Tokyo Chapel

2018年1月29日

第29日

あなたは愛されている

シェーン・テイラーはイギリスの刑務所中で最も危険な人物と目されていました。最初、殺人未遂で収監されましたが、刑務官に割れたガラスで襲いかかり、暴動を起こしたことにより、刑期が4年追加されました。

彼は厳重警戒された刑務所の独房に隔離収容されました。食事はドアの小さなハッチから出し入れされ、独房の扉は完全防備した6人の刑務官が扉の外で待機しなければ、開かれることはありませんでした。

後に、彼はロング・ラーティン最高警戒刑務所に移送され、そこで、アルファに招かれました。コース中に、彼はこう祈りました。「イエス・キリストよ。あんたが俺のために十字架にかかって死んだことが分かった。俺は今までの自分が、そして今の自分が大嫌いだ。どうか俺を赦してくれ。そして俺の人生に来てくれ…。」その瞬間、彼は聖霊に満たされました。一夜にしてすべてが変わりました。彼は羽が生えたように走り回りながら、出会う者たち皆に告げました。「イエスは本当だ!」

彼の振る舞いは劇的に変わり、完全独房から出されただけでなく、刑務所内のチャプレン事務室の仕事を任せられるようになりました。彼は刑務官のために、彼の敵のために祈りました。そして、彼が刑務所を出所してから、彼は教会に行くようになりました。彼はサムという名の女性と出会いました。彼女もまた、ドラッグや犯罪と関わりをもって大変な生活を過ごしてきたのです。彼女もイエスを信じる信仰へと導かれました。今、彼らは結婚し5人の子供が与えられました。

今、シェーンと話すと、かつて、多くの人々を恐怖に陥れた人物とは到底イメージできません。彼は、神の奇しい恵み(詩篇17:7)」を経験したのです。彼は言います。「イエスはどのように愛するのか、どのように赦すのかを俺に見せてくれたんだ。イエスは俺を救ってくれた。俺がしてきたことを赦してくれたんだ。俺の人生を立て直してくれたんだ。」


神に愛され、大切にされていることを知る

詩篇17:6-12

神の愛はあなたにとって、とても大きいのです。なぜなら、それはあまりにも親密だからです。ダビデは神に訴えかけて「あなたの奇しい恵みをお示しください(7)」と願いました。ダビデは「私を、ひとみのように見守り…(17:8a)」と祈りました。「ひとみ」とは瞳孔(網膜に光を通す、とても「大切な」器官)です。これは、神のあなたへの驚くような愛の描きです。

それからダビデは「御翼の陰に私をかくまってください。(8b)」と祈りました。再び、ここでも親密で私たちを守ってくださる神の愛が表現されています。イエスはこの表現を用いて、エルサレムの人々がイエスを十字架につけようとした日に、彼らを見渡して、「めんどりがひなを翼の下に集めるように(マタイ23:37)」という表現で、エルサレムの人々をどれほどご自身の愛と守りに入れようとしたかを言い表しました。

ダビデは「敵(詩篇17:9)」、「鈍い心を堅く閉ざし、その口をもって高慢に語る(10)」人々に取り囲まれていました。あなたの生活の中にも文字通り「敵」に面しているような時があるかもしれません。しかしどんなに困難や葛藤に面したとしても、あなたのための親密な神の愛に寄り添うことができるのです。

祈り:主よ。私は今日あなたに願い求めます。私の祈りに聴いてください。あなたの奇しい恵みを見せてください。私をひとみのように守ってください。御翼の陰に私をかくまってください。


神の愛、寛大さ、そして恵みを経験する

マタイ20:1-19

イエスはご自身の大いなる愛の不思議を再び示すためのたとえ話を語ります。ぶどう園の労務者たちのたとえは、神の尋常ではない気前のよさと恵みを表しています。神は、天の御国に最後に入る者にもすべて同じようにご自身の恵みを賜るお方です。しかし、それは「ねたみ(15b)」を引き起こしました。私たちは、誰かが自分よりもっとうまくいっているということを聞くまでは自分の状況を喜んでおれるのです。そして、その誰かをうらやましいと思う誘惑にさらされるのです。

たとえ話の主人は通常の商売の習慣をまったく覆すものでした。主人がしたことは、私腹を肥やそうとしたのではなく、それとは全く逆の理由のためでした。彼は、気前よくありたいと願い、基準賃金よりも多くを支払ったのです。神はこの主人のようです。そして、神の祝福と赦しは常に私たちが本来受けるべき分よりも多いのです。

時々、私たちは恐ろしい生活をしていたシェーン・テーラーのような人々から証しを聞きます。11時間後にやって来て、悔い改めてイエスを信じましたが、彼らはイエスの死と復活の恵みによって(19)完全に赦されすべての恵みを受けました。ある人々はこれはフェアじゃないと不満をこぼします。あるいはシェーンのような人々には、やってきたことに対してあまりにも与えられ過ぎだと不満に思うのです。でも、神は彼らの証しを大きく用います。それは、しばしば「労苦と焼けるような暑さを辛抱した(12)」人々以上にです。

昨日私たちは、神の国は上下反転の王国であることを見ました。「このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。(16)」イエスはこれをねたみを引き起こさせるために言ったのではありません。むしろ、イエスがそう言った理由は、神の気前良さに驚くためです。ご自身の大いなる愛をもって神はすべての者に気前よくあられるのです。それはただ恵みです。受けるに値しない者すべてにです。イエスはこれから言おうとしたこと(17-20)の結果のすべてがこの言葉に表わされているのです。

現実には、それはシェーンのように神が気前よさを現されたような他の人々だけのものではありません。神は私にもそしてあなたにも気前よくあられます。もし、神が私たちが努力で得られるものだけを与えるのであれば、私たちはもっとひどい生活になっていたことでしょう。神があなたの上に気前よく降り注ぐ恵みを受け取るなら、その結果は驚くばかりです。

イエスの死と復活を通して(18-19)、イエスはあなたも私も赦し、永遠に神の大いなる愛を喜んび楽しむことができるのです。

祈り:主よ。あなたの驚くような気前よさのゆえに感謝します。私よりも祝福されているように思える人々をうらやんだりすることがないようにお守りください。私が今愛され、永遠の世界に入る者であることを知ることができますことを感謝します。


困難の日々を通して神の驚くべき愛を握る。

ヨブ11:1-14:22

ヨブは、長期間にわたる激しい苦難の中にあって、神の驚くべき愛をつかみました。ヨブは「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、…(13:15)。」と言いました。

ヨブは潔白で正しく神を恐れ、悪から遠ざかっていた(1:1)人物ですが、もちろん完璧ではありませんでした。彼はここで、「私の若い時の咎(13:26)」について語り、「私のそむきの罪を袋の中に封じ込め、私の咎をおおってください。(14:17)」と言っています。

ヨブの友人たちの間違いは苦難はヨブの罪のせいだと考えたことです。この箇所では友人たちに対してヨブのフラストレーションが増し加わっていくのが読み取れます。彼らは「罪(11:6,14)」について責め続け、山のような非難をヨブに浴びせているのです。彼らのことばは決まり文句のようで、なんらヨブを元気づけるものではありませんでした。

ついにヨブは、彼らに向きなおり、答えます。「私にも、あなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか。(12:3)」「あなたがたの知っていることは私も知っている。(13:2)」ヨブが指摘したのは、彼らがどれだけ最高のポリシーを語ったとしても、それは何にもならないということです。「ああ、あなたがたが全く黙っていたら、それがあなたがたの知恵であったろうに(5)。」

私たちには人々が苦難に遭うとき、このような知恵が必要です。陳腐な決まり文句を並べ立てるよりも、私たちの行動において、そして思いやりのある言葉によって、神の驚くべき愛を示すことです。

ヨブは彼の友人たちよりももっと健全な態度を持っていました。激しい苦難の中で、彼はひどく孤独に陥り、神に叫び求めることを経験しました。「なぜ、あなたは御顔を隠し、…(24)。」C.S.ルイスが妻を亡くした後で、彼は「悲しみを見つめて」という著作を残しました。この書の中で、彼はこのような経験を「あなたの目の前で扉がバタンと閉められる」とたとえました。

そのような中でも、ヨブは「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み…(13:15)。」と言うことが出来ました。ヨブは神を知っており、絶望のどん底の中でさえ神を信頼することに十分であったのです。

あなたの寿命は究極的には神によって定められるものであることを知り、信頼しましょう。そして「日数が限られ、その月の数もあなたが決めておられ、越えることのできない限界を、あなたが定めておられる(14:5)」ということを知り、信頼しましょう。

同時に、ヨブは墓の向こう側にある命をも握っていたようです。あなたを神の大いなる愛から引き離すことができるものは何もない、それは死でさえも、とヨブは握っていたのです。「もし、私たち人間が死んだら、私たちは再び生きるのだろうか?それが私の疑問です。このような困難な日々すべてを通して、私は望みを持ち続け、最終的な変化を待ち続けています。つまり復活を!(14,MSG訳、また19:25以降)」

あなたもわたしもヨブより優っています。なぜならば、私たちはイエスの十字架と復活を知っており、神の臨在のうちに永遠に生きる希望が与えられているからです。そして、神の大いなる愛を永遠に思うのです。

ヨブの物語の展開を見るとき、私たちは、神への信頼を保ち続けた彼の正しさを見ます。神はヨブになぜそのようなところを通らなければならないのかを説明しませんでした。しかし、神の愛のうちにあるというヨブの確信は揺るぐことがありませんでした。苦難の真っただ中にあったとしても、私たちは神の「奇しい恵み(詩篇17:7)」をなんとしても受け取るべきなのです。

祈り:主よ。この世界で私が理解できないことがこんなにもあったとしても、私があなたの素晴らしい愛を信頼することができますことを感謝します。今日、そして毎日、あなたの私への偉大な愛でを想い続けることができますように。

H.K

References

C. S. Lewis, A Grief Observed, (Faber & Faber, 2013).