Tokyo Chapel

2019年2月2日

第32日

親密な友情関係

ニック・ヒルズは私が今まで会った人の中で一番頭のいい人の一人です。彼は学者で頭脳明晰です。素晴らしい心の持ち主です。私は彼と同じ大学に一緒に通いました。私が大学1年生でイエス・キリストに出会ってから3ヶ月ほど経った頃、彼もまたイエスと出会う経験をすぐにしました。(実は、彼は今やカンタベリー大主教となったジャスティン・ウェルビーがイエスを信じる信仰を見出すのを助けていたのです。)すぐに、彼はたくさんの神学書を読み始めました。

彼がクリスチャンになってからしばらくして、彼が何を読んだのかと短い質問をしたことを私は覚えています。彼は、神の「超越性と内在性」について読んだと答えました。私は彼が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。そして、辞書でこの二つの語の意味を調べなければなりませんでした。

「超越性(Transcendence)」と「内在性(Immanence)」は神と私たちとの関係の逆説的な性質を言い表しています。神の超越性の意味は神は独立して存在し、物質世界に限界を持つ対象ではないということです。神はすべての上に超越しており、卓越し、優り、私たちをはるかに凌ぐ存在です。

他方、神の内在性は神との親密な友情を体験する可能性があるということを意味します。旧約聖書の今日の箇所で、ヨブは神との親密な友情関係について語っています。(ヨブ29:4)

あなたが神の超越性を理解したときにだけ、神の内在性がどれほど驚くべきものなのかを理解することができるのです。そして、神との親密な友情関係を楽しむことができるというのが、どれほど大きな特権なのかと理解することができるのです。


超越性を持つ神を礼拝し、偉大な臨在を愛する

詩篇18:7-15

ダビデは神の偉大な臨在について語ります。「すると、地はゆるぎ、動いた。また、山々の基も震え、揺れた。…御前の輝きから、密雲を突き抜けて来たもの。…主は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。(7,12-13)

この詩篇の中に、私たちは超越する神の力と怒りをともに見ます。「主がお怒りになったのだ。(7)」神の怒り(怒りと言っても悪意ある腹立たしさとは異なります。)は罪に対する神の反応です。

もし、人身売買、児童虐待、組織的拷問やその他の不正義を見る時に怒りを覚えずにいるなら、私たちは愛に欠如しています。悪に憤慨することは善の要素です。この詩篇では、神の怒りは神の愛と表裏一体だと理解できます。

神との親密な友情関係をダビデはこの詩篇の中で表現していますが、「主、わが力。私は、あなたを慕います。(1)」という言葉で始まっています。ダビデは一人で思い込んでいたのではありません。ダビデは超越する神との親密な友情関係を持つ内在的特権を理解していたのです。

祈り:主よ。この宇宙全体を創造されたお方と親密な友情関係を持つことができることを感謝します。主よ愛します。わが力なるお方よ。


神の招待を受け取り、親しい交わりを楽しむ

マタイ21:33-22:14

過去10年の間に英国での大きなロイヤルウェディングと言えば、ウィリアム王子とキャサリン・ミドルトン嬢そしてハリー王子とメーガン・マークル嬢の結婚でしょう。もし、郵便受けの中に、その結婚式の招待状が届いていたらと想像してみてください。イエスは、すべての時代を通じて、私たちは皆、最も偉大なロイヤル・ウェディングの招待状を受け取ったのだと言っているのです。

イエスはぶどう園のたとえと婚宴のたとえで天の御国を表しました。どちらもあなたへの神の寛大さと驚くべき愛が表されています。

しかし、神の愛はセンチメンタルではありません。再度、私たちは神の愛とあわれみは、それを拒絶し悪事をなすことへのさばきと表裏一体であることを見ます(21:35以降)。「すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。(35)」主人のしもべたちにひどい仕打ちをした農夫たちは、とうとう主人の息子さえも殺してしまいます(39)。そして裁きがありました(41)。

イエスはご自身の死を預言的に語られたのです。イエスこそ神が送った「息子」であり「あと取り」です(37-38)。しかし、彼らは「彼を…殺してしまった(39)」のです。イエスは「石」です。「家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。(42)」イエスは裁きにかけられたのです(44)。彼らがイエスを拒絶したゆえに、裁きが来たのです。(彼らはイエスを捕らえようとしました(46)」

また、婚宴のたとえでは、神はご自身と親密な友情関係をもって招待しました。このロイヤルウェディングに招待されるとは、何と言う大きな特権でしょうか。大々的に準備された婚宴への招待でした(22:4)。そして、それは開かれた招待です(9-10)。誰もが招かれました。招待は何度も何度も告げられました(1-4)。

イエスが神の国を婚宴になぞらえたのは何と魅力的なことでしょうか。それは多くの人が神、教会、信仰に対して抱く思いとは正反対です。彼らは、それを陰気で、だるくて、つまらないものだと考えているのです。しかし、イエスは神の国はパーティーだと言いました。多くの笑い声、喜び、祝宴に満ちたお祝いなのです。

しかしながら、何人かは招待のことを思い出した時、「両手を広げて肩をすくめて、行ってしまった。ある者は庭の手入れをしに行き、あるものは自分の店に出勤した。(5,MSG訳)」彼らの持ち物や仕事はイエスとの関係よりも高い優先順位を持っていたのです。ある者は、ひどく無礼で敵対的でした。「そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。(6)」イエスは言いました。「王は怒って、…滅ぼし、…焼き払った。(7)」

神の招待は粗末に軽薄に扱うべきではありません。それは、驚くべき、素晴らしい招待なのです。超越する神があなたを親密な友情関係をもって招待しておられるというのは、なんと大いなる特権でしょうか。しかしながら、単純に行くだけでは十分ではありません。あなたには正しい礼服が必要です(11-13)。あなたは自分なりの方法で天の御国に入ることはできません。入ることができるのはイエスという方法だけです。感謝なことに、イエスの死と復活と聖霊の賜物を通して、イエスはあなたが必要な礼服を備えてくださったのです。

祈り:主よ。あなたの愛を感謝します。あなたは私のために宴を設けてくださいました。主よ。あなたの招待を受け取ります。そして、今日、あなたとの親密な友情関係を楽しみます。


神の超越性を理解し、内在性を知る。

ヨブ25:1-29:25

あなたは降りかかる困難や問題に圧倒されたことがありますか?あなたは神が力を持っていることや、あなたを助けたいと願っておられることに疑いを持ったことがありますか?

ヨブは神の超越性を知っていました。ヨブは言いました。「私は神の御手についてあなたがたに教えよう。(27:11a)」ヨブは私たちを取り巻く自然世界の内に見ている神の力のすべては「主の御業の外縁にしか過ぎない(26:14,NIV訳)」と言います。

神はあなたを助けるのに十分な力をお持ちです。

神はあなたを助けるために十分な力を持っているだけではなく、さらに、あなたを助けるための十分な愛を持っておられるのです。ヨブは神の内在性をよく知っていました。ヨブは「神の親密な友情(29:4,NIV訳)」を経験していました。そこに真の知恵を見出したのです。

「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。(28:28)」主を恐れるとは、神を神として敬愛することです。この尊敬に満ちた神との関係こそが知恵です。今、私たちはイエス・キリストが神の知恵であることを知っています。イエスとの親密な友情こそ真の知恵です。

ヨブはこの知恵の内在的価値を述べました。「しかし、知恵はどこから見つけ出されるのか。…それは純金をもってしても得られない。銀を量ってもその代価とすることができない。…しかし、神はその道をわきまえておられ、神はその所を知っておられる。…見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。(28:12,15-28)」

これがつながるのはどのような生活でしょうか?それは、「悪から離れる(28)」ことにつながり、「貧しい者を助け出す(29:12)」ことにつながります。ヨブは本当に義なる生活とは「貧しい者、みなしご、死にかかっている者、やもめ、目の見えない者、足のなえた者、見知らぬ者(12-16)」を助けることだと述べています。ヨブは貧困を気にかけただけではなく、義をもって為しました。「私は義をまとい、義は私をおおった。私の公義は上着であり、かぶり物であった。…私はまた、不正をする者のあごを砕き、その歯の間から獲物を引き抜いた。(14,17)」

あなたが、親密な友情をもって神に近づくとき、神の関心があなたの関心となります。ヨブのように、あなたは貧しい者、身寄りのない者を助けたいと願うようになります。あなたは不正の被害者を助けたいと願い、身体に不自由を抱える人々のお世話をしたいと願うようになるのです。

ヨブは神との親密な友情関係を実際失ってはいませんでした。しかし、この時点では、彼はあらゆる実感を失っていました。彼は凄まじい苦難の極みを通っていました。彼にとっては神は遥か彼方のように感じたのです。あなたもそのような瞬間を経験したことがあるかもしれません。もし、今がそうなら、ヨブの物語から慰めを受け取ってください。

ヨブ記の最後に至る時、私たちは神が決してヨブから離れてはいなかったことを理解します。神は彼をそれまでより、またかつて想像したことのないほどに祝福されるのです。神はご自身との親密な友情関係の感覚を回復してくださるのです。

今、イエスを通して、私たちは皆、超越性の神との親密な友情関係を体験することができます。そして、神の究極の祝福が私たちの人生に与えられていることを知るのです。

祈り:主よ。ヨブの例を与えてくださって感謝します。苦難の時、あなたの親密な友情関係と私の人生を祝福してくださる約束に留まることができますように。あなたに近づくとき、あなたがもっておられる正義と弱者への関心を自分自身の関心とならせてください。アーメン。

H.K