Tokyo Chapel

2019年9月26日

第269日

良い関係のための6つの鍵

キアラ・ルビックが19歳の頃、彼女は数人の友人たちと北イタリアに集いました。それは1939年で、爆弾が落ちてくる中で、彼女たちはこう考えました。「破壊することのない最も効果的な爆弾はなんだろうか?」彼女たちが出した答えは「そうだ。それは神の愛だ!」ということでした。

彼女たちは神の圧倒的な愛を体験しました。そして彼女たちはそれを人々に分かち合いたいと思いました。彼女たちは愛の生活に生きることによって神に倣った(エペソ5:1-2)のです。彼女たちは必要のある人々を助けました。彼女たちは、わずかばかりの自分たちの食料を分け合いました。衣類のない人々の為に彼女たちは衣類を探しました。家族を失った人々を慰めました。

そのようなキアラと友人たちから発した温かい行動を人々は「フォコラーレ」と呼びました。それは「炉床」とか「暖炉」という意味です。フォコラーレは現在182ヶ国で200万人の会員がいます。フォコラーレ共同体のメンバーにはルールがあります。それは1日24時間、イエスの黄金律「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ7:12)」を守って生きるということです。

愛は実践的です。キアラは言いました。「人を自分のように愛しなさい。…もし黄金律を個人にだけではなく、民族グループ、国民や国家間で実践したら、もし、全ての人々が他の国の人々を自分たちと同じように愛したとしたら、いったいどのような世界になるかを想像しなさい。」

私たちはどのように神に倣えば良いのでしょうか?そしてどのように愛の生活を生きることが出来るのでしょうか?


聖霊によって満たされる

詩篇112:1-10

神に倣う生活を生み出してくださるのはあなたの内におられる聖霊です。この詩篇の中で、私たちは、神があなたを導きたいと願っておられる生活がどのようなものかが描かれています。それはパウロがガラテヤ5:22-23に記した御霊の実に全て集約されています。

その生活とは…。

  • 愛:「情け深く」(詩篇112:4)
  • 喜び:「大いに喜ぶ人」(1)
  • 平安:「悪い知らせを恐れず」(7)
  • 寛容:「その心はゆるがない。」(7)
  • 親切:「情け深く、人には貸し」(5b)、「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。」(9)
  • 善意:「正しい者はとこしえに覚えられる。」(6b)
  • 誠実:「その心は堅固で」(8a)
  • 柔和:「あわれみ深く」(4b)
  • 自制:「彼は決してゆるがされない。」(6a)

これら全ては神を知ることが軸となっています。神のことばを読み、思い巡らす時間をとりましょう。「幸いなことよ。 主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。」(1)

祈り:主よ。今日、御霊の実が溢れる生活を送らせてください。


イエスに似た者へと造り変えられる

エペソ4:17-5:7

イエス・キリストは私たちの為に命を投げ出して下さり、愛についての最高の手本となって下さいました。聖パウロは書きました。「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ5:1-2)」聖アタナシウスは次のように記しています。「私たちが神のようになる為に、神は私たちのようになってくださった。」

この「愛のうち歩む」とはどのようなものでしょうか?

パウロはエペソの人々がどのように学んだかについて記しています。(4:20)そして、彼らが心の態度において新しくされ、新しい人をその身に着て、真理に基づくをもって神にかたどり造り出されたということを教えられたことを知っていると記しています(23-24)。

では「聖」(あるいは「きよめ」)とは何でしょうか?

パウロはきよめについての実際的な6つの例を示しています。きよい教会における良い関係のための6つの鍵です。(4:25-5:7)

  1. 本当であること
    「とどのつまり、このことに尽きます。嘘をつかないこと。フリをしないこと。あなたの隣人には本当のことを話ししなさい。キリストのからだに属する私たちは皆、結局、お互いにつなぎ合わされているのです。(4:25,MSG訳)」

    正直で誠実な生活を生きましょう。「きよめ」について語ることの危険性は、それを強調し過ぎることです。「きよめ」と「聖人ぶること」、そして「敬虔(pious)」と「害毒(poisonous)」をもたらすこととは紙一重です。本物の自由は、私たちを完璧であることから程遠いことを認めます。私たちはお互いに弱いものなのです。このことは、私たちを偽善から守ります。
  2. 情熱
    「さあ、怒っていなさい。怒ることに上手になりなさい。しかし、あなたの怒りを復讐の為の燃料にしてはなりません。そして怒りに留まり続けてもいけません。怒ったまま寝床についてはなりません。あなたの生活に悪魔の足場を築いてはならないのです。(26-27,MSG訳)」

    怒りは本質として罪深いものではありませんが、しばしば罪の原因となります。怒りは悪魔がそこに足場を築き、よりどころになってしまいやすいのです。怒りは私たちが制御しばければならない感情なのです。

    一方で、怒りの積極面もあります。それは神が与えた感情であり得ます。神は怒りを表しました(5:6)。しかし、もちろんしっかりと制御されていました。イエスの怒りは罪に対する義憤でした。それはウィルバーフォースがついに奴隷貿易を廃止に追い込んだ、奴隷制への熱い怒りと同じです。
  3. 働きと気前良さ
    「あなたは盗みで生活をやりくりしていましたか?それだったら、もうしないように!働けない他の人を助けることが出来るように、真っ当な仕事に就きなさい。(28,MSG訳)」

    きよめは、しばしば誤解されます。それは、私たちがきよくないと思っている人々との関係を断つことだと思われてしまうのです。たとえば、職場の同僚などです。しかしパウロの考えは違っていました。彼は仕事をきよい生活の一部だと認めていました。精を出して、葛藤しながら、努力するのですが、仕事それそのものは充足感をもたらす良いものです。なぜ人々は朝起きて仕事に行くのでしょうか?その答えの一つは、仕事がきよいからです。

    パウロがもう盗んではいけないと書き送る必要があると思ったということから、初代教会の人々の中には元犯罪者がいたというヒントが得られます。教会ははっきりと元犯罪者を歓迎しお世話すべきです。

    他の人々から取ることよりむしろ、彼らは周りの人々に今は寄与する者になるべきです。そうするための最善の方法は働くことです。働くことそのものは、「役に立つ何かをする」ですが、同時に「困っている人に施しをする(28)」ことにつながります。元犯罪者dわってもなくても、働くことは、全ての人にとって、きよいことなのです。
  4. 励まし
    「あなたの話す事柄に気をつけなさい。あなたの口から汚い不潔な言葉が出て来ないようにしなさい。話す言葉が贈り物となるような言葉だけ話しなさい。(29,MSG訳)」

    言葉は大切です。あなたが話すことは活かしも殺しもするのです。人を立て上げることも、引きおろすことも出来ます。あなたの口を人を励まし立て上げるために用いましょう。

    励ましはおべっかを使ったり、口先だけのものではありません。それは口から発する太陽の輝きのようなものです。難なく人々の心を当たため、希望と確信を鼓舞するのです。
  5. 恵み
    「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(31-32)」

    パウロが見たきよい教会の幻は、あらゆる苦々しさ、怒り、悪口が取り除かれ、元犯罪者、生活スタイルの問題で葛藤している人、離婚した人、人生を台無しのした人が歓迎される共同体でした。それは赦しが自由に流れており、赦される必要がある人々が集まる場所です。なぜなら赦された者が赦すことができるからです。

    教会は、きよめをぐるっと見て回るような、完璧な人々を展示する博物館だと思われてはなりません。そこは、傷つき傷んだ者が癒され恵みを受ける病院だと呼ばれるべきです。
  6. 純粋さ
    教会はすべての人々を歓迎します。なぜなら、柔和で、あわれみ深く、親切だからです。それと同時に、「不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも(5:3)」ない、純粋な生活に召されています。

    自分中心の罪ではなく(3-4a)、あなたは神中心の賛美に召されているのです(4b)。パウロはここで強く警告しています。罪は赦されます。しかし神の道に逆らって歩み一生を終える者は御国を相続することができません(5)。

祈り:主よ。今日、愛のうちに歩み、イエスに似た者になることが出来ますように。


あわれみ豊かな父に似た者になる

イザヤ63:1-65:16

神のイスラエルへの愛は、父の愛のようです。「あなたは私たちの父(63:16、64:8,MSG訳)」「あなたは私たちの生ける父。私たちの贖い主、永遠に有名なお方です。(63:17,MSG訳)」

旧約聖書において神がイスラエルの民をただ愛するのと同じように、神はあなたを父が子を愛するように愛してくださいます。イザヤは主の優しさについて記しました。「私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって
報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。主は仰せられた。『まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ』と。こうして、主は彼らの救い主になられた。(7-8)」

「私たちは皆、罪に感染し、伝染させ、出来ることと言えば油で汚れたボロ切れのようなものでした(64:6,MSG訳)」というのにもかかわらず、神は私たちを愛してくださいました。

人の父親もそうであるように、神は私たちが苦しみ迷いでる時に、神は苦難を負って下さるのです。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ(63:9a)」「その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。(9b)」

「神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。(64:4、1コリント2:9)」

祈り:主よ。あなたは人間のどんな父よりも私を愛してくださいますこと感謝します。私のためのあなたの愛を感謝します。ですから、私は周りの人々を愛することが出来ます。アーメン。

H.K