事を正しくれる誰かを彼らは待ち望んでいたのです。彼らは長きにわたり待ち続けていたのです。

ゼカリヤはバプテスマのヨハネの父でした。9か月にわたって、口が効けなくなってしまったのは、やがて終わりを告げる沈黙の長きにわたる待望状態を預言的に象徴しているともいえるでしょう。「彼の口が開け、舌は解け(64)」、「聖霊に満たされて、預言(67)」するようになったのです。

バプテスマのヨハネの誕生は大きな喜びであり、期待でした(57-66)。口が効けなかったザカリヤが「『その名はヨハネでなければならない』…と記したことを皆が驚きました。驚いた人々はさらに驚きました。ゼカリヤの口がその時、開き、彼は話し出し、神を賛美したのです。(63-64,MSG訳)」

ヨハネという名にさえ神の祝福が表わされています。その名には「主は寛大に与える」という意味があるのです。

バプテスマのヨハネは「主の御手が彼とともにあった(66)」と称されました。これは、あなた自身のため、あなたの家族のため、あなたのコミュニティーのために祈る時に、よき祈りです。「主の御手があなたとともにありますように。」

ゼカリヤは聖霊に満たされました。そして救いが来ることを預言しました。ゼカリヤは言いました。「彼は私たちの生活の真ん中に救いの力をもたらしました(69,MSG訳)」バプテスマのヨハネは「神の民に救いを、彼らの罪の赦しの申し出を表わす(77,MSG訳)」

ゼカリヤは神がご自身の民の救いをもたらすために来られたのが分かったのです。しかし、彼の預言は政治的な解放をはるかに超えたものでした。旧約聖書の大いなる約束を成就する、もっと深く、もっと広い何かが起こったのです。それは「贖い(68b)」、「敵の手から救い出し(74a)」、「罪の赦し(77b)」を含みます。救いとは「平和の道(79)」です。ここで記述された救いにおいて、ゼカリヤはイエスが私たちにもたらす多くの自由を集約しています。

  • 恐れからの自由(74b)
  • 神に仕える自由(74b)
  • 聖とされる自由(75)
  • 義なるものとなる自由(75)
  • 死からの自由(79b)

祈り:主よ。賛美します。あなたは私を奴隷状態から救い出し、あなたのあわれみを見せてくださいました。私の罪を赦してくださったことを感謝します。あなたは死と恐れから私を自由にしてくださいました。あなたは私を自由にし、あなたに仕える自由を与えてくださいました。今日、恐れから解放し、義と聖をもってあなたに仕えることがでえきますように。私の足を導き、平和の道に歩ませてください。あなたの御手が私の上にありますように。


自由は当たり前ではない

民数記4:1-5:10

あなたは、所属している地域教会にどのように仕えていますか?あなたは貢献する者ですか?それとも、ただの消費者ですか?神はあなたに役割と責任を与えておられます。

この旧約聖書の箇所で教会の予表と型を見ることができます。教会に連なる一人ひとりはそれぞれ異なる役割を持っています(エペソ4:7,11-13)。この箇所を読むと、ケハテ族、ゲルション族、メラリ族の三十歳以上、五十歳までの者たちは、それぞれ主に仕えたことが分かります(民数記4:3-4、24-25、31-32)。それは、今日、神があなたを教会の中であなたに則した働きに就かせてくださるのと同じようです。

イスラエル人にとって、主に仕えることは会見の天幕、つまり神が臨在される場所に集約されていました。そして今日、キリストのからだなる教会のうちに神の臨在があり、主に仕える民であるクリスチャンはキリストのからだを建て上げるために召されているのです。今日、神の臨在を体験する一つの方法は教会に連なることです。神の臨在は特定の場所ではなく、どこであろうと主に召された者たちの中で体験されるのです。
この箇所から神の聖さとあなたが楽しむことのできる神との関係が許されるためにどのような驚くべきことが要求されていたかという事実を考えるとき、神が与える自由は決して当然のものなのではないといえます。

神はモーセに、どのような種類の罪も実に神に対する不誠実な行いであることを思いに刻みました。「男でも女でも主に不信の罪を犯したならば(5:6)」、「犯した罪を告白しなければならず、罪過のために全額を弁償する」ことが求められました(6-8)。

私たちは決して自分の罪を自分で贖うことはできません。贖いは私たちのために供えられなければならないのです。イエスはそれを十字架の上でなされました。贖い(atonement)を単純に定義すると「一つにされること(at-one-ment)」と言えます。言い換えれば、神はあなたをイエスと一つとしてくださることが出来るのです。イエスによって罪の隔ては取り払われて、あなたも私も「私は奴隷だったけれど、今、私は自由です。」ということが出来るのです。

祈り:主よ。感謝します。自由な人生を生きることができるように私を解放してくださったことを。それが当たり前だと思わないようにしてください。与えられた自由をあなたに仕えるため、そして他者に仕えるために用いさせてください。あなたを喜ばせることができるように、私の責任を成就させてください。アーメン。

H.K