Tokyo Chapel

2019年3月20日

第79日

神はいつも良いお方

ピッパと私は世界中の刑務所に慰問に訪れますが、もっとも最悪な刑務所はザンビアのルサカ刑務所でした。刑務所は1950年に250人の容量で建てられました。今日、1,300人以上が収監されており、定員50人の部屋に150人以上がひしめいています。彼らは午後8時から午前8時まで部屋の中に閉じ込められます。彼らは同時に、横たわる余地がありません。彼らは交代しながら寝るのです。部屋は悪臭と熱気で耐えがたい状態になります。収監される時にAIDSや結核に罹っていなくとも、彼らはすぐに感染してしまいます。

中庭を囲むように獄舎が立てられており、私たちはそこで礼拝を持ちました。たぶん、そこしか場所はありませんでした。ほとんど全員が参加しました。礼拝は4年間未決囚として収監されている男性が導きました。彼はキリスト教会の牧師でしたが、軽犯罪で訴えられていました。(英国の法律ならば、わずかな罰金で済みそうなことでした。)彼は無実にもかかわらず、4年間も裁判が行われることもなく、いつ釈放されるかもわからない状態で月日を費やしていたのです。

彼が礼拝を導いたとき、最初に彼の口から発せられた言葉を私は忘れることができません。「神は良いお方です。すべての時において。」ここに、どんな環境に置かれていようとも、神が良いお方であることを完全に信じ切った男がいたのです。彼は耐えがたい苦難の真っただ中で神の良いお方であることを体験することを知っていたのです。その結果、この刑務所のおぞましい状況にもかかわらず、彼はイエスに倣い、「巡り歩いて良いわざ(使徒10:38)」を為すことに従ったのです。

ジョン・ウェスレー(1703~1791)は言いました。「あなたにできるよいことは、すべてやりなさい。あなたにできる全ての手段で。全ての方法で。全ての時間を使って。全ての人に対して。できるかぎりのことをやりなさい。


すべてにおいて神はあなたに善をなされる

詩篇35:19-28

正直でありましょう。すべての人が、良いわけではありません。ある人々は理由もなくあなたを嫌い、意地悪いことをするでしょう(19)。

この箇所を読み進むと。偽り者と敵とに囲まれていたダビデの困難と神の善の間にある対照が際立ちます。The Message訳では違う文脈で「良い(good)」を4回用いることによってこの対象を引き立てています。

  1. 「良くない」者たちに気をつける
    あなたの生活や、あなたが属するコミュニティーには、あなたが「ゴシップを料理する(20,MSG訳)」ような人たちによって攻撃にさらされるようなことが起こるでしょう。「彼らは平和を語らず、地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむ(20)」ダビデは言いました。「良くないこと(No good)はそのような輩(やから)たちからくるものだ。(20,MSG訳)」
  2. 「良い時」を過ごすことが必ずしも良くはない
    ダビデはこのような輩が「良い時(24,MSG訳)」と言っていることについて言います。彼らは「ダビデの支払いでパーティーをする(19,MSG訳)」のです。彼らは理由なくダビデを憎み「目くばせし、ほくそえんだ(19,MSG訳)」のです。彼らは「良い時」を過ごしたと思いました。しかし、実際は悪いことをしていたのです。
  3. 神は良いことのためにすべてを為す
    神は偉大です。「神はご自身のしもべのためにすべてのことを良いこととして働かせる(27,MSG訳)」神はあなたに為された良くなかったと思えることさえも善に変えてしまうことがおできなります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせてとしてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」
  4. 神が良いお方であることを世界に告げる。
    ダビデはこの詩篇を「私は世に告げましょう。あなたはどれほど偉大で良いお方ということを。私は一日中、毎日ハレルヤと叫びましょう。(詩篇35:28,MSG訳)」と締めくくります。彼は神が良いお方であることを賛美しました。

祈り:主よ。あなたのよきお方であることを覚え、私のために「良いこと」を蓄えてくださっていることを信頼します。


悔い改めと聖霊によって、よきものは来る

ルカ3:1-22

よき知らせは歴史の事実の上に堅く据えられています。それは空想のお話や神話ではありません。「皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、…であったころ、神のことばが、…ヨハネに下った(1-3)」のです。

バプテスマのヨハネが語ったメッセージが「福音(18)」と記述されていることに人々は時に驚きます。それは私たちには厳しい叱責のように見えるからです。そうであっても、神は常に「良きおとずれ」を私たちに告げています。荒野でのヨハネのメッセージを語り(2b)、それは「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマ」を迫るものでした(3b)。悔い改めはあなたの心を方向転換すること、つまり罪から離れ、神に向かうことです。悔い改めは良い事です。それは私たちを自由にし、赦しをもたらします。

悔い改めは「良い実」を実らせます(9)。バプテスマのヨハネは言いました。「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。(8)」この良い実とはなんでしょうか?良い実は社会正義と個人の道徳の両方に関するものです。そして、面白いことに、その例は仕事と金銭とに関係して示されています。良いこととはどのようなものでしょうか?

  1. 気前良さ
    人が出来ないことを、余裕がある人は支援すべきです。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい(11)。」
  2. 正直さ
    ヨハネは取税人に言いました。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。(13)」
  3. 満足すること
    ヨハネは兵士に言いました。「だれからも、力づくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。(14)」

単にヨハネは社会正義について演説したのではなく、イエスについて言いました。「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。(16b)」火は純粋さ(民数11:1-3)と力と情熱を象徴しています。イエスが祈った時「天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』」(ルカ3:21-22)

善は聖パウロが御霊の実として挙げた特徴の一つです(ガラテヤ5:22)。聖霊を通して、私たちは神のを体験します。神がイエスに言われたことをあなたにも言うのです。

  1. 神の子供であることを喜ぶ
    神はイエスに言われました。「あなたは、わたしの…子(ルカ3:22)」イエスを通して、あなたは神を「父」と呼ぶことができます。イエスが子であることは唯一無比ですが、使徒パウロは、神が「御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。(ガラテヤ4:6)」と言いました。あなたは、いわば養子として神の子としての同じ体験を得ることができるのです。この体験はあなたのアイデンティティーに、確信に、安心に息吹を吹き込みます。
  2. 神の愛を体験する
    神はイエスに言われました。「あなたは、わたしの愛する子(ルカ3:22)」さて、パウロが「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)」と言う通り、聖霊は神のあなたに対する善と愛の体験を与えてくれるのです。
  3. 神が喜ばれることを期待する
    神はご自身の子なるイエスに言われました。「わたしはあなたを喜ぶ。(ルカ3:22)」神の霊があなたに住まわれるとき、あなたの生活は神を喜ばせるものとなるのです(ローマ8:8-9)。

聖霊によって神の愛と善があなたの心に注がれることをあなたが体験する時、御霊の良い実が成長し始めるのです。

祈り:主よ。あなたが私を子として愛してくださり、私を喜んでくださることを感謝します。気前よく、正直に、満足して生き、良い実を実らせることができるように助けてください。


神はあなたに良き物を与えると約束されました

民数記9:15-11:3

モーセはしゅうとに「主がイスラエルにしあわせ(良いこと,NIV訳)を約束しておられるからです。(10:29)」と言いました。そして一緒に行くように請いました。「あなたにも(主が私たちに与える良いことを,NIV訳)おわかちしたいのです。(32)」と。

モーセは神の民とともに神の良いお方であることをたくさん体験しました。神は彼らを「雲の柱と火の柱(9:16)」で導きました。それは神の臨在を象徴していました。しかし、これは神の民の歴史を通して私たちが見ることのできる神の良いお方であることの一例に過ぎません。

神の良いお方であることに反して、「民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた(11:1)」のです。荒野において、他の箇所では彼らは指導者であるモーセとアロンたちにもつぶやきました(出エジプト16:2)」時々、私たちは神が私たちに見せてくださっているご自身の善を忘れてしまう時、自分の状況に不満をつぶやき、リーダーたちを非難するのです。しかし、可能な限り、指導者には支えと励ましが必要なのです。

神が良いお方であることを覚えましょう。特に「すばらしい事がらの大祭司(ヘブル9:11)」として来られたキリストにあって。神の誠実があなたを自由にしたことを覚えて、不平不満をあなたの捕虜として縛りなさい。賛美、感謝、礼拝は、不平とつぶやきの解毒剤となるのです。

祈り:私はあなたに賛美します。神よ。あなたは私にいつも良いお方です。イエスのよき知らせ、あなたの赦し、私への愛、聖霊と神の愛を私の心に注ぎ、私を喜んでくださり、私を助け出してくださいました。主よ。感謝します。あなたのすべての祝福、あなたが養ってくださること、自由、友人、家族、そして天の領域にあるすべての霊的祝福。「神は良いお方。すべての時において。」

H.K