Tokyo Chapel

2018年3月28日

第87日

トラブルの日に

アジャイ・ゴヒルはヒンズー教徒として成長しました。そしてロンドン北部の雑貨屋の仕事を家族でしていました。21歳の時、彼は乾癬性紅皮症という慢性皮膚病に罹りました。体重は73kgから47.6kgに激減しました。症状は頭からつま先まで全身に広がりました。彼はすべての友人を失い、妻と息子は彼から去り、彼は死にたいと思うようになりました。

アジャイは死にそうな状態の中で病院で神に叫びました。彼は自分のロッカーの中にあった聖書を見つけました。彼は、今日の詩篇の箇所である38篇を開きました。彼には一節一節のすべての箇所が自分に当てはまるように思えました。彼は神に癒しを求めて祈りました。彼は深い眠りにつき、翌朝、彼は完全に癒されていたのです。彼の肌はまるで赤ちゃんのように新しくなっていました。そして、彼の人生は変わったのです。彼は息子と再会しました。彼が教会で証しに立った時、インタビューに答えて「私が生きている限り、毎日はイエスのためです。」と言いました。

人生は順風満帆の時だけではありません。私たちは皆、問題にぶつかります。あなたが、今日、どのような状況に直面しようとも、神はあなたを救出することがお出来になります。今日の箇所で、私たちは問題の例を見るでしょう。それは、罠、試練、誘惑です。そして、どのようにそれらを取り扱えばよいのかを見るのです。


詩篇38:1-12

ダビデは健康を害する体験を知っていました。「私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。(7)」アジャイが病院のベッドの上でこの詩篇を読んだとき、これらの言葉が彼の琴線に触れたのです。

ダビデはまた、失敗することについても知っていました。神は彼に自分の罪を確信させました。「あなたの手が私の上に激しく下って来ました。…私の罪のため…私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。…それは私の愚かしさのためです。…目の光さえも、私にはなくなりました。(2-5,8,10)」

その上に、ダビデは反対者の手から切り抜けなければなりませんでした。ダビデを陥れようとする敵が周りにいたのです。「私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、一日中、欺きを語っています。(12)」

困難に囲まれ罠が仕掛けられた真っ只中でしたが、ダビデは神に叫び求めました。彼は神が赦し、救い、癒すことが出来ることを知っていたのです。どんなにあなたが失敗したとしても、そしてどんな困難に直面したとしても、祈りを通してあなたはそれらを神に委ねることができるのです。

祈り:主よ。私は今日あなたに叫びます。私の罪を赦してください。私の体を癒してください。そして私に仕掛けられた罠から救い出してください。


試練

ルカ7:11-35

あなたが出会うそれぞれの人とあなたが直面するすべての状況は、ある意味で、テストです。あなたの周りにいる人々の必要に、そしてあなたを取り囲む状況に、あなたはどのように対処しますか?

  1. 他者の必要
    ニッキー・ガンベルは30歳でガンで亡くなった青年の葬儀を執り行ったことがあります。彼の母親は一人息子の棺のそばにたたずんでいました。彼女は30年以上にわたるニッキーの親友でした。今日の箇所に登場する女性にイエスが会った時の気持ちがどのようなものであったかをニッキーはその時理解したそうです。主はその母親を見てかわいそうに思われたのです(13)。イエスは彼女の息子を生き返らせる力と権威を持っていました。しかし、イエスは信仰によって踏み出し、そうする勇気を持たなければなりませんでした。

    私たちは自分自身の信仰の限界の中で対処しなければなりません。このような状況に応答することは実にテストです。一つ間違えると牧会的に混乱をもたらします。神からの直接的な示しと、主の権威と力と信仰が与えられなければ、イエスと同じようにすることはお勧めできません。しかし、私たちはこれらすべての必要に正しい言葉と正しい応答を見つけなければなりません。何をするにしてもその動機は「あわれみ(13,AMP訳)」でなければなりません。

    イエスは「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。(22)」と言うことが出来ました。あなたはこれらのことすべてを言うことは出来ないかもしれませんが、あなたは病人のために祈ることができますし、確かに貧しい者たちに福音を宣べ伝えることはできます。

  2. 批判
    イエスはそんなにも驚くような素晴らしい、人生を変えるようなことをなさったという事実にもかかわらず、すべての人々に受け入れられたのではありません。その頃の宗教指導者たちは「神の自分たちに対するみこころを拒みました。(30)」そして、バプテスマのヨハネやイエスに対して、真実でない批判をしたのです。批判に対してあなたがどのように対応するかも一つのテストです。イエスは言いました。「バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』とあなたがたは言うし、人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。(33-34)」

    イエスが言ったことは、批判を避けることはほとんど不可能だということです。アリストテレスが「批判を避ける唯一の方法は、何もしないこと、何も言わないこと、そして何にもならないことだ。」と言ったように、あなたが何かをすれば、ある人々は間違いを見つけるでしょう。しかし、イエスは批判によって先送りすることはありませんでした。「だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。(35)」イエスはきっと、最後には、知恵(そしてイエスの行為)は、その結果によって証明されるでしょうということを言ったのでしょう。あるいは私たちはこう言えるでしょう。「プリンは食べてみなければ味は分からない(35,MSG訳)」イエスとバプテスマのヨハネは互いにとても違いますが、共通しているのは「知恵の子ども」であるということです。

祈り:主よ。今日、私が出会うすべての人に正しい言葉を話させてください。福音を取りはこばさせてください。あわれみの心をもって、イエスがなさったように為すべきことを教えてください。


誘惑

民数記23:27-26:11

今日の箇所には「警告のしるし(26:10)」が記されています。パウロは民数記のこの箇所に言及しつつ「警告」としてここで記された誘惑について言っているのです(1コリ10)。

「これらはすべて警告を生み出した人々です。―気をつけなさい!―私たちの歴史の書に書き記されているのですから、私たちは同じ間違いを繰り返さないようにしましょう。…私たちは彼らがそうであったように、台無しにしてしまうこともあるのです。…他の人たちがそうであったように、ぶざまに失敗することもあり得るのです。うぬぼれに気をつけなさい。それは無用です。神の確信を養いなさい。(1コリント10:11-12,MSG訳)」

私たちは何に気をつければいいのでしょうか?何が誘惑となるのでしょうか?

  1. 占い
    「魔術」(時には占いと訳される)は超自然的な、魔法のような力で、神から来たものではない、何かが出てきたり、起こったりすることを意味します。今日、私たちは、それらを占星術、タロット、運勢、ウージャ占い、手相などに見ます。人々は将来何が起こるかを知りたいと願います。特に問題がある時、彼らは間違った方法でそれを変えようとするのです。バラムの生活は奇妙に混ざり合っていました。ある時は「神の霊(24:2)」によって預言もしました。メシアの到来を預言して「ヤコブから一つのが上り、イスラエルから一本の杖が起こり、…ヤコブから出る者が治め(17-19、またマタイ2:1-10)」と言葉を発しました。イエスはご自身を「輝く明けの明星である。(黙示22:16)」と表現されました。

    しかし、新約聖書においてバラムは非難されています。私たちはその理由をこの箇所で見ます。彼は「まじない(24:1)」にも通じていたのです。普段からまじないによって報酬を得ていました。(民数記22:7,NIV訳)彼が神の霊によって預言したことが例外でした。「これまでのように、まじないを求めに行くことを」しなかった時だったのです(24:1)。

  2. 不道徳
    人々は性的な不道徳に陥りました。「民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。(25:1)」彼らは皆だまされていたのです(18)。神の裁きは彼らの上に臨み、特に指導者「シメオン人の父の家の長サルの子ジムリ(14)」の上に下りました。性的不道徳は教会の指導者には免除される誘惑というわけではありません。もし、指導者がそれに陥ったなら、深刻な影響を及ぼすことになります。
  3. 偶像礼拝
    民は神に不忠実となり、彼らは他の神々を拝むようになりました。彼らは「バアル・ペオルを慕うようになった(25:3)」のです。偶像は刻まれた像や他の神々だけではありません。偶像とは神の代用品です。私たちが創造者なるお方に仕えるよりも、他のものを第一とするように仕えるなら、それが偶像です。(ローマ1:25参照)

使徒パウロはこのような試みに対して警告を与えていますが、最後は励ましの言葉で締めくくっています。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(1コリ10:13)」

祈り:父よ。敵の誘惑に打ち勝って立つことができますようにお助けください。イエスの名を汚すことが一切ありませんように。私が為すすべてのことにおいてあなたの名に栄光を帰することができますように。アーメン。

H.K